第2話 授業で再会
常二は、珍しく一限の授業に間に合って、大講義室のいちばん後ろで入り口のそばの席に座り、ノートを開く。
美学概論の先生は、小説の一節を読み上げた。
「山崎は山城の国乙訓郡にあって水無瀬の宮跡は摂津の国三島郡にある。されば大阪の方からゆくと新京阪の大山崎でおりて逆に引きかえしてそのおみやのあとへつくまでのあいだにくにざかいをこすことになる。わたしはやまざきというところは省線の駅の附近をなにかのおりにぶらついたことがあるだけでこのさいごくかいどうを西へあるいてみるのは始めてなのである。」
「さあ、この小説の題名がわかる人はいますか?」と言って、数百名の学生たちに視線を向けた。
誰も手を挙げなかった。
常二は以前に読んだ、谷崎潤一郎の「蘆刈」だとすぐに気づいたが、手を挙げない。
「省線というのは、」先生の話に身を乗り出したとき、後ろのドアが勢いよく開いて、一人の女子学生が入ってきた。常二の横が空いているのを目にすると、「すみません」といいながら下げた顔にかかる長い黒髪を掻き上げた。
二重のはっきりした目と白い歯で、中央芝生で出会った女だとすぐにわかった。
女は、常二が席を立って、跳ね上げ式の座面を立てるのを待っている。そうしないと奥の席に入れないのだ。
「あれ、あの時の」女は常二の顔を見て、大きく目を見開いた。
「アメちゃんくれたひとやね」
「あの時はほんとうにごめんなさい」と申し訳なさそうに言う。
「ちゃんと食べてくれた?」
「ああ、食べました」
「そう、ありがとう」と言って、常二の目を見つめる。
なんてかわいい人なんだと改めて常二は見惚れてしまった。
常二の前をすり抜け、すぐ隣に鞄を置く。上等の革のバッグだ。黒のワンピースも長い黒髪と合っていて、大人びた感じを与える。
「これ取ってたの」
「出るのは今日が初めて」と常二は女に答えて、前を向き、先生の話に注意を向けようとした。
しかし、横に女が座っているのが気になって、話がさっぱり頭に入ってこない。
十分ほど、そんな状態が続いていると、女が自分のノートの端に「お名前教えて」と書いて常二に見せた。
訝りながら、「賀集常二」と名前をシャープペンで書くと、女も「阪上美彌」ときれいな字で書いて見せた。
講義が終わると、次の時間は空いてるかと聞く女に、出席が厳しい授業が入っていると答えると、「じゃあ、またね」と手を振って、講義室から出て行った。
その後ろ姿を見送りながら、後ろ姿も惹かれる人だなと思った。
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