2問目:勝利 / 敗北 ③
☆☆☆☆☆☆☆☆
「よぉ、待たせたな」
「……大丈夫、私も、今来たところ」
結果、回りまわってこの謎女こと氷室先輩と向かい合ったのは、最初にチェスを指してからちょうど1週間後となった。
その間、例のLINEグループで連絡を取ることは出来ていたが、氷室先輩の都合がなかなか合わず今日に至るというわけだ。
場所は図書室で、まぁ関係ないが例によって明石先輩が図書委員として働いているという
――ただ一つちげぇのは。
「それでは公平を期してわたしが審判を務めましょう。両者立ち合いたまへ」
「おいてめぇ柊。なんでここにお前がいるんだよ」
場にいるだけでうぜぇランキング堂々の第一位、柊詩乃。こいつがなぜかここにいるってことだ。
「おら邪魔だ柊。お前は向こうで明石先輩とでも話してろよ」
「あら、そんな冷たいことを言っていいのかしら。そんなこと言われたらハンデとしてあなたのキングを没収しちゃうわよ?」
「初手敗北じゃねぇかこの野郎」
こちらを意に介さずか駒を一つ一つ丁寧に盤に並べていく氷室先輩と、その向かいに座る俺。
この前と同じ窓際の二人席でチェスの舞台を整えつつ、ついでに脇に邪魔者一匹って構図だが――こいつ、まじでどっかいってくれねぇかな。
「……あなたと、この子、仲良しさん?」
「あ? いや、ちげぇ……違いますよ。ただのクラスメイトです」
ふと手を止めた氷室先輩の質問に答えつつ、そういえば先輩だったなと言葉を直す。
「…………」
僅かに時が止まった。話もなく手も動かない。
チェス盤を眺めて戦略を考えていた俺だが、どうしたと氷室先輩に目を向ければ、やつはじっと俺を見ていた。
「……敬語」
「ん? あぁ、あんた先輩なんだろ。だから一応、な」
「……私のこと、知ってる?」
「……わりぃけど分からねぇ。あそこにいる明石先輩から名前は聞いたけどな」
「…………そう。…………敬語、じゃなくて、いい」
「あ?」
「敬語、じゃなくて、いつもの話し方で、いい」
「……そうか。分かった」
なんだ、どうした? こっちを見たままで全然動かねぇじゃねぇか。
会話が始まってから急に手が止まった氷室先輩の代わりに、今度は俺が盤を並べ始める。
てか大丈夫かこの先輩。こっちはせっかく時間を割いていくつか戦略まで練ってきたんだ。やる気がなくなったとか勘弁だぜ。
だが、そんな考えは杞憂に終わったのか氷室先輩は俺が並べる盤面に視線を落とし、何かを考え始める。願わくば、それがチェスの駒運びなんかであることを祈るのみだ。
「でだ、柊。俺としては本当に邪魔だと思ってるわけだが、マジでどっかいってくれねぇか?」
駒を並び終えた俺は、いよいよもって柊をどかすことに決める。
別にいてもいなくてもとは思うが、万に一つも気を散らせたくないというのが本音だ。
「分かった。いいわよ」
「……あ?」
予想外の素直な返答。
マジか、あの柊がこんな簡単に――。
「その代わり教えて欲しいのだけど。あなたはなぜそんなに本気でチェスに臨んでいるの?」
この女、なんかめんどくせぇことを言いだしやがった。
というかいうに事欠いてこの俺が? 本気でチェスに、だと?
「やっぱり馬鹿だろおめぇは。別に本気なんかじゃねぇよ」
「そう? そうかしら」
「何を根拠に言ってるかは知らねぇが、こんなのは遊びだぜ。遊び」
はっ、冗談じゃねぇ。
俺がこんなボードゲームに本気を出すわけねぇだろ。
「まぁ強いて言えば俺は遊びでも勝負に負けるのは好きじゃねぇってだけの話だ」
「それは本気でやることと何が違うのかしら?」
「……別にもういいだろうが。てめぇには関係ねぇ」
ちげぇ。全然ちげぇんだよ。分かってねぇな、柊。
俺のはただの努力で、勝負の勝ち負けに拘ってるってだけの話だ。――本気ってのとは、意味が全然ちげぇんだよ。
「……私は、分かる、かも」
「ん? なんか言ったか?」
「……なんでもない」
氷室先輩が何かを言ってたようだが声が小さくて聞き取れなかった。
なんて言ってんだこの先輩?
