第12話 古風の遺産
「ほんとに、これ食べていいの?」
女の子――「バケツ十個」さん、と僕が内心で仮に呼ぶことにした彼女は、そういって目をみはった。
ラボの一角にあるダイニングルームで、僕たちは食卓についていた。
彼女の目の前にマヤが置いた大皿は、「マッシブスーパーフリーズドライ」なる方式で調えられた保存食料の一品、汁気たっぷりのミートローフだ。薫子先輩が完全にここに引きこもる直前、今から百六十年前の最新技術で作られている。
アルミ蒸着フィルム製の密封パックを開け、適量の精製水を加えてレンジで二分少々温めるだけだが、ともするとボリューム感に欠けるここの備蓄食料の中では、トップクラスの美味しさだ。
「あたしにだってわかる。これは族長でもめったに食べられないような物だ。こんなのせいぜい三年に一度……いや、食べたことだってないかも」
「そうか。だが構わない、好きなだけ食べていいのぞ。むろん私たちも同じものを食べる」
「おおお」
「バケツ十個」さんは感動でほとんど痙攣せんばかりになりながら、渡されたフォークでひき肉と野菜の塊を大胆な大きさにカットして、口に運んだ。
「んんああああああああ!!!??」
悲鳴にも似た声が上がる。膨らんだ頬の上で、両の目から涙がぶわっとあふれ出した。
「おいしすぎる! もしかしてあたしやっぱり、じっけんざいりょーに……?」
猜疑心と不安に淀んだ視線で僕たちを見回す。
「いやいや! 実験材料に最後の晩餐とか、そんな悪趣味なことはせんよ私は! いや、本当に安心してくれ。さしあたってはこのラボの外に広がる世界について、これまで目の届かなかった範囲も含めて広く細かく教えて欲しいのだ」
「というと?」
「たとえばそう、君たちが普段食べている食物やその供給方法についてだな。私たちもこの先いつまでも備蓄品だけを食ってはいられん」
「……え? もしかして、これもうすぐなくなるのか!?」
「そんなにすぐではないが、いずれはな」
どんよりと落胆した表情を隠さない「バケツ十個」さん。僕は彼女を元気づけるために言い添えた。
「なあに、心配ないさ。薫子先輩は料理がとっても上手だからね、新鮮な材料があれば、たぶんそれよりもっとおいしいものが食べられるよ」
「これよりもおいしいもの……!」
彼女は目を輝かせてミートローフをもう一きれ、口の中に押し込んだ。
食事を一通り終えると、コーヒーを飲みながらのゆっくりとしたインタビューが始まった。
「バケツ十個」さんの本当の名前は「ノゾミ」というのだった。姓はない。
彼女はここよりずっと海よりの地域、「コーエン」と呼ばれる何かの廃墟を拠点とする一族の出らしい。
聴き取った内容を先輩がまとめてくれた話では、彼女たちの一族は年長の男子によって統率される男系社会で、未婚の女子は父親の「可処分財産」として扱われているという。
「バケツ……非常に奇妙に聞こえるが、なるほど、バケツか」
ノゾミの父親は家長の権威を現す財物であるバケツを新規に手に入れるために、旅の奴隷商人に彼女を売ったのだ。
バケツだけではないが、何かを保存し、貯えるための容器は彼女の一族が最も重要視する財産だった。
――イレモノがあれば、取っておけるでしょ。作物も、お肉も。それにお水も。村にお客が来ても慌てずに済むの。
ノゾミはそう言って得意そうに胸を張った。
薫子先輩は憤りに頬をひくひくと痙攣させながら、辛うじて感想を口にした。
「……なるほど。女子の社会的地位についてはとうてい容認できないものがあるが、す、少なくとも君たちの一族は、ある意味非常に人間らしい経済の観念をもって生活しているということになるな……!」
ノゾミもその一族も、決して野蛮でも原始的でもない。それがなおのこと先輩には腹立たしい様子だった。
