第8話 マーク・エルフ

 先輩の言うことはもっともだ。僕たちが外敵から身を守るために頼れるのはこの施設自体と、なによりそれが隠蔽されていることだからだ。

こっちは素人二人だ。特殊部隊にでも入り込まれたら、あっという間に蹂躙されてしまうことだろう――そんなものが今の世に残っていればだが。

「ここの出入り口って、どうなってます? 外から近づけばすぐ分かるような感じなんですか?」

「いや、この施設へ外部から直接アクセスできる経路はないな。ずいぶん前に全て潰した。唯一、最寄りの旧JR西国分寺駅へは非常用の地下通路がつながっているが、今見ているエリアからはだいぶ遠回りになる」

 要するにありきたりの方法では施設に入り込めないということだ。ちょっと安心できる。

「うーん。だったら、無視でいいのでは……?」

 来訪者がこっちの存在に気づいていない場合に限ってだが。

「そうか、うん、そうだな……」

 ちょっと気になった。薫子先輩にしては珍しいほど歯切れが悪い。

「何か、気がかりなことでも?」

「うん。まず我々は未来永劫このラボの中だけで生活するわけにはいかない、ということだ。施設は老朽化しつつあるし、備蓄した物資も今後は倍の速度で減る――なにせ、めでたく君が復活したわけだから」

 なるほど。至極もっとも、ある意味前向きな理屈だ。

「外に出る可能性があるのであれば、まずは外界の情報が欲しい。友好的な関係を結べる相手がいればなおよし。交易が可能であれば、将来的な物資の問題も解決の見通しが立つかも知れない」

「あれが商人だとしたら案外いい機会かも、ってことですね」

「うむ、そうなのだが……」

 薫子先輩は会話の間もモニタを注視していたが、画面内に変化が起こると大きく身を乗り出し、食いつかんばかりの様子を見せた。来訪者の一団とカメラとの距離が縮み、今やはっきりとその姿が確認できる。

「どうやら普通の人間のようだ。見たまえ、移動速度を上げた。ときどき後方を確認しているが……もしや、何かに追われているのか?」

「そうかも――先輩、その方角を映せるカメラってあります?」

「カメラは他にもまだ何個か残っているが、この位置関係だと……ううむ、今のところあの集団以外を映すのは無理だな」

「そうですか……」 

 僕も画面に目を戻す。見たところ彼らの構成は男三人と、たぶん僕たちと大差ない年頃の女の子だ。その胸が大きく膨らんでいるのが、服の上からでも分かった。

 彼らは走りながら口を動かして、懸命になにか言い合っているようだ。


「うーん、何をしゃべってるのか分かればなあ」

「ああ、それは別に造作もない。ちょっと待ちたまえ」


 先輩が手元のタッチパネルを操作すると、モニタ上に別ウィンドウが表示されてそこにところどころ虫食い状になった文字列が表示された。見守るうちに、その抜けた部分の文字がコンマ秒単位で埋まっていく。

「これは……?」

「映像から唇と舌の運動を解析して、発音される音声を推測し文字表示している。いわゆる『読唇術』のようなものだ」

むろん、あれが日本語だというのが前提だが――先輩はそういって、解読できない可能性を留保した。だが、どうやら問題なさそうだ。画面に表示された字幕は、ごく普通の日本語になっている。


〈まだ追ってくるのか、しつこい奴らだ……!〉

〈どうする、このままだと追いつかれるぞ。それに、ここは確か――〉

〈ああ、『カールコの庭』だ。深入りするとタタリがあるかも〉

 男たちはそんなことを荒い息とともに吐き出しながら走り続けていた。

〈かーるこ……! 言い伝え……恐ろしい西の魔女――〉

 女の子がおびえた様子でそうつぶやく様子もわかった。


「……カールコの庭? かーるこ……ん、もしかして私のことだったりするのか? なにか伝説でも生まれて、ここが禁忌の地になっているとかなら好都合ではあるが――」

「先輩……何か伝説になるようなことでも?」

「わからん。工事関係者などから、ラボについて少々の情報漏れがあっただろうとは思うが……あとは施設に近づきすぎた部外者を、警備用ドローンで少々脅かして追い払ったことぐらいか」

