5問目:幼馴染 / 幼馴染 ①

「またこんなところで、あなたは何をしてますの?」


 強く照り付ける日差しが肌を焼く昼下がりの屋上で、わたくしこと――有栖川ありすがわ麗華れいかは目の前で寝転ぶ男子生徒に声をかけます。

 一般生徒には立ち入り禁止となっているはずの場所にもかかわらず、どういうわけか気が付けば扉を開け地べたに寝転んでいる彼の姿を、私はこの二ヶ月で何度探し回ったことでしょうか。


「あれ、どうしたの麗華さん。今日は何も用事はなかったはずだけど」


 両手を枕に空を仰ぎ見る目の前の彼――『リン』は、こちらの声には目もくれずいつものようにただぼーっとしている様子でした。

 何もせず空を見上げることの何が楽しいのか、それは私にはよく分からないことではありますが、ただ一つ感じますのは私のことを蔑ろにしているという事実へのいら立ち。

 まぁ当然、その感情を隠す必要もありませんが。


「別に用事はないですけれど、会いに来てはいけないという理由にはならないでしょう?」

「そうだね。それはそうだ」


 率直に告げる私に対し、ようやくこちら視線を向けたリンさんは、何を思ったのがじっとこちらを見つめる。


「麗華さんってさ。なんというか隙のなさが絶妙だよね」

「……は? リンさん。何を仰っておりまして?」

「いや、普通その立ち位置だとパンツが見えそうに……」

「今の発言、録音しましたので後日お母様にご報告させていただきますわ」

「うそうそうそ! 冗談だって。お茶目なジョークっ!」


 おそらく私は今、時折こっそりと呼んでいる漫画で例えれば『ゴミを見る目』でリンさんを睨みつけていることでしょう。

 齢十六歳の男子なのですからそういったこと・・・・・・・にも興味があることは理解しておりますが、この方の場合はそれをセクハラに消化してぶつけてくることが多々あります。


「ありがとう。おかげさまでいいシチュエーションが浮かんだよ」

「最低ですわね」


このクソセクハラくず野郎――こほん。もといリン様にですが、残念ながら私にとって彼は切っても切れない縁があります。


「まぁいいですわ。それよりも明日のこと、まさかお忘れではないですわよね」


 私はポケットからハンカチを取り出し、地面に敷いた上で彼の隣に腰を下ろしました。

 綺麗ではない地べたに腰を付けるなど、お母様が見ればたいそうお怒りになられそうなところだが、あいにく今はリンさんしかおりません。……私、少し悪い子にでもなったのかもしれませんわね。


「大丈夫。覚えてるよ。朝十時に麗華さんの屋敷の前で待ち合わせだろ。しっかりと手帳にも書いてあるよ」


 そう言いながら、リンさんは青色の手帳を私に見せるように掲げ持ちました。

 鞄などは見当たらずどこから取り出したのか分かりませんでしたが、彼はいつもその手帳を持ち歩いておりました。


「リンさんは本当にその手帳をとても大事にしていらっしゃいますわね。毎年同じ形状の手帳を使われているのでしょう?」


 以前、私は一度だけリンさんに手帳をプレゼントしたことがありました。

 あれは中学一年生の誕生日、当時リンさんが手帳を愛用していることを知った私は彼に喜んでもらうため、有名な海外のブランドを調べ、人生で初めて異性にプレゼントを贈るというイベントを経験しました。

 当時、まだ心が未成熟であった私は贈り物というのは価値観こそが全てであり、贈る相手の気持ちなど考えたこともない正真正銘の小娘ではありましたが、そんな私の気持ちを知ってか知らずかプレゼントを受け取ってくださったリンさんの姿に高揚感を覚えたことを、私は今でも忘れません。

 ただ、それは結果として予期せぬ方向に進んでしまったことなどいうまでもありませんが――。


「そうだね。実はこの手帳そんな使い勝手が良くないんだけどさ」


 ほら見てよ、そんな風にリンさんは手帳の中身を私に見せようと差し出されました。


「いいのですか? 人に手帳を見せるなど」

「あぁ、大丈夫。それはまだ使い始めたばかりで見られて困るようなことなんて書いてないから」


 そんなリンさんの言葉にそうですかと一言相槌を打ち、私は彼の手帳を僅かな緊張とともに開き見ます。

 