「うん! 父さんのような族長はね、一族の男がひとりだちしてヨメをもらうと、さいてーでも三個のバケツか代わりになるイレモノを贈らなきゃならないの。あたしはその役に立てたんだ。すごいでしょ、バケツ十個だよ!」
困惑することに、彼女は自分の値段について実に誇らしげに語るのだ。
「分かったぞ。高井戸くん、彼女たちの社会におけるバケツ、つまり容器は、威信財なのだ。つまり古代日本における銅鏡や銅鐸、古代北欧人たちの腕輪のような、持ち主を権威づけあるいは贈答に使われる宝だよ」
「だからって……」
人権やら人間の価値やらに対する感覚が違い過ぎて、なんだかめまいがした。ともあれ、彼女のことは大事にすると僕たちはすでに決めている。モノに換算した価値などより高い次元で扱わねば、文明人として恥ずかしい。
「ところでさ」
ノゾミはふとそう切り出した。視線を宙にさまよわせて、何か言いだしづらそうな感じだ。
「どうしたのだね」
「えっと、その。どれー屋たちの荷物って、持ってきてる?」
「ああ、回収できた限り持ってきたが――何か気になるのかね?」
先輩が優しく水を向ける。ノゾミはそれに力を得たのか、また口を開いて話しだした。
「どれー屋、死んじゃったんでしょ? なら、もらいたいものがあるの……らーじょ、とか言ってた。キレイな歌や役に立つお話が聞こえる、ごちゃごちゃしたかたまりなんだけど」
「らーじょ……もしかして、それはラジオのことか? 奴隷屋たちがそれを持ち歩いていた、と?」
先輩がマヤの方を振り返る。
「回収品のリストアップを頼んであったが、もうできているな?」
「ドクター。目録化した物品の中に、ラジオ受信機やそれに類するものはありませんでしたが」
「おや、そうか。ごちゃごちゃしたかたまり、というくらいだ、外見からは判別しづらいかもしれんが」
「構造の複雑なものは、一通り機能もチェックしてあります。電気器具らしいものと言えば、電池が入ってない懐中電灯くらいでした」
ふうむ、と先輩が考え込む。
「とすると、野盗どもが逃げる時に持ち去ったのか?」
僕も首をひねった。受信機が存在すること自体も驚きだが、番組らしきものが聴けた、ということはどこかに放送局が存続しているということになる。
奴隷屋のラジオを形見分け的に手に入れることはできないと分かって、ノゾミは少々がっかりした様子だった。
「あれ、すごく気に入ってたのに」
先輩はそんなノゾミに食い下がって、ラジオについてさらに尋ねた。
「ノゾミ。君はその受信内容を聴いたかね? どんなことを伝えていたか、覚えているかな?」
「えーと」
ノゾミはちょっと首をかしげると、何かを指折り数えるしぐさとともに再び話し出した。
いわく――関東圏内のいくつかの大きな集団が開く、交易市の日取りと場所。危険生物の出没情報。それに伝染る病気の発生と流行について、などなど。
「ふうむ。なかなか有益な情報を配信しているようだな。情報の鮮度がどれだけの物かはわからんが……こちらもその通信というか、放送に触れてみる必要がありそうだ。高井戸君、あとでちょっと手伝ってくれたまえ。保管庫に災害対策用のラジオ受信機が何個か、ストックしてあったように思う」
「そんなものもあったんですか。早く教えてくれてれば!」
情報を得られるものと言えばこの二カ月、電子書籍くらいしか触れていなかった。どっちかと言えばスマホをまた使いたいところだが――まあネットなんてもう存在してないだろうし。
「――使えるものが複数あるようなら、一個ノゾミにあげてもいいな」
「ホントに!?」
ノゾミの目が期待に輝いた。
「うむ、だからもう少し色々聞かせてくれ」
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