第11話 旅立ち

「大丈夫か、宙……」

「あぁ、美樹生。うん、たぶん」

 宙と美樹生は絵羽の葬儀に来ていた。


 最後の出棺が終わり、絵羽の最期を見送ったところだった。

絵羽の母親からは斎場まで行って一緒に骨を拾って欲しいと頼まれたが、宙はどうしても行く気にはなれなかった。


 確かに病院で絵羽の臨終の瞬間に立会い、絵羽の死を見届け、こうして葬式にまで顔を出したが、宙の中では絵羽が死んだことをまだ受け入れていなかった。

あと数日で夏休みに入る暑い日だった。


「ほんとに信じられないよ。絵羽ちゃんがこんなことになるなんて」

「……」


「あぁ、ごめん。まだ、おまえだって整理ついてないよな」

「うん。まだ、信じてない」


「そうだよな。わりィ……」

「いや、いいんだ。本当は頭では全部わかってるんだよ、俺も。ただな、気持ちっていうか、心が受け入れてないんだ……家ではお袋がしっかりしろっていうけど……しっかりできないんだ」


「当たり前だよ。一番愛していた大事な人だったんだから。そんなの当たり前だよ」

「ありがとう。美樹生、おまえっていつも俺の慰め役だな」


「ばーか、気にすんな。幼稚園からの付き合いだろ」

「そうだな。一人でも俺の気持ちを理解してくれる奴がいるっていうだけで、死にたい気持ちが癒されるよ」


「ばか!なにが死にたいだよ。おまえは絵羽ちゃんの分まで生きなきゃだめだろ!」

「だよな。そう、絵羽は……死んだんだよな」


「宙……」

 すっかり空は夏になり、遠くには大きな入道雲が浮かんでいた。



 

「お袋!じゃ!行ってくる」

「あぁ、気をつけてな。連絡してこいよ」


「ああ、うん。手紙書くよ」

「手紙?なんで?電話でいいわよ」


「いや、手紙にする。なんか……手紙がいい気がして」

「そっか、わかった。じゃあ、手紙書いておくれ。待ってるから」


「うん。そうするよ。じゃあ、行ってくる」

「あ!宙!」


「うん?」

「信じてるからな。おまえのこと」

 母親のその言葉に何も応えず、ただ、フッと微笑を返して宙は家を後にした。


 夏休みに入り、宙は一人旅に出ることにした。

最初母親に言った時には成績も下がってるのに塾でも行けと散々言われたが、どうしても自分の気持ちを整理したいことを説明すると母親も折れた。


そして、旅の資金までくれて、快く送り出してくれた。

 改めて母親に感謝した。

本当は絵羽の後を追って死に場所を探すため旅に出ようと思っていたのだが、母親のことやそんなことをしても絵羽が喜ばないということに気づいて、その気持ちはもう消えていた。


