第3話
事前に罪人のことを全く聞いていなかった俺は、ひとまず目の前の令嬢に話を聞くことにした。
名前はヘンリエッタ=オルグレン。例の婚約破棄騒動の公爵令嬢だった。牢屋に似つかわしくない青いドレスを着た彼女は、綺麗な見た目とは不釣り合いな程薄汚れていた。
「婚約破棄は噂で聞いてたっスけど、なんで地下牢なんかに? 国王様は外交で今国外に……あっ!」
「そうよ。お察しの通り、今のジェド王子には王権代行権があるわ。それを使って、私を不敬罪で捕らえたのね……」
ヘンリエッタ様は憎々しげに天井付近の通気口を見た。
「国王が不在の間の王権代行権は分かるっス。一応城勤めの兵士なんで。ただ、王権代行権で公爵令嬢の投獄なんて、聞いたことないっスね」
「当たり前じゃないのよ、このウスノロ。そもそも、我がユフノー公爵家から犯罪者なんて前代未聞だわ。お父様はどうお過ごしなのかしら……心配だわ……」
「アンタが悪いことやっちゃったんだから、親父さんも諦めるしかないんじゃないスか?」
「そんなことやってないわよ!」
バシッ!
俺の頭に鈍痛が走った。
慌てて顔を上げると、どうやら牢屋の前で話をしていた俺の頭をヘンリエッタ様が引っ叩いたことがわかった。牢屋から出ているヘンリエッタ様の右手の先に、僅かに血がついている。
……血?
「えっ……あっ、あ、あなた、頭がっ!」
「エッ?」
温かい液体が額を伝ってくる。違和感に手を伸ばし触れると、何かの液体にぬるりと触れた。
降ろしたその手には、大量の血がついていた。
「あれっ⁉︎ あっ、なんか痛ぇっス!」
「な、なんで男のくせにそんな貧弱なのよ! 良いから早く手当てなさいよ! 白魔法くらい使えるでしょ!」
「習ってねーっスよ! 使えるわけねーっス!」
ヘンリエッタ様が慌て右手を伸ばし、何かを唱えようとしてから「足枷!」と呟き、舌打ちをしてから牢屋の奥へ消えた──おそらく、魔封じの足枷をされているのだろう。俺は手のひらで傷口のあたりを押さえ、布が無いかを慌てて探したが見つからない。兵士の制服は汚すと洗濯室から苦情が来るから面倒なのに。
「ほ、ほらっ! 頭貸しなさいよ!」
ヘンリエッタ様に言われて慌て牢屋に駆け寄る。すると、どこから取ってきたのか、引き裂かれたような白い布を持っていた。
頭を牢屋に近付けると、乱暴ではあるが器用にクルクルとその布を巻いてくれる。
「……ほらっ! こ、これでわたくしのせいじゃないわよね!」
「おー、助かるっス。あっ、ヘンリエッタ様の手は大丈夫っスか?」
俺を手当てするために牢屋から出ているヘンリエッタ様の両手に触れ、その冷たさにギョッと目を見開いた。
「つ、冷たっ!」
ヘンリエッタ様の手は、まるで金属のようにひんやりとしていた。
「……やっぱり。わたくし、あの婚約破棄の日からずっと身体が変なの」
ヘンリエッタ様が牢屋に手を引っ込め、両手を見つめる。指先にはまだ俺の血が付いている。
「暑さも寒さも感じないのよ。痛みにも鈍感になっている気がするわ。今だって、あなたの頭を叩いたのに何の痛みも感じなかったのよ」
「ええっ? 俺は頭から血が出てるっスよ?」
ヘンリエッタ様が不安げな顔でこくりと頷く。
「俺の親父が医術士なんスけど、ヘンリエッタ様のこと聞いてみるっスか? 同じ城にいるっス。こっそりなら親父を連れてくることも出来るかもしれないっス」
「ほ、本当? 嘘じゃないわよね? 嘘だったらクビにするわよ」
「あはは! 今のアンタにそんな権限ないっスよ。でも医術士なのは本当っスよ。俺と違って親父は頭良いんスよ」
軽く笑ってそう答えると、ヘンリエッタ様がほっと安心した様にため息をついた。その安堵した微笑みに、俺は内心どきりとした。
「そういえばあなたの名前を聞いてなかったわ。名乗りなさい」
「あ、そーっスね。俺はジャック。平民なんでそれだけっス。でも親父は名誉爵があるんで」
ガシャン!
突然地下牢に続く扉を開く大きな音がして、俺とヘンリエッタ様はびっくりして音のした方に振り返った。
「ヘンリエッタ!」
カツカツと地下牢に鳴り響く音がする。
俺はヘンリエッタ様を呼ぶその声に、慌てて跪いて兵士の礼をとる。予想通り、階段を降りてきたその声の主は、ジェド王子だった。
「ジェド様っ……!」
ヘンリエッタ様が震える声で王子を呼ぶ。
「この毒婦が。俺の名を口にするんじゃない」
ジェド王子は厳しい口調で言う。
「貴様の処刑が決まった。火炙りだ」
「なっ……! 審問会もないのに処刑だなんて、どうかしてますわ! 国王様はなんと仰っておりますの⁉︎」
「俺の決定は父上の決定だ!」
ジェド王子はピシャリと言い放つ。
「……おい、そこの兵士」
「ハッ」
俺は自分が呼ばれたことを察し、立ち上がってからジェド王子に向かって礼をする。
「この女を牢屋から出せ。処刑は準備出来次第行う。裏庭に連れて行け」
「……承知いたしました」
ヘンリエッタ様が喉の奥に張り付くような小さな悲鳴を上げたのが聞こえた。
ジェド王子は舌打ちをし、ヘンリエッタ様を睨むと踵を返し地下牢を後にした。
「……ヘンリエッタ様、早速ですがお別れっスね」
「そ、そんな……」
ヘンリエッタ様はへなへなとその場にへたり込み、呆然と空を見つめている。
俺は牢屋の鍵を開けると、ヘンリエッタ様に立ち上がるように言った。しかし、ヘンリエッタ様は呆然とするばかりでその場を動こうとしない。
「ヘンリエッタ様、行きますよ」
俺は動かないヘンリエッタ様に痺れを切らし、腕を掴んで引っ張り上げようとした。
しかし、ヘンリエッタ様はびくともしない。重い。重たすぎる!
「お、重っ……!」
「重くないわよ!」
ヘンリエッタ様は俺の言葉に、勢い良く立ち上がった。
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