第7話 着るわ着る
「はー……」
シャワーを浴びながら特大のため息をついた。蘇生して以来特にそうだが、僕はいつも薫子先輩の後姿を追いかけてばかりいるような気がする。
先輩は僕のために――先輩自身と僕のためだけに、ヒト体細胞クローンと脳ストレージ技術の研究を進めた。倫理面の問題もあって、対外的には発表すらしていないという。
不幸なことに、三代目のころから始まった戦争とその後に続いた環境変動のせいで、世界は滅びないまでもガタガタになったのだと聞かされた。
そうなると先輩にはもう、ラボの運営と保守を極限まで省力化して切り詰め、外界との接触を断って誰の助力もなく、細々と研究をつづけるしかなかったのだ。
いわば彼女の人生全ては僕に捧げられた。それも、聞いた話が本当なら三十二人分の人生が。
僕という人間に、存在に、本当にそれだけの値打ちがあったのだろうか?
薫子先輩にとって、僕は伴侶とか未来の夫とか、恋人とかそういったあれこれをひとまとめにした
だが一方、今の僕から見た薫子先輩は、決して追いつけない背中をこちらに向けながら黙々と歩き続ける母親のようにも思えてくる。
そう、母親だ。僕はいま、存在のすべてを彼女に負うているではないか。
年齢と姿は出会ったときのままでも、いまの先輩は大学を出て博士号を取得し、医学と生物学の最先端に立った研究者だ。僕はそんな彼女の隣に並び立てる何者かに、なることができるだろうか?
そうなりたいと思う。トレーニングと並行して、先輩には勉強の方も日々可能な範囲で見てもらってはいる。でも、さっぱりついていけてる気がしないのが正直なところで――
そんな焦りと自負とがごた混ぜになった思いにふけっていると、不意に脱衣所でインカムが短いメロディーを奏でた。先輩からの通話だ。慌ててドアを開け、脱衣かごの上に置いたヘッドセットに手を伸ばした。
「もしもし?」
〈――高井戸くん、すまないが至急、警備センターまで来てくれないか。対処すべき事態が発生している〉
「す、すぐ行きます! でも、いったい何が?」
〈ずっと昔ラボ周辺に設置した監視塔がいくつか、まだ残っている。そこのカメラが先ほど、ここへ接近する人間型生物の小集団をとらえたのだ〉
……はて。
日本の人口はいま、数万人程度に減少していると先輩は推測している。文明の大部分を失って蛮族化している可能性が高い、とも。
そうなると接触してもこちらにとってはほとんど利点がないはずだが――先輩には何か別の考えがあるのだろうか?
下着を身に着けたあと、マヤが用意してくれた着替えを手にとってみて、僕は鏡の前で凝固した。飾りボタンとフリルがたくさんついたおとぎ話の王子様みたいなシャツと、ラメ入りの細いパンツ――
「ちょっとぉおおおお! マヤぁ!!」
「どうかしましたか?」
返事とともにドアが開いた。彼女は着替えの間、脱衣所の外で控えていたらしい。
「……いや、そのね。これ、もうちょっと別な奴にしてくれないかな?」
「お気に召しませんでしたか? 和真さまにできるだけお似合いの物をチョイスしましたし、シミュレーション画面では大変素敵でしたが」
「そ、そう……?」
思わずノせられそうになるが、危うく踏みとどまる。
「――じゃなくて。もう少し普通の、普段着というか部屋着というかさ、そういうのないかな? 君が持ってくる服って、このところだんだん派手になってきてる気がするんだけど」
「和真さまはドクターにとって大切な方と伺いました。和真さまにとってもドクターは大切な方なのですよね?」
いきなり立ち入ったことを訊かれた。なんだこれ。
「うん、それはその通りだけど……?」
「でしたら。せっかく大切な方とともに暮らすのですから、こういうものをお召しになって積極的に互いの魅力をアピールし合っていくべきだと存じます」
「ええ……」
困惑する。言ってることは間違ってないけど、たぶんTPOが壮絶に間違っている。
「えっと、なんだか先輩がいま困ってるみたいだしさ。作業着とか、さっきまで着てたトレーニングウェアみたいなものの方がいいと思うんだ。持ってきて欲しい」
「うむむ。残念ですが仕方ありませんね……ではこちらでいかがでしょう?」
横に置いたワゴンから、マヤがスッと別の服を取り出した。
「……用意してあったの?」
「医療においては、不測の事態および患者の細かな要望への対応は不可欠ですから」
よくわからない口上と一緒にマヤが出してくれたのは、見慣れない、それでいてどこかよく知っている感じのする服だった。
先ほど脱ぎ捨てたトレーニングウェアよりもう少し体にぴったりフィットする感じのアンダーウェアと、その上から着こむジャケットとパンツの一揃いだ。
マヤがハンガーにかけてくれたところで、その服に抱いていた親しみの正体が分かった。
「ああ! これ、制服……!?」
その服は、僕たちが高校生だったころに着ていた学生服をベースにデザインされているように見えた。そしてより動きやすく機能的になっている。
「いい感じじゃないか。こういうのがあるんならそう言ってくれれば」
「はい、そちらはしばらく前から製作を進めておりまして、ようやく完成したところなのです。お気に召しましたら何よりです」
「うん、ありがとう。気に入ったよ」
僕はその服のボトムだけを先に身につけ、ジャケットの袖に腕を通しながらどたばたと通路を走った。
警備センターに入ると、薫子先輩がこちらを振り向いて手招きした。彼女の正面にあるモニタには、監視カメラからのものらしい映像が映し出されている。
「来たか。早速だがあれを見てくれたまえ」
画面の向こうには、緑まぶしい春の風景が広がっていた。
その中を三、四体ばかりの小さな人影らしきものが動いていく。まだ不明瞭なそのシルエットからすると、背中にそれぞれ小荷物を背負って荷車をひき、ノボリのようなものを立てているように見えた。
「ん……人間型生物、っていうか、人間ですよね、あれ」
「そう思うのだが、距離がまだ遠すぎて、監視カメラの解像度が足りない。人類にとって代わる何かが生まれるような環境要因も時間もなかったと思うのだが、確認するまでは断定は避けよう。ここから見る限り、あの人影はずいぶん異様に見えるし」
どうなんだろう。単に僕たちが理解できない服飾文化なのかもしれない。それよりも――直感だが、彼らは何らかの商人であるように思えた。
「ふむ――商人か」
僕の考えに先輩もうなずいてくれた。
「どうします?」
「問題はそこだ。彼らがここにいる意図が不明だが、それを知ろうと思えばほぼ接触が避けられん。だが私としては、出来る限りこちらの存在を知られたくない」
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