最終話 ルーマニア国トランシルヴァニア 5
消えたふたりを追って、わたしはバルコニーに飛びだした。
視界に彼らの姿がまったく見えない。
「マロン! マロン、マロン!」
バルコニーの木造フェンスから身を乗り出した。
閑散期なのか、宿泊客もあまりいないのか、ホテルは静寂のなかに落ち着いている。
その時、月が翳ったように感じ、上を見た。
黒いふたつのシルエットが重なって、抱き合うように空を飛んでいる。
「と、飛んで、飛ぶって。マロン!!」
とっさに、わたしはバリコニーから乗り出した。
飛べる!
いや、そんなはずはない。わたしは人間だ。でも、でも、法光の怨霊に、わたしのなかの何かが反応して不思議な力を発揮することができた。
もしかしたら……。
「マロン!」
窓ぎわに下がり、思いっきり助走して、木製フェンスをバンっ右足で叩き、空中に躍り出た。
両手を広げ、マロンに向かって飛んだ。
三十三歳。自分の愚かさを、いまだに知らなかった。
体は想像したように浮かばなかったのだ。少しだけまっすぐに飛んだが、そのまま地球の重力に引きずられ、手足を空中でばたばたさせながら、地上へと落ちていく。
(ヒイイィ〜〜〜〜〜〜〜)
絶叫したかったが、声にならない。
幸運だったのは、バリコニーのすぐ下は屋根で、一メートルほど落ちて、屋根にぶつかったことだ。
痛かったが、思ったほどではない。
しかし、その後が悪かった。落ちた勢いで体が回転して、そのまま更に屋根から転げ落ちそうになった。
必死に、屋根の端につかまって、体を支える。
だ、誰か、誰か助けてと救助を叫ぶ前に、手首をつかまれた。
「モチ! なんてことを」
マロンがわたしを屋根に引きずり上げた。むかつくヴァンパイアはすでに消えている。
「な、なにをしているの」
「わたしも、ハアハア、飛べるかもって」
「バカね、この子は、ほんともうバカだわ」
「バルコニーの下が屋根でよかった、ハアハア」
斜めに下がる屋根の向こう側に地面がある。もしかしたら、そのまま転げ落ち、さらに……、想像するとぞっとした。
わたしは屋根の上に寝転がって息を整えた。
「戻ってきたのね、マロン」
「何を言っているんだか、この子は。戻ってくるに決まっているじゃない」
「でも、空を飛んでて」
「あのバカの悪ふざけよ。そういう奴なの」
「その奴は」
「笑って消えたわ」
「行ってしまうかもと思って。こんな見知らぬ街でひとり残されたら、どうしたらいいのか」
「航空券を取って、パスポートを見せて日本に帰るのよ」
マロンの言葉は冷たい。しかし、その奥にある優しさを知っている。だから、わたしも適当に話をはぐらかしてしまう。
なぜなんだろう。
いつも、わたしたちは互いに気遣いながら、核心に触れることを恐れている。
「確かにね、わたしも大人だから、そのくらいはできるわよ。クレジットだって持っているしで」
「とても大人とは思えないけど」
大きくため息をついて、マロンが「怖かったわよ、ほんとに」と呟いた。
その言葉が、マロンには悪いと思うが嬉しくて、わたしは気を取り直して陽気に聞いた。
「それで、次はどうするの?」
「会ってみたい妖は?」
「そんなもん、ある訳ない。普通は、全力で避ける案件よ」
「そうか、ヴァンパイアは好きだと思ったがな」
「もうちょっと、美形を想像していた。なんか、あいつは気味が悪い」
「あれでも繊細だ。傷つくぞ。では、魔女、フランケンシュタイン、悪魔、今も皿を数えているお菊とか」
「交友関係が独特すぎる」
マロンは背が低いので、隣に並んで腰を下ろすと顔が見えない。目を見れば、ささいな感情のゆれを知ることができるのだけど。
隣り合ってすわると、頭部と長いまつ毛しか見えない。隠れた目は何を語っているのだろうか。「マロン、マロン」と呼ぶと、上目遣いにわたしを見た。その、ちょっと小生意気な表情が好きだ。
「あんたに、わたしのことを知ってほしくて。だから、一番長いつきあいのヴァンパイアを教えたかったのよ。迷惑だったわね」
迷惑と言うなんて、マロンがわたしに遠慮するとは驚いてしまう。わたしもマロンも正直じゃないし、素直でもないから。
「ああ、もう、すっごく迷惑。なんなら、この後、すべての人外に出会って、迷惑だって言いまくろうか」
マロンがほほ笑む。静かに澄んだ湖のように深く深く瞳が沈んでいく。
わたしは彼女が何者かということなど関係なく愛していると思う。ただ、それだけのことを言えずに、わたしたちは遠回りしながら、それでも満たされていた。
(ヴァンパイア編:完結)
【完結】陰陽師の呪縛 〜男を必ず落とす超モテ女の秘密〜 雨 杜和(あめ とわ) @amelish
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