 でも、どうしても旅には出たかった。

絵羽との今までのことを整理すること、そして、これから自分がどうして生きていけばいいか考える時間が欲しかった。


そのためには見知らぬ場所、空間が必要だと考えた。

そして、宙は街を出た。


 行き先は北海道に決めていた。

当初は甲子園に向うことも考えていたが、残念ながら美樹生は準々決勝で敗れて最後の夏を終えていた。


美樹生は『約束を果たせなくてごめん』と泣きながら言ってくれた。

絵羽が亡くなっても宙を元気付けるために甲子園に絶対行くと言っていたからだ。


改めて美樹生の優しさに触れた宙は友達のためにも死んだりしてはいけないと思った。

でも、甲子園への道はそこで閉ざされてしまったため、行き先を考えていたところ、偶然ネットを見て霧多布岬きりたっぷみさきというのが北海道にあることを知った。


その名の通り、よく霧がかかっている岬らしい。

絵羽との出会いの日が霧だったことを思った宙は迷わずそこを目指すことにした。


 本来なら飛行機で釧路まで行って陸路を霧多布まで行けばすぐなのだが、敢えて電車での旅にした。

おそらく絵羽と旅行に行っていたらお金もないので、電車の旅になるだろうと思った宙は電車を乗り継ぎながら霧多布を目指した。


 上野から東北への鈍行に乗った宙は、夏休みで混んでいる車内に乗り込んだ。

ちょうど、四人席の窓側が空いていたので、そこに座った宙は、一息つくと、持っていたペットボトルのお茶を飲み、ゆっくりと流れる景色を見つめていた。


「おや?一人旅かい?学生さん?」

 前の席に座っていた老婦人が声を掛けてきた。


「ええ、一人旅です。高校生です」

「へぇ、高校生で一人旅かい。えらいね。うちの孫も、もう高校生になるけどチャラチャラして頼りないんだよね。あんたはしっかりしてるね」


「いえ、そんなことないです」

『えらい』と言われて、なんだか照れくさかった。

旅の動機はそんな立派なものではなく、いわゆる傷心旅行なのだからあまり格好のいいものではない。


「どこへ行くんだい?」

「はい、北海道まで」


「北海道?!この鈍行でかい?」

「はい、学生ですから、お金ないですから」


「へぇ、益々えらいね!うちの孫につめの垢を煎じて飲ませてやりたいよ」

 また、そういわれて照れくさくなった宙は愛想笑いを浮かべた。

これ以上いろいろ聞かれるのは面倒と思ったので逆に聞き返した。

「おばあさんはどちらまで?」

「あたしかい?あたしはその孫に会いに仙台までね」


「仙台にいらっしゃるんですか、お孫さんは?」

「そう、仙台はいいよ。あたしも本当は仙台の生まれなんだけど、娘の頃、東京に出稼ぎに来てね。あぁ、出稼ぎっていってもわからないかね。まぁ、裕福ではなかったから中学を出たらお金を得るために東京に出てきたんだよ」


「中学を出たら……ですか。その方がよっぽどえらいですね」

「そうかい?その頃は当たり前だったんだよ。まだ、戦前の話だからねえ。ちょうどまだ戦争が始まる二、三年前頃かね。あたしゃ長女だったから、その頃は子沢山こだくさんでね。兄弟が七人もいたから、家は農業だけでは食っていけなくて、金を得なければ生活ができなかったんだよ」


「すごいですね。じゃあ、家族を支えていたんですね」

「そんな、支えてるなんて格好のいいもんではなかったけどね。東京と言っても働いてるのは工場での労働者だから。しばらくは繊維を扱っていたんだけど、戦争が始まってその頃から軍需工場で働かされてね。お国のためってんで、稼ぎにもならなかったけど、とにかく生きていくためには仕方なかったからね」


「生きてくためには……ですか」

「そう、働いている分にはなんとか飯は食えたからね。最も戦争が激しくなった頃はもう、工場も閉鎖されて、仙台に戻ったけど。でも、その頃出会ったのが、死んだ旦那でね。その人が東京の人だったもんだから、一緒に仙台に疎開して、戦争が終わって再び東京に出てきたんだよ」


「へぇ、大変だったんですね。戦争って」

「あぁ、だからろくな娘時代は過ごしてないからね。今のあんたたち高校生とかがうらやましいよ。そいで、娘が出来て結婚したと思ったら娘婿むすめむこの仕事の都合で仙台に転勤ときたからね。皮肉なもんだよ人生は」


「あぁ、それで仙台に行かれるんですね。でも、いいじゃないですか、里帰りできるみたいで」

「あんたうまいこというね。そうだね。もう、娘以外身内はいないけど、まぁ里帰りってことで考えればいいもんだね」


「そうですよ。それに娘さんやお孫さんにも会えるわけですし」

「そうだね。あんた、高校生のくせに、ほんとにしっかりしてるね」


「いえ、そんなことないですよ」

 しばらくそんな風に話をしていたがやがて電車の揺れに釣られてその老婦人は眠ってしまった。ふと窓を見ると少し後ろの方に夕日が見えていた。


 

 仙台に着いた時は、もうすっかり日が落ちていたが、想像していたより都会の街並みを見て家で待っている母親のことを思い出した。

 特にホテルは予約していなかったので、とりあえず駅の観光案内所に行ってその日に泊まれる安い宿を探した。

ちょうど駅から近いビジネスホテルが空いているということで、そこに行くことにした。


 ホテルについてフロントに行くと観光案内所から連絡を入れてくれていたので、前金を払うと、すんなり泊まることができた。


正直なところちょっぴりドキドキしていた。


高校生が一人でビジネスホテルに泊まるなんて家出とかと間違われて何か問いただされるのではないかと思ったからだ。


夏休みということもあり、一人旅の高校生とかはそれほど珍しくはなかったらしい。


 部屋に入ると安い割にはそこそこ清潔な感じだった。

 シャワーを浴びて、ホテルに着く前に近所のコンビニで買ってきていたおにぎりとお茶を出し、夕食にした。


「やっぱり独りで食う飯は味気ないな」

 ほとんど当たり前のように母親と食事をしていたことを改めてありがたいことなのだと思った。


食事を終えてフッと窓の外を見ると月が出ていた。

かかっていたレースのカーテンを開けてしばらくその月を眺めていた。

 目は月を見ていたが心は絵羽のことで満たされていた。


 霧の中での出会いから絵羽が病室で息を引き取るまでをずっと巡らせていた。

 絵羽との想い出はわずか四ヶ月足らずだったが、その一日一日を鮮明に覚えていた。

交わした言葉もすべて頭の中に入っていた。その一つ一つ、一言一言を心の中に再び焼き付けるように反芻はんすうしていた。


 

 

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