第6話:デビュタントに向けて


「おはようございます。アオイ様」

 朝、小鳥の声で目を覚ますと、碧衣の寝ているベッドの前にはずらりと侍女がいた。


「え、これは……なに……」

 前の生活でもこんなに人が来ることはなかったんだけど……。


「おはよう、アオイ」

「あ……うん、おはようアーノルド。そして近いよ」

 ベッドサイドに座って碧衣の目の前に来るアーノルド。……朝一番にドアップで高レベルのイケメンは心臓に悪いんだが。

「今日から公爵様の姉夫婦が来るんだってさ」

「あぁ、そうだったね、そういえば」

 碧衣は寝起きの頭を強制的に回転させて昨日のことを思い出す。


「朝食はどうする?」

「……コーヒー、ほしい……」

 碧衣は朝が弱い典型的なタイプだった。何なら、友人には誰かの声で起こされようものならその人間を視線で殺す、”朝方特化型殺人鬼”とまで呼ばれていたほどだった。

「こぉひぃって、何」

 アーノルドは不思議そうに碧衣の顔を覗き込む。

「……なんでもない」

 そっか、ここは一応家だけどそうじゃないのか……。

 慣れない大きすぎるベッドに目の前の侍女たち。今まで以上に規模の大きい対応に碧衣は引け目すら感じていた。


「では、失礼します」

「は!?ちょ……」

 のそのそと起き上がった瞬間に侍女たちが碧衣の腕を掴み、背中を押して部屋の奥へと連れて行く。

「アーノルド様はここでお待ち下さい」

 最後に部屋に入る侍女は頭を下げて部屋へと入っていく。


「本日は顔合わせの日です。綺麗にしなくては」

 と侍女たちは意気込んで碧衣を入浴させ、オイルマッサージを行い、彼女に似合うドレスを次々に彼女の身体に当てていく。

「はい、踏ん張って!」

「ぐっ……」

 ──苦しすぎるんですけど!?

 人生初のコルセットは、碧衣自身、正直二度とやりたくないと感じていた。

 碧衣の目の前を忙しそうに動き回る中、碧衣の身支度は順調に終わっていく。そんな中、当の本人はとっくに憔悴しきっていた。

 ──これがこの世界の貴族は毎日あるんでしょ……耐えらんない。

「次は──」

 碧衣が侍女に振り回されて数時間。

「完璧です!」

「はぁ……」

 鏡には、満足げな表情で碧衣の後ろに立っている侍女たちと、一日の体力を使い果たしたかのように完全に疲れ切った顔をしている碧衣が写っていた。


「アーノルド様の方は?」

「終わって部屋にいらっしゃいます」

 侍女長の声に別室から入ってきた侍女の一人が声を上げる。

「ではアオイ様。こちらへ」

「はい」

 侍女長の後ろを歩いてさっき侍女が入ってきた扉を抜ければ、

「クロード様、アーノルド様。アオイ様の準備ができました」

 アーノルドとクロードがいた。


「おまたせしました」

 碧衣はそう言って侍女長の後ろから2人の前にでる。

「いえ。そこまで待ってませんので……」

「これは……」

 見るからに柔らかそうなソファから腰を上げて碧衣の方を見ながらいうクロードは、語尾が段々と小さくなり、アーノルドは口元に手を当てて碧衣からスッと視線を外す。

 ──これは似合っていないということなのだろうか。そりゃ、The日本人の顔をしている私だとこの国の人と比較しても顔平たいし、洋風のドレスが似合わないのはわかる。正直私も式典とかのときは和装だったもんなぁ。……けどこの反応はやだなぁ。似合わないなら似合わないと言ってほしい。


「お2人とも」

 沈黙が流れる中、見かねた侍女長は無表情のまま大きく声を上げる。

「アオイ様のお姿になにか言われてはどうですか。戸惑っていらっしゃるでしょう」

 ──そうそう。似合わないなら似合わないと言ってください。

 碧衣は心のなかでうんうんと頷く。

「こんなにもドレスと化粧が映える方はいません!今までで最高と言っても過言ではないほどの出来なのですから!」

 ──え!?そっち!?

 想像してなかった言葉に碧衣は足の力が抜けそうになるのを踏ん張って持ちこたえる。

「……確かに。同い年頃だったときの姉上よりも綺麗だが」

「アオイ、なんか顔変わるなぁ」

 クロードはともかく、アーノルドのその言葉は褒め言葉と取っていいのだろうか。

「アオイ」

「はい」

 侍女長が満足した顔で頭を下げて出ていけば、クロードが碧衣の前に出る。視線はいつものようにしっかり合うことはなく、なぜかクロードの視線はあっち行きこっち行きしている。