「まぁいいわ。わたしとしてもあなたの邪魔をするのは本意ではないもの。あちらでおとなしく本でも読んでいるわ」
唐突に何を納得したのか、一人離れた席に移動し、鞄から本を取り出し読書を始める柊。
相も変わらずのマイペースっぷりだぜ。ある意味感心する。
「……よし、それじゃあそろそろ始めようぜ。今日は何局指すよ? 俺としてはこの前負けた分も含めて返り討ちにしてやりてぇわけだが」
「私は、今日は大丈夫。下校時間まで、指せる、よ」
「俺も今日は大丈夫だからな。お互い納得いくまで楽しもうぜ」
ふと、受付で座って本を読んでいる明石先輩に視線を向ければ、彼女もこちらの気配に気が付いてか視線を合わせてくる。
『分かってるって! 君たちが遊び終わるまで付き合うよ』
『わりぃな。恩に着るぜ先輩』
そんな軽いアイコンタクトを交わしつつ――さぁいざ待望のリベンジだぜ。
「手加減なんてつまらねぇ真似はするんじゃねぇぞ?」
「……分かって、る。負ける気もない、よ」
別にこれで学校が楽しくなってきた、なんて大げさなことは言わねぇ。
ただ少しだけ、ほんのちょびっとだけだが退屈しのぎが出来そうだと、俺は口の端が自然と上がるのを自覚していた。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「桜ちゃん。楽しそうだな~」
静かな図書室で思わずこぼれた言葉に、わたし明石友奈はうるさくなかったかな~と辺りを見渡す。
今いるのは桜ちゃんと宮本君、詩乃ちゃんに……あと四人くらい?
――反応している人はいないから……大丈夫。誰にも聞こえてなかったみたい。
その事実を確認しほっと胸をなでおろしつつ、今度は再びチェス盤を挟む二人へと視線を向ける。
「あの桜ちゃんが男の子と遊んでる姿なんて、わたし以外に誰か見たなんてあるのかしら?」
氷室桜ちゃん。私の友人で、少し特別な女の子だ。
他人と積極的に関わろうとせず、自分の時間を何よりも大切に思っているあの子が、誰かと過ごす時間を待ち望んでいる姿なんて初めて見た。
そんな中でも特に驚いたのは、この前のおそらく初めて桜ちゃんと宮原君が出会った場面だった。
当初、わたしは聞こえてくる喧噪に騒がしいなと目を向ければ、その場に男の子に話しかけている桜ちゃんの姿が見つけてしまった。
最初は頭の処理が追い付かなかった。まず一つ目に桜ちゃんが、二つ目に不良みたいな男の子と(これは後で謝らねば!)、そして三つ目に楽しそうにお話をしている。
これはもう、奇跡としか言いようがない……なんて大袈裟かな? でも、本当にそれくらい驚かされたわけなのだ。
しかし、桜ちゃんの想定外の行動はそれだけにはとどまらなかった。
『……というわけで、宮原君が会いたいって言ってたけど桜ちゃん、どうする?』
『……私も、連絡、する』
『うん、分かったよ! それじゃあLINEのグループに登録するね!』
『ありがとう。……ねぇ、友奈……』
『うん? どうしたの?』
『……男の子に、LINEって、どんな風に送れば、いいんだろ』
おいおい可愛すぎかっ!
万が一LINEが消えても後世に伝えたい。そんな思いを胸に抱きながら会話をスクショで確保しつつ、件の宮原君を脳裏に浮かべる。
「あの不良っぽい男の子が桜ちゃんの、ねぇ。……ふふっ」
そんなつい先日の記憶から現在に目を戻し、三度二人の方へと目を向ける。
ここからではよく見えないが、
「本当は早めの戸締りを頼まれてたんだけど……まぁ仕方ないよね?」
先生に頼まれていたお願いごとだが、
正直、それが桜ちゃんの『恋』なのかわたしには分からなかったが、もしそうであれば全力で応援してあげようと決意する。
恋をしたことのないわたしだけど、それはきっと素晴らしいことなのだろう。
「頑張れ、桜ちゃん」
未だ始まりの季節。
これから先の時間の中でずっと二人を見守っていけたらとわたしは思う。
願わくば、わたしの友人に幸せなひと時を――。
《了》
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