第6話:デビュタントに向けて-3
「……終わりました」
碧衣の言葉とペンを置いたのは試験が開始してまだ半分も経っていなかった。
「は?」
アーノルドは自身のテストをそっちのけで碧衣を見つめ、ドランバルドは口をあんぐりと開け、碧衣の解いた問題用紙をまじまじと見ていた。
「……全問正解です」
30分の時間が経過し、アーノルドは時間ギリギリ使ったがほぼ終わらないまま提出し、結果は1/3程度の点数だがこれはドランバルドにとってはまぁまぁの点数で、驚いたのは碧衣の点数であった。
当の碧衣は満点を取ったと言われてもさも当然、といった涼しい顔で椅子に座り、窓から外をぼぅっと眺めていた。
「へぇ、すごいんだな、アオイは!」
アーノルドは碧衣の点数を見て自分の事のように喜び、碧衣の頭を撫でる。
「そうかな」
「ドランバルドのテストで満点は今までいなかったし、ドランバルドも難しいと踏んで出してるんだぞ。普通はありえないからな」
アーノルドのその一言はドランバルドにとって完全に図星だったのだろう。ドランバルドは見るからにダメージを受けたような顔をして「グッ……」を言葉を漏らした。
「……そうです。アオイ様。この私が作成したテストで満点をとった人など今までにいませんでした。殿下には危うく取られかけましたが……それでも!満点はありえませんでした。これは誇るべきことです」
私は心底悔しいですが。とドランバルド。
そんなにすごいことなのか。今までどんなに難しくても一度も失敗を許されなかった碧衣にとって、なんとも形容しがたい思いがこみ上げてきていた。
「にしてもアオイはすごいな。俺は記録水晶に記録してもこんな感じだからな」
アーノルドは自分の点数と碧衣のとを比較してため息をつく。
「あぁ、私、1回見たものとかは覚えてるから」
「は!?」
碧衣の言葉にアーノルドは大きな声を出し、ドランバルドにおいては声も出ないほどに驚いていた。
まぁ無理もない。ドランバルドが今まで碧衣に教えていたのは参考書数冊以上にも及ぶ膨大な量で、碧衣が一切質問等もしないためものすごい勢いで授業は進んでいた。
「アオイ様。その能力は、素晴らしすぎますね」
ようやく声を上げることのできたドランバルド。
腰を落ち着けてゆっくりと声を上げる。
それはそうだろう。碧衣のその特技というべきその能力は、なかなかできる人はいない。それはこの世界でもそうであった。
魔法で一時的に、簡単に言えばテスト前に魔法を使って記憶力を向上させ、テストに挑む、といったような短期的記憶力の向上ができる人はいるが、碧衣のように長期的に、ましてや1回見たり聞いたりした程度で覚える人間などほぼいない。
「アオイ様の頭の良さには痛感致します」
「それほどでもないですよ」
碧衣は少し寂しそうに笑う。
「……ドランバルド、てかテスト終わったんだし、こっからどうすんの」
少し重くなった空気を払拭するようにアーノルドの軽快な声が部屋に響く。
「もちろん、時間まで内容を進めます。アオイ様にはデビュタントまで時間がありませんので」
ドランバルドはメガネを指でまたクイッと上げて黒板に字を書き始め。アーノルドはうげぇ、と言いながらも碧衣の後ろに座って一緒に授業を聞き、碧衣は今まで通り、黒板に書かれた字と、ドランバルドの声を聞きながら授業を受けるのであった。
「……では、今日の授業はここまでと致します」
パタ、と本を閉じたドランバルド。2人が部屋を出た後に黒板の字を消しながら碧衣のことを考えていた。
褒めても表情が変わらない彼女。見た目と年齢にそぐわないふるまいにあの記憶力。
「今までさぞ過酷なご家庭で過ごされてたのでしょうか」
ドランバルドのその声は、誰に聞かれることもなく、部屋の中で静かに消えた。
「アオイ、お疲れ様」
部屋に戻れば、ジークの隣にはカトレアがニコニコ顔でお菓子をつまんでいた。
「ありがとうございます、ジーク様。こんにちは、カトレア様」
先日習ったお
「今日はどうだったかな。ドランバルドは?」
ジークの言葉に、アーノルドは「あぁ……」と気まずそうに右手で髪の毛をくしゃくしゃとかきあげる。
「先ほどですね……」
アーノルドはジークの耳元でさっきあったドランバルドの出したテストのことについて話す。
「…………本当かい?」
ジークは驚いた顔で碧衣の顔を見る。
「さっき、アオイはテスト満点でしたよ。なぁ、アオイ」
「え?あ、うん」
碧衣はカトレアにどうぞ、と出されたお菓子選びに夢中で適当な返事をすると、ジークとカトレアは完全にフリーズして碧衣を見る。
「それは……、またすごいね」
「そうねぇ」
ビスクレア夫妻は互いに顔を見合わせ、うぅん、と悩んだ顔をする。