「……これは、そうですね。なんと申しますか」


 その手帳に、なんと表現すればよいのか……効率を重視しているといいますか、一言で表すのであれば「読みにくい」につきるレイアウトとなっておりました。


「でしょ。読みにくいよね、その手帳」

「昔一度見せていた時には分かりませんでしたが、これはなかなか使いづらいのではないですか?」

「うぅん、まぁそうなんだけどね」


 そう歯切れを悪く答えるリンさんの姿を見て、私は一つの可能性に至ります。

 おおよそ彼の姿がこうなる場合には、ある人物の影が関与することを私は付き合いの中で学んでおりました。


「もしかして、お爺様が何か関わっておりますの?」

「さすが麗華さん。よく分かったね」


 今年の一月に大往生されたリンさんのお爺様。

 テレビでもニュースに流れるなど大きな存在感を示していたその方は、私が知る限り大層孫であるリンさんに甘々な好々爺の印象が強く残っておりました。

 何度かお会いになった際には私にも優しく接していただき、リンさんはとても良い家族に恵まれたものであると羨ましく思ったほどです。


「実はこの手帳。再来年の分までもう用意してあるんだ。ちょうど高校を卒業するまでの手帳ってことなんだけどさ。すごいよね、もう既にそこまでに日にちで手帳が刷ってあるんだ」

「……それって祝日とかそういうのは大丈夫ですの?」

「いや駄目だったね。ほらここ、見てみてよ」


 そういいながら指差す部分には「平成三十三年」と記載されていた。


「そうですか。あの方は平成に生きてましたのね」

「そう、そして僕は平成三十五に高校を卒業する予定なんだよ」


 実にあの方らしいと、私は思わず口元を抑えて笑みをこぼしてしまいます。

 どのような意図で手帳を用意されていたかはわかりませんが、それでもきっと孫であるリンさんが使ってくれるだろうと思い、彼のために手帳を作り送ったことなのでしょう。亡くなった後でさえなお好々爺らしい一面を見せるお方ですわね。


「まぁこの話はここまでで良いとして。麗華さん、お昼ご飯は食べないの?」

「あら意地悪ですこと。こちらを見てものを申して頂けるかしら」


 何かを思い出すように話を切り替えるリンさんに、私はその質問は想定通りであることを伝えつつ手提げカバンから包みを一つ取り出します。


「どうせあなたがここにいるだろうと思いまして、今日はお弁当を持参し歩きましたの。たまには外で食べるのも良いかと思いまして」

「なるほど。さすが、用意周到だね」


 膝元で包みを開き小さな弁当箱を開くと同時に、リンさんはようやく飛び起きてこちらを覗き見る。

 卵焼きにミートボール、少々野菜など彩りも加えつつ作り上げたお弁当のにおいに釣られ起きたようで、なんだかそれが少しおかしく感じてしまいました。


「麗華さんってあれだよね。本当にお嬢様? って思っちゃうくらい庶民的な感性をしてるよね」

「馬鹿にしてますのあなたは」


 ふと放つリンさんの言葉に怒りを覚えた私は、彼に背を向け一人お弁当を食べ始めます。


「あぁ、ごめん。悪気はないんだって」

「…………」

「あの、麗華さん?」

「…………食事中ですので静かにして頂けます? 私、雑談しながら食事するのが苦手ですの」

「いつもあんなに喋り散らかしてるのに?」

「……………………」

「あぁ、嘘だって! ごめんなさい」


 彼の情けない声を聴いてるうちに段々とどうでもよくなってきましたわ。

 はぁーと見せつけるようにため息を一つ吐き、機嫌を直したように身体の向きを元に戻します。

 時折、こういう意地悪をしたくなるのだから、私自身に困ったものですわね。


「それで、どれを食べたいんですの?」

「おぉ、さすが! えーっと、その卵焼きを一つ」


 リンさんが指差す卵焼きを食べやすいサイズに橋で割り、私はそのまま彼の口元まで運びます。


「ほら、口を開けてくださいまし」

「え、いいよ。ほら手に乗せてくれれば」

「駄目に決まっているではありませんか。綺麗な手ではないのですから。雑菌には気を付けませんと」

「はぁ、分かったよ。あー」


 観念したかのようにリンさんは口を開き、私は上手い具合に箸を運びます。

 ちょど良さそうな位置で箸を止め、ゆっくりと卵焼きを口で加えさせた後、引き抜く。

 いまさら間接キスなど気にはしませんが、お母様曰くそういうこと・・・・・・はまだ早いと教えられている以上、逆らうわけには参りません。


「おーっ、相変わらず美味しいね」

「お褒め頂き光栄ですわね」


 特に顔色を変えるわけでもなく近づく互いの距離。

 ただそれ以上何かあるわけでもなく、私とリンさんのいつもの日常はこうして過ぎていくのでした。

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