「……先輩。たぶん、それですよ」

 なんとなく想像がつく。先輩が「少々」と表現するレベルは、一般人から見るとだいぶ激しいのじゃないだろうか。

 その時、モニタの画面上に変化が起きた。「商人」たちはいまやカメラの旋回範囲を通り過ぎつつあったが、それを追う後続の何者かがカメラの視界に姿を現した。それは商人たちよりずっと身軽な装備に身を包み、粗い造りの武器を持った、五人ほどの男たちだった。

荷車のようなかさばる余計なものは一切持たず、移動スピードがはるかに速い。画面のサブウィンドウには、新参者たちの発する音声が文字表示されていた。


〈ヒーヒヒヒッ!! 逃がすもんか!!〉

〈荷物も食い物もいただきだァ!!〉

〈それに見ろ、女だ、女がいるぜ!!〉


 絵に描いたように典型的な無法者。僕と先輩は半ば絶句して顔を見合わせた。

「野盗か! なんとまあ……」

「分かりやす……ッ!」

 おそらく、このまま傍観すればあの無法者たちは商人たちに追いつくだろう。その後に繰り広げられるであろう惨劇を想像して、僕は震えた。

 この施設を秘密にしておきたいという先輩の考えはもっともだ。だが、手を延ばせば届く場所で人が殺されるのを放置してよいものか?

 僕は薫子先輩を振り返った。

「先輩、あの『商人』たちを助けましょう! いいですよね!?」

「う、うむ。だが当然ながらトラブルが予測されるぞ。おそらくこの地域の残存社会において、搾取、抑圧を受けている側に肩入れすることに――」

 そうつぶやいたところで、薫子先輩の目がぐるんと動いたあと一点に据わった。 

「ああ、なったところでそれはそれ、か。考えるまでもなかった。私は解柔院薫子なのだ、対立は極力避けるべきだとしても、関わるとなれば我が意思を貫くのみだ」

「それでこそ先輩です。第一、どっちに肩入れするかってなったらそりゃ襲われる方じゃないですか」

「うむ! 君も私が見込んだ通りの高井戸くんだ、ならばよし」

 意見は一致。だがこの地下から西国分寺経由であそこまで行くのには時間がかかる。普通にやってはまず間に合わない。 

 何か解決策は――

「先輩。さっき言ってた警備用ドローンっての、まだ残ってます?」

「んっ!? あ、ああ。確かあの辺りにも起動してないサイロが一つ二つはあるはずだ……」

 彼女がタッチパネルに指を走らせ、何かの情報を検索した。その間、一秒をわずかに切る。

「なかなかいいアイデアだ、高井戸くん。よし、六番サイロを開放。人間狩猟機11型を投入するとしよう」

「先輩、それは……?」

 なんだ、そのおっそろしげな名前。

「警備用ドローンの、このラボでのコードネームだよ。諸元はこの通り――」

 正面モニタ-の隅にもう一つ小さな別ウィンドウが開き、精緻なCG画像が囲み付きのコメントとともに表示された。

「ふむ、起動時チェックでの自己評価は出荷時の約八十五パーセント、か。未使用とはいえ、百六十年間メンテ無しの割には良く保っている」

 画像を見るに、なかなかにまがまがしいフォルム。繭玉とピーナツの殻の中間ぐらいの、少しくびれのある形状をした白い胴体から、二対の俊敏そうな歩脚が伸びている。そして機体上面に見えるのはたぶん、旋回式の銃塔。

……いくら自衛用とはいえ、こんなものを使うから伝説になったのでは。

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