時のたまずさ

 第二次世界大戦中、ドイツのソ連侵攻に立ち向かった女兵士たちを戦後取材したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、女兵士の証言には色彩があると云っている。
 男兵士とても、道端の花や渡り鳥に眼を向けているのであろうが、殺伐とした戦場を回顧する時にそのことを語ることはしない。
 髪を短くして銃を構えた女兵士たちは、風呂に入れぬ不潔さを気にして河に飛び込み、愛する兵士が戦死すると泣き崩れ、戦闘がない日には裁縫箱をあけて繕い物や編み物をする。
 祖国を護るために兵器を手にして敵兵を殺戮していた彼女たちは、戦争のあいだも細々としたものに眼をとめ、その彩りを眼に焼き付けていた。
 自分の属している世界が争乱のもとで崩壊しようとしている時、女の視界を占めるものは、男のそれとは趣きを異にする。


 学生時代「平家物語」には、それはそれはお世話になるものだ。
 まず小学校で「祇園精舎の鐘の声」を暗唱させられる。小学生の分際でもののあわれなど分かろうはずもないのだが、「たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ」ここまでを先生の前で順番に唱えて、合格をもらう。
 中学高校に進むと、誰もが平家物語の中の印象的な場面を用いて古典を学ぶ。
 首ねぢ切つて捨ててんげり
 だの、
 「ただとくとく頸をとれ」とぞ宣ひける
 だの、物騒な箇所もふくめて今も自然に口からついて出るほどだ。
 琵琶法師が全国を行脚した当時から「平家物語」は絶大な人気を誇っており、人気のあまりに二次創作が数かぎりなく生まれた。
「お前みたいな下っ端には名乗るまい。お前にとってはよい敵だ。名乗らずとも首を斬って人にきいてみろ。知っている者はいるだろう」
 熊谷次郎直実に押し伏せられてもなおも気高くこう云った十七歳の平敦盛は、謡曲「生田敦盛」においては幼い子がいて、父上に逢いたいと嘆く子の前に幽霊になって現れたりしている。


 個性豊かな人物を散りばめて、それぞれの因縁と深い背景をえがいた平家物語は一門の隆盛から悲劇へとひたはしり、平家断絶を意味する「六代被斬」と後日談の一巻をつけて終幕となる。
 滅亡の決定打となる戦いは都を遠く離れた海峡。
 生き別れの兄頼朝の許にはせ参じた源義経は打倒平家を掲げた最終局面、壇ノ浦において船から船へと軽やかに跳ぶ。
 この「八艘とび」を義経にやらせたのが、平教経という漢だ。
 一族きっての猛将である平教経は源平合戦において主役といっていいほどの武勇をみせる。
 教経は、刺し違えんと追いかけても果たせなかった義経の代わりにせめて安芸太郎・次郎という兄弟剛者を脇に抱え込み、彼らをはたらかさぬまま道ずれにして海に飛び込むのだ。

「いざうれ、さらばおのれら死途の山の供をせよ」

 壮絶にして勇猛な最期を遂げる平教経。
 その平教経をほんの少女の時分より一途に想い続けてきたうら若き女人が、こちらの小説「波のたまずさ」の主人公だ。
 その名を玉虫。
 平家が滅亡するまでの道行を「平家物語」に沿いながら、異人の血を引くこの玉虫の眼を通してこのお話は描かれる。


 玉虫の大部分は著者の創作だが、玉虫の名は「源平盛衰記」に千人の中から選ばれた美女として書き記されている。源義経の生母である常盤御前についても同じ記述がある。とても美しいことを「千人の美女の中から選ばれた」と書くのが定番だったようだ。
 名場面の連続といっていい平家物語、海と陸とに分かたれた源平の、海にいる平家が船に扇を立てて、これを射落とせるか? と源氏を挑発する有名な一幕がある。
 源氏方から出てきた那須与一が見事射落としてみせるのだが、この扇の真横にいる美女が玉虫。
 玉虫は、平教経に付き従う菊王丸の姉という設定になっている。

「夕日の耀いたるに、皆紅の扇の日出したるが、白波の上に漂ひ」

 和製ウィリアム・テルばりに美女を傷つけず扇のみを海に射落としてみせた那須与一。
 現代で条件を揃えて実証している番組を見ていたが、扇の的が波に合わせて揺れ動くために、かなり難しいようだった。
 この那須家、子孫が昭和になってある事件の犯人と目され、裁判費用が必要となった那須家は仕方なく、代々の家宝であった那須与一の形見を売り払っている。


 ただ春の夜の夢のごとし。
 白波に落ちた平氏の扇がその後の展開を暗示する。
 赤い旗がむなしく漂う戦の最中にあっても、焔が夜空を焼き焦がす都の火事であっても、女の眼はその色彩を眸に映す。
 女の網膜が捉えるいくさには絵巻物を記憶するような色が残るのだ。
 著者はこの「女人平家物語」のなかに女性らしい感性を、和歌を詠むかのように随所に美しく織り込めている。

 男たちが敷島を駆け巡って追い求めた覇権など泡沫に等しい。平家を根絶やしにした源氏とて三代であえなく潰えた。かつて貴人のそばに仕えた女たちは老いた眼でそれを見送る。
 都大路を行き交う男衆の力強い声。身近にいた懐かしき人々。いつまでも続くと想われていた平家の栄華。
 若々しい音を立てて平教経が庭からやって来る。
「歩けないなら、おれがおぶってやってもいいぞ」
 少女の頃より変わりなく、その声は玉虫の胸を叩く。
 八百比丘尼じみた不老不死伝説を薄く刷いてこの物語は海に始まり海に終わる。
「浪のしたにも都のさぶらうぞ」
 波の下の都とは流れ過ぎ去る時の無常の外にある。玉虫がゆれる胸に抱くものは、青い記憶の底の鮮やかなる面影なのだろう。

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