第10話 人類は衰退しつつありました(1)
「うわっ……ひど」
現場の地面にぶちまけられた血の量に、僕は胃のあたりがひきつるような不快感を覚えた。
「間に合わなかったか……?」
先輩も少し顔色が青ざめて見える。だが、さすがに彼女は気丈だった。
「マヤ、そちらで把握している状況を伝えろ――商人は四人、野盗どもは五人程度いたはずだが、どうなっている?」
インカムを通じて警備センターを呼び出す。すぐに、僕たちのゴーグルの視野にマヤの顔が小さく表示された。
〈申し訳ありません、ドクター。敵の行動が極めて早く、商人たちを守れませんでした。現在追撃中ですが、彼らは散開して個別に逃走を図っています〉
〈そうか……〉
薫子先輩の眉が不機嫌そうに寄せられた。数秒考えこんで、マヤへの新しい指示を出す。
「では深追いはするな、戻ってこい。私が生存者を収容する間、周辺を警戒してくれ」
〈かしこまりました、引き続き11型を操作します〉
マヤとの交信はそこでいったん切り上げられた。
「うまくいかんものだな。それに、何と嫌な眺めだ……」
何かを思いだしたように眉をひそめて、先輩が小さく首を振った。竹馬ごと身をかがめて、倒れている女の子の状態を確かめる。
先輩がマジックハンドで触れても彼女はぐったりとして反応がなく、浅い呼吸を繰り返している。
「はて、この子は軽傷で済んだはずだが……ああ、足に麻酔銃の注射器が命中しているな」
女の子は二か所の傷からわずかに出血していた。麻酔弾を受けた左足の膝上と、額の右横に受けた浅い切り傷。
「命に別状はないと思う。ショックを起こしてないといいんだが……とりあえず解毒剤のナロキソンを静注しておこう。高井戸くん、君はそこらに散らばった商人の荷物やら何やらを回収してくれ」
「了解です」
僕には先輩のような医療分野の技術も経験もない。その分は他のことで役に立たねば。
やがてひび割れ崩れたアスファルトの上を、11型がこちらへやってきた。そいつは甲高い合成音声を出力し、それはおおよそ「HOMO!」と聞こえた。
「ええ……?」
「いや、そんな変な顔をするな。あれはラテン語で、要するに人間を発見した、という意味だ」。
つづいて機体正面にある黒いリング状の複合センサーを、チカチカと点灯させた。どうやらそれで顔を照合したらしい。力を抜いたように一度関節をゆるめて機体を低くすると、ゴトゴトと僕たちのそばへ寄ってきた。
「よーしよしよし、機械ながらかわいいやつだなお前は……と、今はマヤが動かしてるのだったか」
先輩がそいつの機体上面を撫でてやる。11型はその途端、回路に変調でもきたしたのか――うって変わって低く間延びした声で「HOMOOO」と鳴いた。
〈ドクター、お戯れはご勘弁を。11型の対人反応プロトコルがワタシの遠隔操作と衝突を起こしています〉
ゴーグルの視界片隅にマヤが割り込んできて抗議した。
「ああ、すまん。では周辺警戒に移ってくれ」
〈了解です〉
再び離れていく11型を見送ると、先輩はこちらを振り向いて作業中の僕に手を振った
「高井戸くん。こいつが発射したゴム弾の弾頭も、できれば可能な限り回収しておいてほしい」
「あ、はい」
なるほど、先輩は外界に対してこちらの存在を今後もまだ隠すつもりなのだ。
ひととおり作業を終え、回収品と女の子を背負って僕たちはまたラボへ戻った。
商人たちの死体は11型に積んで運び、昏倒させた野盗は武器だけ没収して放置された。
殺さずに逃がしたことが、後でトラブルの種にならなければいいのだが。先輩は意にも介していないようだが、僕はどうもそこまで楽観的になれない。
生存者の女の子も含めて、地上の住人たちはいずれもひどいしろものを着ていた。
変質してヒビが入ったビニールレザーとか、何かの動物の生皮。黄色っぽく変色したデニムの切れっ端に、ほつれかけたビニール紐といった、およそ雑多なボロをつなぎ合わせてできている。
回収した武器も同じでいずれも質が悪く、現在の地上の状況をうかがわせるものだった。
金属製のパーツであれば錆びていないところというのはまず存在せず、柄などの固定もいい加減で、手の中にあっても不必要に動いてしまう。
「こっちの短剣はそこそこよくできているな。どうやら鉄パイプの中に自転車のチェーンか何かを通して、熱しながら叩きのばしたものらしい。案外この辺が、彼らの使う最良の武器なのかもしれない」
