第14話 帝国よりもゆるく大まかに

 二人きりになると、薫子先輩は長いため息をついた。

「まずはこんなところか。やるべきことが一気に増えたが、ノゾミを助けたおかげで今後の指針がある程度確定してきたな。喜ばしいと言っておこう」

「喜ばしい、ですかね……聞いた限りだと、このラボから出てもいいことなさそうでしたけど」

「前にも言ったがここに永遠に籠っていることはできんのだ。そして私が望むのは、地下に閉じこもって減っていく残りの物資を数えるような、そんな暮らしではない……だから地上に出て、よりよい世界に作りなおす。現状で成立可能な文明を築くのだ。人間として志しうる、最も偉大なプロジェクトだよ」

「さ、さすが先輩……一番難儀な選択肢に行きますか」

 感動と衝撃に打ちのめされる僕に、先輩はさらにとんでもないことを言い出した。

「いっそあれだな、国でも作るか!」

「く、国ぃ!?」

 容認しがたい社会構造を変えるためと言っても、普通は国を作るとこまで思い切れない。だがこの人はやる。凡人なら端から諦めるような難事業でも、真っ正直に正面から挑んで突破する人なのだ。

 現に僕を復活させたではないか――二百四十年かけて。

「しかし、僕たち二人ではどうにもならないですよね……」

「忘れてはならんな、今は四人だ。マヤとノゾミにもむろん手伝ってもらう」


 実際に行動を開始するまでには、ラボ内での多忙な日々がもう少し続いた。

 まず第一にノゾミの健康状態を精密に調べる必要があった。共同生活をすることになるのだから、なにか未知の病原体や寄生虫でも保持していたら大変だ。僕たちはいわば外界から隔離された状態だったし、免疫機能がオリジナルほど完ぺきとは限らない。

 ノゾミの血液、皮膚、体毛などのサンプルを取り、さまざまな検査にかけた。暴れるのではないかと思ったが、きちんと目的を説明してやると彼女は意外なほどおとなしかった。 


「……糞便中に寄生虫卵あるいは卵胞を認めず。肝炎ほか注意すべきウイルス感染の兆候なし。人類の標準的ゲノム配列との顕著な差異を認めず――」

 先輩が検査データを読み上げ、マヤがそれをコンピューターに記録していく。ノゾミも僕たちのそばに腰かけて、目を白黒させながら先輩の読み上げに聞き入っていた。

 彼女はまだ医療用ガウンを羽織っただけの姿だが、今後は僕たちと同様に、作業服やトレーニングスーツの着かたを身に着けてもらう手はずだ。


「栄養状態はやや問題ありか。血中アルブミンの指標ギリギリだな、もっと肉を食べさせよう。それと白血球の個数がやや多めだが、CRP値には異常がない。免疫機能を亢進させることで環境に耐えるように適応しているのだろう。まあ、おおむね健康と言って差し支えない――良かったな、これならいつでも嫁にいけるぞ」

「よっ……ヨメ!? よめ、めめめ……!?」

 しっかりと意味は分かるらしい。ノゾミは顔を真っ赤にして固まっていたが、おずおずと僕を指さしながら先輩の顔を見上げた。

「……まさか、これの?」

 「これ」呼ばわりは不本意きわまりない。先輩は僕のほうを見てぷっと小さく噴き出すと、ノゾミの肩に手を置いた。

「ははは。さすがにそれは無い無い、高井戸くんは私のだ。だが、次の世代あたりではそういう選択もありかな」

 ノゾミが怪訝な顔をしてじりっと身を引いた。

「……かーるこ、からかってる??」

「いや、割とまじめだぞ私は? 私たちの子孫が栄えるためには、ある程度の規模を持つ通婚可能な遺伝子プールが必要だ。この世界でこれだけの健康状態を保っているのであれば――単に君だけが恵まれているのでなければだが――ノゾミの一族などは有望な候補となり得るな」

 言葉の意味は分からずとも、何となく褒められているのだと察したのか。ノゾミがちょっと嬉しそうな顔をした。

「むろん、社会制度の変革を受け入れて貰うことにはなるが。まあ、そんな話はこのくらいにしてだ、一度全身をもう少し念入りに洗ってやろうな。皮膚常在菌のリストもチェック済みだし、もう問題ないだろう」

 自分も白衣のボタンに手をかけながら、薫子先輩はノゾミの手を引いてシャワー室へと向かった。


(……洗ってやろうって、うわあ……そういうこと!?)

 かすかに聞こえてくる水音の向こうで繰り広げられる情景を、あえて想像しないように、僕はだいぶ努力をしなければならなかった。

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