第6話 2302年未来の旅
カシャン、カシャン、カシャン――
照明を落とされた地下通路に、僕と先輩が装着した動力付き外骨格スーツ「竹馬」の反復する駆動音がこだまする。
互いの距離はせいぜい五メートル、だがこの状態ではとても肉声で会話はできない。そんなわけで僕たちは今、施設内の通話に使うインカムで連絡を取り合いながら走っていた。
〈この通路をまっすぐだ、あと四百メートルほどで旧西国分寺駅地下につながる。そこから地上へ出るぞ〉
「了解です、先輩!」
やがて僕たちは通路のどん詰まりに行き当たった。防火シャッター的な重厚な隔壁の前に、アニメや特撮でよくある感じの、テンキー式入力パネルがある。
先輩はそこへ竹馬ごとかがみ込んだ。何桁かの暗証番号を入力しようとしたようだったが、はたとその手が止まる。
〈……うん? 妙だな〉
「どうしたんです?」
僕は先輩のそばまで近づいて、後ろから声をかけた。
「開閉した記録が残っている。使った覚えはないんだが……いや、まあいい、先を急ごう」
先輩は軽く首を横に振ると、テンキーを叩き始めた。
「え。いいんですか?」
「気になるが、後だ。今は人命がかかっているからな」
入力が完了すると、シャッターは上へスライドして天井の中へ消えた。開放された出口の向こうには――まぶしいばかりの太陽の光。
「うおっ……」
二、三度瞬きをするうちに目が慣れてくる。そこに現れた風景は、絵に描いたような文明崩壊後の廃墟だった。
崩れたコンクリート片の山から錆びた鉄の桁材が何本も突き出している。ところどころに立つ鉄柱からは、火災に遭ったように煤け切断された送電線のケーブルが、うどんを小鉢にとり分け損ねたようにだらしなく垂れさがっていた。
「西国分寺駅だ。ふむ、この辺りは何者かがずいぶん前に荒らしたようだな」
先輩の推測に間違いはなさそうだ。ラボのある丘陵地の地表から大きく切り通し状に開削された人工の谷底には、寸断されたレールの廃材と、ところどころ切り刻まれた跡がある電車の残骸が横たわっていた。切断面はいずれも錆びてボロボロだ。
「このシャッター、すぐ閉めちゃった方がいいでしょうね?」
「そうだな。我々が今置かれているような状況は、奇妙なことに二十世紀から二十一世紀にかけての文芸やコミック、映像作品の中で繰り返し描かれているのだが……だいたいその主人公たちは、こういう現場へ出入りする際の詰めの甘さが祟ってひどい目に遇うことになっている」
「……そりゃあ、イヤですね」
「うむ、気を付けよう。念のためここの暗証番号は変えておくぞ」
僕たちはシャッターを再び閉じた。あとでまた偽装しなおした方がいいかもしれない。
駅の構内から崩れた階段を駆け上がり、破れたフェンスを飛び越えて、北東へ進路を向ける。もともとラボのある場所は、二十一世紀中ごろまで国内の大きな電機メーカーが研究所として占有していた土地だ。それを初代の先輩が買い取って大規模工事を施したのだという。
走るにつれて地表に散乱した枯れ枝や何かの棒切れが跳ね上がり、コンクリート片が砕けた。
顔の露出した部分に風を感じる。竹馬の速度は、平均しておおよそ時速三十キロメートル。一キロの距離を走破するには、直線ならおよそ二分で事足りた。
〈いたぞ。一人、二人……三人! 熱センサーの反応からすると、少なくとも一人はまだ生きているようだ――さっき見た女の子だな。突入する!」
「了解です!」
車回しのような場所だった痕跡のある、ひび割れ崩れたアスファルトの上に、ボロをまとった女の子が倒れている。
少し離れた場所には、体を刃物で切り刻まれた男たち。こちらは明らかにもう手遅れなのだろう。彼らの周りの地面は、べっとりと赤黒いもので汚れていた。
* * * * * * *
培養カプセルから出て二百四十年ぶりに人生を再開したあの日から、二カ月ほどが経っている。
この間、僕は運動能力をオリジナルの物に近づけるべく毎日トレーニングを続けていた。大体三日に一回は、先輩も同じメニューで付き合ってくれる。
――いいかね、高井戸くん。君の体も脳も、まだ培養が終わったばかりの出来たてだ。ことに君の脳にはまだ、全身を適切に動かすに足るだけの神経接続が形成されていない。
クローン人間が培養設備を出たとたんにオリジナルと同様の身体能力を発揮して活躍する、なんてのはそれこそフィクションの嘘、大嘘だよ――
先輩はおおむねこんな調子で、僕に大掛かりでシステマチックなリハビリを課しつづけていた。
――君はこれから数か月かけて歩行をマスターし、筋力を鍛え、HBの鉛筆でひらがなや漢字を書写し、ピアノやギターを演奏し、マイム・マイムを踊れるようにならなくてはいかん。私と性的行為に及ぶのはその後だ――
えらく盛りだくさんだが、最後の一言は効果抜群。僕にとってこれに勝るニンジンはないし、先輩との「初めて」にはやはり出来る限り最善のコンディションで臨みたい。
それに何より、先輩は僕のまだできあがったばかりで未熟な脳が、不用意な刺激で焼き切れるのではないかとやたらに心配しているようなのだった。
そりゃあ僕だってせっかく生き返ったのに、そんなことで振り出しに戻りたくはない。何ごとも慎重にだ。
いまのところ僕は順調に回復――というか、成長しなおしつつある。そこそこハードなメニューをこなした後でも、心拍数も呼吸もごく安定していて、数値的にも申し分ない。
規定のランニングメニューを終えてトレーニングルームを出ると、あの医療補助アンドロイドが僕の着替えを持って立っていた。
「お疲れさまです。こちらをどうぞ、和真さま」
「やあ。いつもありがとう――マヤ」
「マヤ……?」
アンドロイド――マヤが、首をかしげた。
「それは、ワタシの名前ですか?」
「うん。『メディカル・アンドロイド』の頭文字をとってM、A、形式番号からY、Aは数字の4を似た形のアルファベットに置き換えて――MAYA、ね……8が余るけど」
人間の名前みたいですね、と彼女は不思議そうに首を傾げた。
「……先輩から頼まれたんだ。『これからは三人でここで暮らすんだから、あの子にも呼びやすい名前があった方がいい、高井戸くんが考えてくれ』って」
「そうだったのですか。そういえばずっと以前、ドクターご本人にお願いしたときは顔をしかめて『私には向いてない』とおっしゃってましたが」
「そうなんだ?」
ちょっと意外な感じがする。あの先輩にも苦手なことがあるとは。
「ありがとうございます、気に入りました。和真さま、改めてよろしくお願いします」
マヤは照れたような笑顔をこちらに向けた。機械だとは思えない柔らかな表情に、何だかこっちまで照れ臭くなる。こちらへ服を差し出した彼女の手が僕の手に一瞬触れたときには、これまた心臓が軽くひと跳ねした感じだった。
「い、いやあ、それほどでも」
マヤからひったくるように着替えを受け取って、僕はそそくさとシャワールームへ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます