第4話 故郷ってどこだろうね
前回同様引っ越しの不満をぶちまけようと思っていたけれど、ふと思ったので考えてみる。
辞書によるとこんな感じ。
1 自分の生まれ育った土地。故郷(こきょう)。郷里。「—に帰る」
2 荒れ果てた古い土地。特に、都などがあったが今は衰えている土地。
「君により言の繁きを—の明日香(あすか)の川にみそぎしに行く」〈万・六二六〉
3 以前住んでいた、また、前に行ったことのある土地。
「ひとはいさ心もしらず—は花ぞ昔の香に匂ひける」〈古今・春上〉
4 宮仕え先や旅先に対して、自分の家。自宅。
「見どころもなき—の木立を見るにも」〈紫式部日記〉
結構あいまいでこれといった定義はないようです。自分で古里と思えばそこが故郷という感じでしょうか。
それを踏まえて私の故郷はどこだろう。
一番長く住んだのは父の転勤できた札幌でしょうか。しかし、その時はすでに高校生だったので、ふるさとという童謡のイメージとはかけ離れていますね。兎追いし彼の山っていうあれです。
あそこまで昔のイメージじゃないですが、誰しもが思い当たる幼い子供時代を過ごした場所というのが、故郷なら長く住んだのかは関係ないのかもしれません。しかも、社宅住まいで、すでに両親はそこに住んでいませんし、今ある実家は父の退職後に買った家なので住んだこともありませんから、親がいるからといって故郷でもないですね。
では小学校時代を過ごした街かといえば、そこも一度引っ越ししているうえ、通っていた小学校も廃校になり中学校にいたっては綺麗に建て替えられてしまっています。
でも、そのころ遊んだ友人が今でもいると思うので、そこが私の故郷なのかもしれません。
寂しいと言えば寂しいけれど、一か所にずっといたことがないので、数年前まで気にしたことはありませんでした。
寂しいと思ったのは実は結婚して、3回目の転勤の時です。
そのころも、ド田舎にいました。
上の子が幼稚園の時で、まあ、そうじゃないかと思てはいましたが、私と同じく転勤で来ていたお母さん以外は地元でほぼ生まれた時から顔見知り、爺ちゃんから孫までどこの人間か知っているような顔ぶれでした。
それはそれでしがらみがあるのでしょうけど、集まれば楽しそうに知らない人たちの話で盛り上がるのを見ると、結構孤独です。
被害妄想かもしれませんが、小学校時代の話で盛り上がられたら、友達になれる気がしません。
あ、話がそれたしこの後すごく仲良くなれたので私の被害妄想だったのですが、それはそのうちまた書きます。
さて、故郷の話に戻ると、転勤族に生まれてしまったのは仕方ないし、転勤族と結婚してしまったのもしかたないので、本当は住めば都だよ、と心から言えるのが一番いいんですが、結婚したての頃は到底そうは思えなかったのは前回書きました。
では子どもの故郷はどこになるんだろう。
二人ともすでに結構な数引っ越ししているので、小さい時は覚えていないようでした。上の子は幼稚園の記憶はあるものの街のことなどは結構忘れているようです。
思い出にあるのはやはり小学校からのようで、すでに一度転校させてしまったのですが、将来故郷と聞かれたらそのころを思い出すんじゃないかと思います。
今はスマホもあるし縁が切れるという事がないので、住む場所はあまり関係なくなってきたのかもしれません。
ちょっとうらやましいかな。
逆に、地元にずっといる人にとって、故郷とはどういったものなのでしょう?
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