8.苦味

コトン、と胡桃はホットココアを置く。そして、テーブルの上にある、蔓籠つるかごに入っていたチョコレート菓子をとって口に入れると美味しそうに顔をほころばさせた。


「で、なんでその友達?の女子と本屋なんかにいたの?」


 それからしばらくして口の中のチョコレートが溶け切ったのか、ココアから沸き立っている湯気を見ながら湊本さんと本屋にいたことを詮索せんさくしてくる。でもその口調は玄関での威圧的な感じではなく、どこか興味本位で聞いているような気がして少し心が落ち着いた。


「長洲と一緒に下校したら偶然女子……湊本さんっていうんだけど出会って、荷物持ってただけ。長洲にはなぜか夕食がなんたらとか言って逃げられた」


「ふぅ〜ん。どうせあれでしょ、重そうだからとか言ってそっちから持ってあげたんでしょ」


「え、なんで分かったんだよ」


「いつも私にそうしてくれるから! そりゃ向こうも落ちるよ、そんなことしたら……私だってそうなのに」


 急に前倒して机を叩きながらそういうものだから少し驚いてしまう。


「……ごめん」


 その顔を見てか、こちらにそう謝ってくれる。兄妹だし別に謝らなくたっていいのに。


「でも、そんな思わせぶりなことしすぎたら勘違いされるから本当気をつけて。というか、他の人にもおんなじ事してないよね?」


「他の人と言われても女子で話すの春と湊本さんしかいないからそれ以外では会話すら滅多にしないからそれは大丈夫だって」


 実際はなんのことを言われているのかさっぱり分からなかったけど、ここでわからない、なんて言ってしまうと面倒なことになりかねないから肯定しておく。


「ふ〜ん。そっか」


 胡桃は再びココアを呷った後、少し安堵したように頷いた。ただ、「そうだ」と少し笑みを浮かべているためにこちらの方は気が気でない。


「じゃあ、お詫びも兼ねて?今週末、水族館でふぐの特別展示があるっていうから行こうよ。ふぐだよふぐ!これは見なきゃでしょ」


 あぁ、やっぱりそうだ。こういうときの妹はこちらにとって困ることしか言わないのだ。今週末といったら湊本さんと遊びに行く約束をした日だっていうのに。


 先程、湊本さんにも連絡したのだが、週末といっても土曜日は基本的に部活があるので日曜しか空いていない。よってこれを受け入れるとダブルブッキング不可避となってしまう。


「えっとですね……。日曜日はちょっと湊本さんと遊びに行く予定があって」


「え、なにそれ初耳なんですケド」


「そりゃ、今日決まったからね。だから湊本さんが良かったら三人で行くっていうのもあるけど……いい?行く場所はまだ決めてなかったから水族館でいいから」


「……」


 胡桃は、カタコトのロボットのようになった後、放心状態なのか時間が止まったかのように機能を停止した。マグを持ったままなので、こぼしたりしないか気になって仕方がない。


「嫌だったら別に行かなくても大丈夫だから。水族館は僕も行きたかったし来週でもいいからね」


 それでも胡桃は口を開けたまま止まっている。せっかくの綺麗な顔が台無しだなぁ、なんてそんなことを考えるくらいにはブランクの時間があった。


「……いく」


「え?」


 口から発せられたその言葉があまりに小さすぎて聞き返してしまう。


「行くって言ってんの!あ〜もう!休日に遊びに行くほどまでとは思ってないからびっくりしすぎちゃったじゃん!」


 胡桃は、どこか不服そうにチョコの包装を手で遊ばせる。


「お、おう。じゃあ湊本さんにもそう言っておくわ。まぁ胡桃と遊びに行くのも久しぶりだから楽しみだな」


 僕がそういうと胡桃は楽しみという言葉にどこか反応したのだけれど、すぐに目を逸らす。逸らしたついでにとばかりに籠に入っているチョコをいくつかこちらへ寄越してくれた。


「それじゃ、ちょっと宿題してくる。日曜はオールで空いてるから具体的な時間は決めてもらっていいから。後、日曜は湊本さん?の意見を尊重してね」


 そう言って、胡桃は余ったチョコを口に咥えたまま立ち上がる。そのまま、自分の部屋がある2階への階段を登っていっていた。


 一人、ダイニングテーブルについている僕は部屋に入ったドアの音を聞いた後、椅子の背に体重を預ける。


「明日、湊本さんに妹がついてくるけど大丈夫か聞いてみないと」


 そう一人でに呟いて、胡桃から貰ったチョコレートを開封し、口に入れた。砂糖の味はほとんどせず、これぞカカオというほどの味だった。というかこれはもう、チョコではなくカカオだった。


「苦いな、これ」


 僕は、そのチョコレート菓子のパッケージを見る。そこには『カカオ87%入・ビターなあなたに』というキャッチコピーがなされていた。

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