「あと半刻もすれば姉上たちがいらっしゃるので応接間に行きましょう。そちらで基本的な挨拶を教えます」

「わかりました」

 正直、ドレスアップでお腹いっぱいなんだけどなぁ、なんて思いつつ、碧衣はクロードの半歩後ろを歩き、応接間に入り、クロードに基本的な挨拶を教えてもらい、なんとかマスターしたというところで夫妻がやってきたという知らせを受けた。

 緊張しつつ、扉をチラチラ見ながら待っていると。


「クロード!!」

 バンっと扉が勢いよく開いたかと思えば、碧衣は、自分の横をすごいスピードで何かが通った感覚を覚えた。

「……姉上、苦しいです…………」

 クロードの声がしたほうを見れば、クロードはソファに座ったままミントグリーンのドレスに押し倒されているような絵面が見えた。

「だって、クロード。あなた全然連絡くれないじゃない。家に行こうにも予定合わないし。久々に会うから、嬉しくって」

 と、クロードの向かいのソファに座ったのはクロードに顔立ちがよく似た、いや、正直に言ってしまえばクロードを女性化したような女性が自身の腰に手を当てて立っていた。


「その辺にしなさい、お嬢さんが困っているではないですか」

「……あら?──まぁまぁまぁまぁ!」

 クロードでもアーノルドでもない、男性の声に一息ついて落ち着いたのか、部屋をぐるりと見渡したあと、碧衣の存在に気づいた女性は碧衣をみて、口元に手を当ててニッコリ笑う。

「この子、ものすごく可愛いじゃない!なになに?クロードの新しい彼女?」

 ニマニマしながらクロードを見ている。

「姉上、彼女が例のアオイ・ヒメヅカです」

「まぁ!私はカトレア・リュ・ビスクレアよ。よろしく」

 カトレアはウィンクをしていう。

「私はカトレアの夫のジーク・リュ・ビスクレアです。ビスクレア公爵家の次期当主です」

 カトレアの隣に座ったジークはきれいな銀髪で爽やかに笑っていた。

「はじめまして。私はアオイ・ヒメヅカと申します」

 右足を少し後ろに引いて両手でドレスを少し持ち上げて頭を下げる。

「まぁ。きれいな所作ね。それに可愛らしいわ」

 と小さい子にするように碧衣の頭を撫でるカトレア。

 ──私のことを何歳だと思ってるんだろうか。外国人は日本人のことが幼く見えるってのはあるし、なんとも言えない。私が高校生の時、仕事でヨーロッパに行ったときは中学生と間違われたレベルだった。


「今日から、ビスクレア家の養女となるのだけれど、アオイちゃんはそれでいいかしら?」

 ビスクレア夫妻には、碧衣は、「私が異世界から来た」ということを言ってある。普通はありえないことだけれど、この夫妻は『それでも構わない』と受け入れてくれた。しかもどこの馬の骨かもわからない小娘を、だ。そんな寛大な夫妻を拒否することは私にはできない。

「はい。こちらこそ、よろしくおねがいします」

 碧衣は深く頭を下げて、養子縁組書類にサインをしていく。

 そうして、この世界で、私は、アオイ・リュ・ビスクレアとして生きることになった。


 名前が変わったと同時に、碧衣は、この世界に合わせて変わったことがある。

 それは年齢だ。

 クロードやビスクレア夫妻が言うには、この世界の20歳は流石に若すぎるということで、この世界でデビュタントする平均年齢の200歳ということになった。一気に10倍も老けたような気がして違和感しかないのだけれど。郷に入れば郷に従え。そのことわざ通り私は従うしかないのか……。

 ちなみに、家は『一応クロードの婚約者なんだし、このままでいいだろう。私達の家も近いし、教育は私達の家に来ればいいし、何も問題はない』とジークの一言で、碧衣はクロードの家にこれからもいることになった。


「それとこれは確認なんだけど」

 だいたい全部のことが終わったとき、ジークは声を上げる。

「アオイのこの”カミツカイ”というのはなんなんだい?」

「あ、私も気になってた」

 ジークがトントンと書類に書かれた箇所をたたきながらいえば、便乗してカトレアが碧衣の方に身を乗り出す。

「あぁ、それはですね……」

 碧衣が口を開くと、ビスクレア夫妻は、それはもう興味津々な顔で碧衣を見つめる。


『スイ。来て』

 この前、セツが”呼ぶときは名前呼んでくれたらいい”といっていたのを思い出し、試しにスイの名前だけを呼んで召喚してみる。

[碧衣ー!!]

