第7話 なぜ

 二人はそれからも、ごく普通の高校生カップルと同じように二人の時間を楽しんでいた。


その日も学校の帰りに待ち合わせた二人はファストフードの店に入って軽い食事をとっていた。


「絵羽、はい、これ」

宙は小さな包みを絵羽に渡した。


「ん?なぁに?」

「開けてみて」


「うん。あ!指環!どうしたの?」

「今日は何の日か知ってる?」


「え?今日?何の日?私の誕生日ではないし、宙のとも違うし……」

「なんで自分の誕生日に指輪あげるの?」


「だってぇ……あ!もしかして、私たちが初めて会って……」

「そう、あの自転車事故から一ヶ月、つまり、二人が出会って一ヶ月の記念日」


「わぁ、ありがとう、宙、そんなこと覚えててくれてたんだ」

「まぁね。強烈な出会いでしたからね」


「もう、言わないで。怒鳴ったりして、少しは後悔してるんだから」

「ははは、いいよ。そのおかげでこうして一緒にいられるんだから」


「そっか、そうだよね。でも、これ高かったんじゃない?」

「ううん、正直値段は言えないくらい安い。でも、バイト代、一応つぎ込んだから」


「ありがとう、宙、大好き!でも、無理しないでね」

「その言葉だけで、報われた!でもなぁ、もっとお金があればなぁ。旅行とか行きたいよね」


「旅行かぁ。行きたいね」

「やっぱ、温泉とか」


「きゃはは、宙、じじくさーい」

「なんでだよ。最高の贅沢じゃん。温泉に浸かって、ノンビリして日頃の疲れを癒すんだよ」


「日頃の疲れって、おっさんみたい。そもそもなんか疲れるようなことしてる?」

「ばーか、俺は人一倍気を遣うんだよ。だから、絵羽と違って疲れるの」


「なーに、それ、まるであたしが気を遣ってないみたいじゃない」

「え?遣ってたの?それは知らなかった」


「ひっどーい、もう知らない。宙のばか!」

「あははは、いつもやられっぱなしだからね。お返しだよ」


「べーだ!宙と旅行なんていかなーい」

「いいよ。べつにー、他の誰か誘っていっちゃおうかなぁ」


「ばかぁ!」

 そう言った絵羽が宙の顔面にパンチを繰り出す振りをしたとき、バランスを崩したようになり、椅子から滑り落ちた。


「あははは、なにやってんの、絵羽?ダッセー」

「……」


「ほら、ハズイから早く立てよ」

「……」


「絵羽、ふざけてないで、死んだ振りとかしてんなよ」

 椅子から滑り落ちた絵羽はそのままの体勢で動かない。


「絵羽?おい!どうした?絵羽?」

 ふざけているのではないことを察知した宙が、絵羽の身体を抱き寄せたが、身体にはまったく力が入らないようで、動かない。

只事ただごとではないと感じた宙は


「絵羽?おい、しっかりしろ。誰か!救急車呼んでください。誰か!」

 


 しばらくして店員が呼んだ救急車で絵羽は病院に搬送された。

付き添った宙は絵羽のどんどん冷たくなる手を握りながら、何が起こったか理解が出来ずずっと震えていた。


「ご家族の方ですか?」

 到着した病院の看護師に尋ねられた。


「いえ、恋人です」

「ご家族の連絡先はわかりますか?」


「はい、自宅の電話なら」

「すぐに親御さんを呼んでください」


「はい!」

 そう返事はしたものの、正直どうなっているのか頭の整理がつかなかった。


『親を呼ぶ?そんなに悪いのか?一体なんなんだ?まさか……』

 とにかく自分が取り乱してはダメだと思い直し、絵羽の自宅に連絡を入れた。

 母親が出たので、事情を説明していると、慌てた様子で「すぐに行きます」と告げられ電話を切られた。


 三十分後、絵羽の母親が病院に着いた。


「あなたが、宙さん?!絵羽から話は聞いてます。絵羽は?いったいどうしたの?!」

 慌てた母親が宙に掴みかかる勢いで聞いてきた。


 答えにきゅうしていると、奥の廊下から医師が歩いてきた。

「お母様ですか?石田と申します。とにかくこちらまでおいでください」


 一緒についていこうとした宙を看護師が止めた。

「ごめんね。君はここで待っていてください」


 そう言われて、動くことが出来なくなった。

医師に連れられていく絵羽の母親を呆然と見送った。


 しばらくして母親が出てきた。

その表情は青ざめていて、力なく歩いてきた。

「お母さん。どうなんです?絵羽は?絵羽はどうしたんです」


 絵羽の母親を呼びとめ、問いかけるが全く答えを返してはくれない。


「お母さん。どうしたんです。教えてください。絵羽は大丈夫なんですか?」

 そう声を掛けた瞬間、母親はうなだれ、その場に座り込んでしまった。


 宙は、座り込んで気力をなくしている絵羽の母親の肩をゆすりながらもう一度同じ質問をぶつけた。


「……病」

「え?今なんて?なんの?なんの病気なんですか?」


「白血病……」

『ハッケツビョウ』確かにそう聞こえた。

耳を疑った宙はもう一度母親に尋ねた。


 しかし、それ以上母親は何も言葉を発することなく、その場に突っ伏して泣き出した。

 しばらくして先ほどの医師が戻ってきた。


「君は?彼女の友達かね?」

「はい、恋人です。付き合ってます」


「そうか、じゃあ、君にもしっかり聞いてもらった方がいいね。いいかい。彼女は急性骨髄性白血病きゅうせいこつずいせいはっけつびょうだ。それもかなり悪性の。血液の癌なんだ。助かるには今すぐにでも骨髄移植こつずいいしょくをするしかない」

「僕の、僕の骨髄を使ってください。いくらでも使ってください」

 そういう宙に医師は力なく首を横に振った。


「誰の骨髄でもいいわけではないんだ。血液型やその人に合った骨髄でなければ意味がないんだ。その確率は約十万人に一人。親でさえ合わない方が多いんだよ」

「そんな……どうすれば、どうすれば絵羽は助かるんですか?」


「すでに、ドナー、つまり骨髄が適合した人が登録をされているか、問い合わせをしているが、それまでに彼女の身体がもてばの話だが」

「いつまで、どれくらい待てばいいんですか?絵羽の身体はいつまでもつんですか?」


「はっきりとはわからない。一月先か、一週間先か、明日かもしれない」

「そんな、あんた医者だろ?医者がそんないい加減でいいのかよ!」

 そんなことを言っても無理なことは頭ではわかっていたが、やり場のない怒りを医師にぶつけた。


「これはどんな名医でもドナーがいなければ無理なんだよ」

 医師は冷静に答えた。


「ちくしょう!なんで、絵羽が……俺が、俺が替わってやりたい!ちくしょう!」

 溢れてくる涙で目の前がにじんできた。


「今は運を天に任せるしかない」

 そう言われて、しばらく黙っていた宙は冷静さを取り戻した。


「絵羽に会えますか?」

「今は無理だ。集中治療室にいる。治療を続けているので会うことはできない」

「ひと目、ひと目だけでいいんです。絵羽の顔が見たいんです」

 宙の必死な形相ぎょうそうに押された医師はガラス越しならという条件で絵羽に会わせてくれた。


「絵羽……」

 たくさんの機械に囲まれて、透明な覆いに囲われた絵羽がそこにいた。


「絵羽……俺の声が聞こえるか?返事してくれよ。絵羽……」

 力なく話しかけるが、ガラス越しに聞こえてくるのは中で作動している機械の音だけだった。

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