海外在住の九月ソナタさんはカクヨムの中では目立たないが、もともと美術愛好家ブロガーとして大勢の読者を抱えていた方だ。美術に造詣が深いだけでなく、世界各地を興味のままに旅している。
中学生のような幼さと鋭敏さ。初夏の若葉のようにどこまでも好奇心を伸ばしていくさまが好ましくて、いっぺんにファンになってしまった。
賢いお姉さんのような、困った妹のような、芸術家気質のような、パトロンのような。
彼女の中にあるどの要素も色つきのビーズのように軽やかで、鮮やかで、快活なのだ。
仲良くさせてもらううちに、身辺に何か辛いことがあったことは、時折、言葉の端にのぞかせておられた。
が、わたしはそれを何か訊かなかったし、ソナタさんもとくに語りはしなかった。
作品としてかたちにしていたのは、妹さんのことだけだ。でももう一つ、哀しいことがあったのだ。それが何かは薄々察してはいた。
アメリカ大陸は本当にだだっ広くて、処によっては今がいつの時代なのか分からなくなる。紫色をした雷も、この世の終わりか金星かというほどに大地に落ちてくる。
そんな中を若い二人が、車でぶっ飛ばすのだ。
脳裏にくっきりと残らないわけがない青春の想い出。新婚の想い出。夫との想い出。
小気味のよい文章と、あいかわらず素晴らしい素直な比喩が、当時のことを鮮明に映し出す。
豊かな人生とは、歓びも哀しみも、その濃淡を受け止めることができる鋭敏な者のところに集まってくる。
ドレスをトランクに詰めて乗り込んだ飛行機。忘れられない乾いた風と、彼の声でワイオミングの空に奏でられたクラシック。
ころころと胸に落ちてくる水玉。
みどりの大きな葉の上を滑ってくる涙雨も、いつかはこの方の青く澄んだ海に吸い込まれていくのだろう。