「今までドランバルドのテストで満点を取った人なんていなかったからなぁ。それは彼もショックだろうね」
とジーク。
──私はドランバルドのプライドを傷つけてしまったのだろうか。
碧衣はそう思いながら目の前にある紅茶を飲む。この国の水は日本と変わらない軟水なのだろう。飲んだ感じ、口当たりや味も日本で飲んだ水とは大差なかった。
「でも今回のことは彼にとっていい刺激になったとは思いません?ジーク様」
「あぁ。それもそうだね」
カトレアは碧衣の頭を優しく撫でる。
「今回のことはドランバルドに一泡吹かせてやったってことで、アオイは何も悪くはないと思うけど」
「そういうものなのかな」
「あいつはそういうやつなんだよ。自分が負けると負けた要因探しまくって次は圧勝すんの。まぁそういう点では変にプライドが高いって言えんのかな」
「誰がプライドが高い変人だと?」
アーノルドが碧衣にフォローを入れ、碧衣が少しばかりホッとしていたのもつかの間、音もなく入ってきたドランバルドの声が聞こえ、アーノルドとそして気を抜いていた碧衣までもがビクッと肩が上がる。
「ジーク様。奥様。今回もアオイ様の授業はほぼ順調でございました。おおかたアーノルドから耳にして入ると思うのですが、私の方からも説明させていただきます」
「あぁ。よろしく頼むよ」
ジークの反応にドランバルドは以前の授業も含め、今回の授業やテストについて説明し、テスト結果も実際に2人に見せていた。
「アオイ、これは本当にすごいことなんだけど」
ドランバルドに見せられたテストの結果をテーブルの上に置きながら感心したような声を上げる。
「そうよアオイちゃん。勉強を始めた日数から見てもこれはすごいスピードだわ。この感じだともう少し勧めてもいい気がするけれど、でも詰め込みすぎるのも良くないし、このまま行きましょう」
カトレアはにっこりときれいな笑顔でアオイを見た後、ドランバルドに同じように伝える。
「かしこまりました。わたくしはこの後急用がございまして。失礼ながらここで失礼させていただきます」
ドランバルドは深く頭を下げると4人に見送られながら部屋を出ていった。
「さてアオイちゃん」
「はい」
「今回のこともそうだけど、アオイちゃんのことを総合的に見て、アオイちゃんのデビュタントの日を決めたわ」
「はい」
ついに来たのか。と碧衣は心のなかで姿勢を正す。大丈夫だ。
「それは、次の私の誕生パーティー!そこでアオイちゃんにはデビュタントしてもらいます。もちろん、クロードの婚約者としてね」
「わかりました」
カトレアが自身の誕生パーティーを碧衣のデビュタントをして選んだのは、身内のパーティーのほうが行動しやすいというのが大きいのだろう。
「そうと決まれば色々準備が必要ね」
カトレアは碧衣を上から下までじっくり見つめていく。
「ザック」
「はい」
ザック、と呼ばれた男性は現代映画に出てきそうな、まさに”執事”といったような風貌をしていた。彼はドランバルドが先程出ていったときに開け放たれたままの扉から音もなく入り、碧衣たちの視界に入るときれいな所作で一礼した。
「明日アオイちゃんのドレスを見たいのだけど」
「連絡しておきます」
「お願いね」
ニコニコっと笑ったカトレア。
「カトレア様、ドレスとは……」
「ん、もう!その呼び方やめて?私とジークはアオイちゃんと養子縁組をしたのよ?お母様……はなんか自分が年取ったみたいでイヤね…………そうだ!お姉さまって呼んでくださるかしら!そうしてくれるとすごく嬉しいのだけど」
カトレアは細く白い手を頬に添え、うっとりとした表情で宙を眺める。
「じゃあ僕はお兄様、とかどうだろう」
「いいわね!」
なんて2人で盛り上がっている。
「お2人とも、盛り上がっているところ大変申し訳無いのですが、お2人をそのようにアオイが呼びますと、クロード様との婚約話が少し変な方向に行きそうですが」
アーノルドの一言に、2人の会話と動きがピタッと止まる。
「それは困るわ。あんなぶっきらぼうで顔だけがいいクロードの貰い手なんて公爵家の家柄欲しさの狸かどこぞの女狐しかいないわ。それは困る。ってことでアオイちゃん!」
「はい」
ばっとカトレアに両手を取られ、近づいたきれいな顔に少し戸惑う。
「私のことは……なんかイヤだけど、お母様、ジークのことはお父様、と呼んで頂戴!ぜひ!!」
「は、はい」
カトレアの迫力にそのまま頷く碧衣。ジークはジークで、不服だけど仕方ない、と困ったように笑いながら碧衣たちを見ていた。
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