第5話 恋に時間を
――期末試験をどうにか切り抜けた七月上旬。雨も昼から上がって、珍しいほどさわやかに風が吹き渡る午後遅く。
薫子先輩が少し先を歩きながら、僕の方を振り返った。
「もうすぐ夏休みになるな。高井戸くんは、何か予定はあるかな?」
「いや、今のところ特には……八月のお盆には一度実家に戻ろうと思ってますけど」
「ああ、そっちは八月なのだな。うちでは七月に済ませるのだ」
「へえ。じゃあもう、すぐですね」
「うん……ああ、話がそれたが、その……休みに入って最初の日曜日にだな――」
僕と薫子先輩は、放課後最寄りの駅前まで一緒に歩くのが日課だった。彼女の家からはリムジンが迎えにやってくるし、僕は駅からほど近い男子寮まで歩いて戻る。駅前までは、不肖僕がナイト役というわけだ。
その日も蜜色に染まった初夏の夕空の下で、僕らはそんな時間を過ごしていたのだが――
不意に奇妙なものが視界をよぎった。駅前のビル街を縫うように、軽快な動きで飛んでくる、ごく小さなラジコンヘリのようなものがあった。四軸の飛行ドローンだ。
この手のものには厳しい法規制が敷かれていたが、それでもニュース映像の撮影やちょっとした荷物の配送、はたまた不特定多数相手のティッシュ配布まで、様々な用途で飛び交う姿を街中でたまに見かける。だが、そのドローンはどうもおかしかった。
機体のあちこちにまがまがしく灯った赤いLEDランプ。時折地表をスキャンする、照準レーザーめいた赤い光点。数日前にニュースになった、中東でのテロがなんとなく思い起こされた。
ハッと気づく。僕の隣にいるこの人は、国内外の政治、経済に大きな影響力を有する一族の、いわば次の「女王」だ。
(まさか!)
――その瞬間、光点が彼女の額に重なった。
「先輩、危ない!!」
僕はとっさにありったけの力で空中に跳びあがり、彼女とドローンの間をさえぎっていた。その瞬間、パァン、と空気の爆ぜる音。視界を彩る閃光と、全身を貫く衝撃。何か灼熱したものがいくつも体を突き抜けたのを感じた。
「高井戸くん! 高井戸くん!!」
薫子先輩が僕に取りすがって、何度も僕を呼ぶ。だが返事ができなかった。急速に意識が遠のいていく。彼女がスマホを取り出して救急車を呼んでいる、その声もどんどん遠ざかっていくようだ。
胸の上で何度も衝撃を感じた。唇がこじ開けられ、先輩が温かな息を吹き込んでくれているのが、まだうっすらと解った。
そして、耳元で叫ぶ声――
「くそっ……高井戸くん、逝くな! 私を一人にしないでくれ!」
必死に僕を呼ぶ彼女の声は、次第に、呪詛ともっとまがまがしい何かに変わっていくようだった。
「ああ……誰か知らんが君をこんな目に遇わせたやつを、私は絶対に許さないぞ……そして、私はあきらめないぞ。いかなる罪を負うことになろうとも、科学に魂を売ろうとも。必ず君をこの手に取り戻して見せる……だから……」
「私にどうか、時間をくれ」
彼女のその言葉を最後に、僕の意識はかき消えた――
* * * * * * *
目が覚めると、先輩が枕元で僕の手を握っていた。
「どうやら落ち着いたようだな……大事なくて良かった」
先輩が言うには、僕はあの後パニックを起こして昏倒していたらしい。
「ええ、まあ何とか……」
「すまなかった。君に告げるにはやはり、まだ少し早かったか……」
「いえ、ありがとうございます……実感はないけれど、お久しぶりです、先輩。またお会いできて、嬉しいです」
「そうか」
先輩の目からまた、涙が一筋流れ落ちた。
僕は今ここにいる。記憶もある。いったいどれほどの労力をかけたのか想像もつかないが、先輩は本当に、僕を取り戻してくれたのだ。
「でも不思議ですね。先輩はあんまり歳を取っていないように見えます」
「……高井戸くん、私は――この私はな、三十三人目だ。私もクローンなのだよ」
三十三人目……!?
「すみません、変なこと聞きますけど……今、何年です?」
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