 なかなか出てこないな、と思っていれば、後ろから、涼しさをまとったのが、のしかかってくるのがわかった。

「スイ、重いんだけど」

 スイは碧衣と離れることなく、碧衣の頬にスリスリと自身の体をくっつけてくる。正直私は涼しいけど、この行為自体が暑苦しい……。

[だって碧衣、僕のことなかなか呼んでくれないじゃん?最近はセツのほうが多いし……。こないだなんかフウガのやつ、勝手に碧衣に会いに行くし……]

 とすねた彼女のような言い訳をしてくる。

 ──はぁ……。すねられると面倒なんだけど。今度夏にでも、避暑のために呼ぶか。


「アオイ、この人?は……」

 カトレアが戸惑ったように声を上げる。

「あぁ。彼は私が契約しているうちの1人です。私の世界では水の神でした」

 碧衣がさも当然に言えば、3人は呆然とした顔でスイを見つめる。

「まさかとは思ったのですが。他にもいたのですね」

 クロードは、驚いた顔で碧衣とスイを交互に見つめる。

[まさか。碧衣と契約してるのがあいつだけだと思わないでほしいよ。フウガのやつ。こないだ帰ってきたときに碧衣との関係を見せてきた、とかドヤ顔してきたんだよ?]

 スイはブゥっと膨れながら言う。

「クロードの話では何を言ってるのかわかるということだったけど……」

「今は何を言ってるのかわからないわ」

 ビスクレア夫妻は不思議そうな顔をする。

[仕方ないなぁ。人間にここまでするのなんて、自慢したがりのフウガくらいなんだけど]

 ぼそっとつぶやいたスイは、すぅっと碧衣の横を宙に浮いたまま通り、ビスクレア夫妻の前に出ると、霧のような粒子をこの空間にいる人間にまとわせる。

[僕はスイ。碧衣が紹介したように水の神だよ。碧衣を傷つけたらたとえ里親でも許さないから。最悪、権力を全力で行使するし]

 と最後、スイは目を細めながら、ものすごく怖いことを言って着物の袖で自身の口元を隠す。

「スイ、変なこと言わないで」

[えぇ?だって僕たち、碧衣がいなかったら存在もしてないのに。僕らにとっては碧衣が全てなんだからね]

 すぅっとスイは碧衣の方に戻ったかと思えば、碧衣の前に立ってギュッと抱きつく。

 水の神特有の水色の髪に無色透明に近い瞳をもつ少年のような風貌をしたスイは、碧衣より小さい。まるで碧衣が小さい子をなだめているように見える。

 碧衣は優しい表情を浮かべながらスイの頭を優しくなで、

「でも、スイがそんな事言うと本当に怖いからだめ。小さい頃、私が、『学校行きたくないなぁ』ってつぶやいただけなのに、その夜、フウガと協力して学校のとこだけ台風でおしゃかにしたでしょう」

[うっ……]

 スイは気まずそうに碧衣から視線をそらす。あの後、後処理が本当に大変だった。そして、私はあのとき、私の一言で何でもしてしまう恐ろしさを感じた。

「とにかく!変なことはしないこと!わかった?」

[わかった。碧衣がそこまで言うなら……でも]

 スイは碧衣から離れてビスクレア夫妻とクロードを見る。

[碧衣に何かあれば、あんたらに聞きただすから。それだけ!]

 ぷいっと顔をそらして再び宙に浮くスイ。


「私達はアオイちゃんを大事にしますよ」

 カトレアは優しい目でスイを見つめる。

[それなら、いい。あんたは?]

 とジークを見つめるスイ。ジークには、そのスイの表情からは、スイが本当に碧衣のことを心配しているのが手にとるようにわかった。

「アオイは私の、私達の娘のようなものです。大事にします」

[ふぅん……あんたは?フウガには見逃してもらったみたいだけど]

 フウガにこの前のことを聞いたのだろうか、クロードは、スイが自分を見る目には、多少の嫌悪が混ざっているように感じた。

「婚約者として、最大限守ると誓おう」

 クロードは、スイの目をしっかりと見つめる。

[ならいい]

 スイは、クロードからツンっと顔をそらしたが、クロードは、スイの顔は少しだけ緩んでいたことに気付き、ふっとクロードの顔も少しだけ緩む。

[碧衣!]

「ん?」

 碧衣がスイの方を見れば、スイはギュッと碧衣に抱きつき、

[また来るから!いつでも呼んでね?]

 といい、碧衣の頬にキスを落とし、最後には涼しい空気を残して、まるで最初から何もなかったかのようにパッと消えた。


「はぁ。でも緊張したわ……」

 カトレアは、どっと疲れが来たようにソファに座り込む。

「このことはあまり口外できないね」

 ジークは碧衣の書面をみながら言う。

 それもそうだろう。碧衣の一言でこの国、いや世界を滅ぼせるような存在がゴロゴロと、そして常に碧衣のそばにいるのだ。そんなもの知れたら国は碧衣を監視下に置くだろう。

「改めて、これからよろしくね、アオイちゃん」

「よろしく、アオイ」

 ビスクレア夫妻は笑顔で碧衣を見る。

「はい。よろしくおねがいします」

 碧衣は深く頭を下げた。


 そんな光景を見て、クロードは、目の前の婚約者のこの先を、案じていた。



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