第11話 塚本の自殺
秋の大学祭で、常二は軽音楽部の知人に頼まれ、サポートで二曲だけギターを弾いた。演奏が終わったあと、何人かの学生から、よかったよと声をかけられてうれしくなった。待っていた美彌に聞くと、「よかったわ。でも、なんだか別人みたい」と言った。「惚れ直した?」と聞くと、美彌は「調子に乗ると、大阪湾よ」と笑いながら言った。
その知らせは下宿に来た柴崎から聞いた。
珍しく深刻な顔をした柴崎は、同じゼミの塚本が、自殺したと告げた。
塚本は実家がお寺で、親との折り合いが悪かったらしい。
塚本は先月、初めて常二の下宿を訪ねてきたのだった。
その晩は音楽や彼女のことなど、他愛もない話をして常二の下宿に泊まって帰ったのだが、塚本からはそんなそぶりは一切感じ取れなかった。
柴崎の話を聞いた常二は全身に鳥肌が立った。
柴崎は葬式に行くというのだが、常二はあいにく断れない仕事が入っているので、参列できないと言った。
柴崎は俺がお前の分も併せて参列してくるから、気にするなと言って帰った。
下宿で一人になると、常二は塚本が来たときのことを反芻した。
塚本の表情、言葉を記憶から洗い出す。
何気ない会話の中に原因と思われることはなかったか?
たしか塚本は、常二の親のことを尋ねた。
常二は隠さずに、自分の家は母子家庭で、父には一度も会ったことがない、実家は経時的に苦しくて、学費も仕送りもなく、アルバイトに追われている、そう言うと、お前もたいへんなんやなと塚本は言った。
なぜ、あの時、死ぬことを考えていたなら、相談してくれなかったのか。そうしたら少しでも引き止めることができていたかもしれない。
塚本はおしゃれな人で、いつも人目を惹く個性的な服装をしていた。それがよく似合っており、おしゃれは塚本に聞け、が周囲の評価だった。
実家の寺を継がなければいけないことと、塚本のおしゃれなことが、相容れない要素として自殺に結びつくのか。
常二はそこまで考えて、自分も高校二年生の秋に一度、自殺未遂を起こしたことを思い出した。
その原因は、医者から、今の体調なら、通常の社会生活は一生無理だと宣告されたことだった。
高校に入学してから常二は体調に異変をきたした。毎朝からだが重く、だるく、起きにくくなってしまった。
クラスの友人はサボりだと言って笑ったが、学校の健康診断で尿検査の数値が異常だと言われ、病院で検査をすると、即日入院させられた。
十日間ほど入院していた間に、楽しみだった修学旅行は終わってしまった。
いろいろな検査を受け、告げられた診断が、腎臓に深刻な奇形があり、普通に社会生活を送ることはできないだろうという結果だった。それを聞いた母は動転し、なんとか治らないのかと医者に尋ねたが、医者はしばらく様子を見るしかないという返事だった。手術も投薬もなく、投げ出されてしまったのである。
常二は、それ以来、学校を休みがちになり、勉強も遅れて成績が急下降した。国公立大学に進学することが目標だった常二は、半ばその夢を諦めかけていた。
そんなあるとき、発作的に睡眠薬を大量に飲んでしまったのである。
薬は眠れないからと言って処方されていたものに、ひそかに手に入れていたものを加えて飲んだ。
何かの強い力で吸い寄せられるようにして起こした突発的な行為だった。
たまたま外出先から戻った母が常二の異状を発見し、すぐに救急車で運ばれた。
幸い処置が早くて、命に別状はなく、翌日には退院できた。ただ、退院するとき、医者からきつく叱られた。高校にはそのことは連絡されなかった。一年後、再検査したときには奇跡的に完治していたのだが。
そんな過去がある常二には、塚本の自殺は自分の過去をえぐり出されるようで、痛かった。
夜になると、その当時のことを思い出して、無性に死にたくなった。
何かの引力で高いビルの屋上にひきよせられる。そしてフェンスを乗り越えて、身を投げる。そんな妄想が頭の中で繰り返される。
常二は怖くなって一人で涙を流して夜が明けるのを待った。
夜が明けると妄想は消えて、安心して眠りに陥る、そんな日が何日か続いた。
自分でもこんなことではいけない、妄想を断ち切ろうと思うのだが、自分の力ではできない。
美彌からの連絡には返事ができなかった。心配しているだろうなとは思ったが、今の精神状態では美彌にちゃんと向き合うことができなかった。
常二を心配して、一度下宿に来た柴崎は、塚本のことは気にするな、どうしようもないことだと言って慰めた。
このままでは自分はダメになる、美彌も泣かせてしまうと思うのだが、柴崎には自殺のことは言えなかった。
柴崎から様子を聞いたのだろう、柴崎が来た翌日に、美彌が一人で常二の下宿に来た。
夕方誰かがドアをノックするので重い身体を起こして、出ると、美彌だった。
ひげも剃らず、顔色の悪い常二を見ると、美彌は、わっと声を上げて泣き出し、常二に抱きついた。
部屋に美彌を入れ、心配をかけて済まないと謝った。
美彌は常二に抱きついたまま身体を震わせ、長い時間泣いていた。そしてやや落ち着くと、常二の目を見て、
「ちゃんと話して、何があったの」と言った。
「私に隠し通すつもりなの?」
「何でも聞くって言ってくれたでしょ、私も同じ、何でも聞くから」
そう言うと、常二の手を強く握った。
「塚本が死んで、思い出したんだ」
「何を?」
「自分も死にたかったときがあったのを」
常二は高校生の時の自殺未遂のいきさつを美彌に隠さず話した。塞がっていた傷口が痛みを伴って、また開いてしまった、そんな感覚だと言った。みじめで、恥ずかしい、こんなことは美彌には知られたくなかった。
聞き終わると美彌は、「抱いて」と言った。
常二は頭を何かで殴られたような衝撃を受けた。
美彌は身を以て僕を救いに来たのか。その思いを汲み取らずに拒むことはできない。そう思うと、常二は夢中で美彌を抱きしめた。
濃密な時間が過ぎていった。
夜中に目覚めると、常二の横で美彌が寝入っていた。裸の肩を揺すり、美彌を起こした。
「大丈夫なの、家は」
「美和の家に泊まると言って出てきたから」
キスをせがむので、唇を合わせた。
「うふっ」といつものように言った。
「ねえ、もう一回」そういう美彌の身体をきつく抱きしめた。
翌朝、目覚めて見た美彌の姿は、まぶしいくらい美しく、いとおしかった。花に包まれていた昨夜の喜びをかみしめた。死のうと思った妄想がかき消されてしまった。
二人でシャワーを浴びて、服を着替え、外へ出た。久しぶりの外の世界は、色とりどりの花にあふれ、輝いていた。
駅前のカフェでモーニングセットを二人で食べた。
「二人なら乗り越えられるんだから」
「悪かった、自分を大事にできなくては」
「美彌のことを大事にできないね」
「また泣かせたわね」食べ終わると、美彌が言った。
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