「それなりの加工技術や設備は持ってるってことですかね……?」
「どうだろうな? 彼らが自分で作ったものとは限らないぞ。彼らの荷物も一通り検分してみたが、食料は不衛生な状態のものが多いし、これが売り物だと明らかにわかるような品もない。商取引の相手としてはあまり歓迎できないな」
薫子先輩の所見を聞いて、少し暗い気持ちになった。現在の地上に住む人々が押しなべてそんな具合であれば、交流を行ってもこちらにほとんどメリットがない。
「あとは……そうだな、この娘が昏睡から覚めるのを待つしかないか」
先輩はすでにその薄汚れた女の子の負傷を、ほとんど処置し終えていた。薄着というより半ばむき出しに近かった上半身に、大きめのタオルをかけて寝かせてある。
「――高井戸くん」
「はい?」
「この子をこんな処置台の上ではなく、まともなベッドに寝かせてやりたいのだが」
「それがいいですね。こんな格好じゃ寒いですし」
「いや、えっと……無論このままでは問題があるのだが、そうではなくて……その」
先輩が落ち着きなく周囲を見回し、胸の前で両の拳をぐるぐる回し始めた。なにやってんだろ。
「あー。高井戸くん、しばらくこの部屋から出ていてくれないか」
「え、まだなにか作業があるんでしょ? お手伝いしますよ、先輩――」
「ア――ハン! ……ええい、察しが悪いな君というやつは! 彼女が来ているボロ屑を脱がせて、医療用ガウンに着換えさせるのだ。あーその、もちろん下もだ」
――あ。
やっと先輩が言いたいことが理解出来た。理解出来たら急に頭にカッと血が上がってきた。つまり先輩はこれからこの女の子を――
「分かったな? 分かったら速やかに出たまえ」
ぐずぐずしてると何か投げつけられそうな勢い。たしかにそりゃあ僕が手伝うわけにはいかないやつだ!
慌てて廊下に出る。少し離れたところで何か物が動く気配がして、僕はぎくりとしてそっちを見た。
光量の低い照明に照らされて、11型が待機していた。そいつはこちらの存在を察知して「HOMO!」と鳴いた。
「ああ、なんだお前か」
かつて僕たちを襲った飛行ドローンと違って、こいつに対しては妙な安心感がある。先輩の所有物で、かつ僕たちの手でコントロールできるものだと分かっているからだろう。
機体正面にあるセンサーの部分が明滅し、11型は合成音声で「SECUNDARIUM」と鳴いた。
「……? 英語のsecondaryかな? 『二次的』とかそんな意味だっけ」
ということは、僕を薫子先輩に次ぐマスター権限者として認めてくれたのだろうか。
「HOMOOO」
また間延びした音声で鳴く。11型はゴトゴトと足を動かしてこっちへ近づき、僕の傍らで止まって、また機体を少し低くした。
「猫かなんかみたいだな、お前」
人間とみれば一切容赦なく無差別に襲い掛かってミンチにしてしまうとか、そんな機械ではないのはありがたいことだ。何気なく機体に目を走らせると、左側面の下の方に、緑色に塗られた銘板があった。何か文字が刻印されている――
「お、なんか書いてある。なになに……」
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対人制圧用四脚歩行型ドローン
TYPE-31
NO.000000138
製造年月日 2108年11月23日
株式会社 山菱重工
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(ん。こいつはそういう正式名称なのか?)
じゃあ、「人間狩猟機」なんて恐ろし気な名前はどこから出てきたんだ。
銘板をじっと見ていると、TYPE31こと11型はゴトゴトとその場で旋回し、右側面を僕に向けた。野外では何かの汚れとしか見えなかったが、よく見るとそこには黒いペンキで手書きされた刷毛文字が躍っていた。
【めんしぇんいぇーがーMK11!】と書いてある。
「……も、もしかして先輩の趣味なのか、このネーミング」
なるほどと思い当たる。これが先輩の趣味というかセンスなら、少女の姿をしたアンドロイドに対しては名づけに二の足を踏むのもうなずける。
ああいう無茶苦茶な人だが、自分というものはしっかり見えている。出会った頃からそうだ。
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