6.笑顔

「買いたい本あったの?」


 湊本さんは、買おうと思っていたという英語の参考書を早々と手にしては、推理小説売り場にいた僕のところへと駆け寄ってきた。


 僕は、「ないですね~」と言いながらもう一度売り場をくまなく調べていく。新刊だから目立つところに置いていない時点でどこかお察しなのだけれども、諦めの悪いというか、諦めるタイミングを知らない僕は4度目の寄り目をしながらの捜索に入っていた。先程に買いたい小説の名前も言っていたので彼女も一緒になって探してくれている。


「あっ、この小説映画化されるやつじゃん」


 湊本さんは、再来週に実写化されるらしい原作小説を本の壁から引っこ抜いて僕に見せてくる。それは目的の本ではないのだけれど僕が特に気になっている、言ってしまえば推しの小説家さんでそれを手にしたことに嬉しくなる。


 思わずにこりとしながら、


「その小説めちゃくちゃ面白いから良ければ読んでみて〜。ってか映画化されるんだね。初めて知ったよ」


 と、少し饒舌じょうぜつになってしまう。


 少し布教みたくなってしまって相手に迷惑させちゃったかなと少し後悔したが、彼女はそうなんだ!と興味を持ってくれたようだ。それに僕は一つ安堵して、理由もわからずにどこかほっとする。


「じゃあ、買ってみようかな。映画も見たかったしちょうどいいかもだし」


 湊本さんはその小説本を参考書と共に両手に抱えたようだ。それと同時に、僕はこれ以上彼女を待たせるのもなと、とうとう探すことを諦めて視線を上にあげた。


「確かに映画の予習、復習にも……いいかもね」


 僕は最初こそ目を合わせていたのだけど徐々に少し目を逸らしながら彼女の言葉に肯定する。


 なぜ目をらしたかって、それは、彼女が両手でお腹のあたりに本を携えているから服がピンと張って、ある場所が非常に強調されてしまっているのだ。流石に僕もこればかりは気づいてから、勘づかれないように平然を装うことに一生懸命になった。


 ただ、その動きがあまりに挙動不審だったのか彼女はこちらの目に視線を合わせてくる。


「どしたの?」


 湊本さんは特によこしまの気持ちもなく、純な心で尋ねてきた。それが逆に、僕にはとてもこたえてしまう。詳しく言うとしたら、僕は何も悪いことをしていないのに、どこか心の奥底にどうしようもない罪悪感を感じてしまうのだ。


「いや、なんでもないよ。ただ、本重そうだから持とうかな、っていうか持つよ。なんならそのまま奢ってもいいよ」


 僕は、彼女の状態をなんとかしてもらおうと、荷物持ちを立候補する。ずっと僕の左手にある彼女の鞄が地味に体力と握力を消耗させているのだけれど、背に腹は変えられない。このまま彼女の姿を見て精神的にも消耗していくことを考えると、この選択はいささかマシにも思えた。


「じゃあ……。でも奢るのは流石にマズイから大丈夫だからね。あと、重かったらすぐに返してね」


 僕の発言の重みにどこか勘付いたのか、彼女は若干渋りながらも、案外あっさりと受け入れてくれた。「はい」と、こちらのほうに二冊を差し出してきてくれる。


「じゃあ、とりあえずレジまで持っていくね」


 僕は今度こそ彼女の目をちゃんと見つめて、受け取ってから歩き出した。


……


「以上で、1960円です」


 店員さんがその本を置いたのが僕だったために、購入する湊本さんではなく僕を見ながら会計をする。これはきっと僕の思い違いなのだろうが、そうやって見られると僕を急かしているかのような、早くお金を出してくださいと心の奥底で言っているような気がしてしまって萎縮してしまう。


 さらに、店員さんのしているその笑顔がかえって僕の心をはやらせる。その笑顔の裏側にどんなことを隠しているのか、僕にはどうもわからないから。


 だからか、ベージュの可愛らしい財布を取り出している湊本さんを尻目に僕も財布を取り出して、思わず2枚の紙幣を受け皿に置いた。彼女は、少し驚いた顔をしているけれど、お釣りを受け取って店外へ出る。


「え、奢ってもらって大丈夫だったの?」


 彼女が若干不安そうな顔をする。それはそうだろう、だって今回買ったものは彼女のものだけなのだから。だけれども僕は、彼女の不安を振り払うように、


「大丈夫ですよ。もし、奢られっぱなしが嫌だったら今度もし遊んだ時にでも僕に奢ってあげてください。それに今日、湊本さんと本屋行けて楽しかったのでまたどこか一緒行けたらそれだけで十分です」


と、笑ってみせた。


 何か恥ずかしいことを口走ったような気がしたけれど、これが僕の本心であったわけである。


 照れ隠しのように、頬を掻きながら彼女を見ていたのだけど、その僕の恥ずかしさが伝播したかのように彼女の顔も少し赤くなっているように見えた。今回に関しては僕だけが恥ずかしいはずなのに、なぜ彼女まで赤くなっているのだろう。


「ちょっと奢られっぱなしは嫌なので、今週とかどこか行きませんか?」


 彼女は、僕の疑問を振り払うが如くに尋ねてくる。それがまた、彼女は顔が赤くなった時あるあるの俯きながら、なぜかこの時だけ敬語で尋ねてくるので、どこか可愛く見えて困ってしまう。


 だから僕は、手にぶら下げていた参考書たちを引き渡しながら、「いいですよ」と照れ笑った。


 湊本さんは、そんな僕の言葉を聞いて、赤い顔ながらもどこか優しく笑った。


「……」


 その様子を、誰にも気づかれずにじっと誰かが見ていた。


「そこにいるのはいつも私なのに……」


 そう、ぼそりと呟いて踵を返して、苦虫を嚙み潰したような顔をかもしながら立ち去っていった。



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