『孤剣 ~幕末妖刀異聞~』あとがきと補足
拙作『孤剣 ~幕末妖刀異聞~』を読んで頂きありがとうございます。
筆者にとって初の本格的な時代劇でしたが、楽しんで頂けたなら幸いです。
昨今、ゲームやアニメなどの影響で刀剣がブームになり、博物館の刀剣展示会に若い女性が大勢訪れるなど、これまでにない現象が起きているそうです。
筆者もこの作品の参考にと、茨城県水戸市にある県立歴史博物館の刀剣展示会に赴いたところ、十代から二十代の若い女性の姿を何人も見掛けて驚きました。
筆者は元々、特別に刀剣ファンという訳ではないのですが、高い殺傷能力と研ぎ澄まされた美という二つの要素を併せ持つ刀剣には、やはり魅了されずにはいられません。
思えば筆者の小学生時代、自宅に父の買った日本刀が置いてありました。
もちろんアルミニウム合金で出来た模造刀ですが、本物そっくりに作られたズシリと重い手応えに「昔の人はこんな武器で殺し合いをしていたのか」と、なんだか空恐ろしいような気持ちになったのを覚えています。
しかしその一方で、偽物とはいえ無駄のない研ぎ澄まされたフォルムに、何か言葉にし難い魅力のようなものを感じていました。
そういえば筆者の母方の本家は茅葺き屋根の古い農家でしたが、居間の柱に大きな刀傷がありました。
幕末の
大人気の刀剣ですが、その中でも特に異彩を放つのが「妖刀」という存在でしょう。
妖刀の代名詞でもある村正を始めとして、「天下五剣」にも数えられ、
本作でも「この世ならぬ美には魔が宿る」と書きましたが、あまりにも研ぎ澄まされた美を持つ刀剣には、昔から何らかの不思議な力が宿るのだと信じられていたのでしょう。
以前から「妖刀」をテーマにした作品を書きたいと思っていましたが、こうしてやっと形に出来たことで、長年の宿題を果たせたような気持ちでいます。
作品の内容に多少触れると、実は最初の主人公は敵役の堀田善次郎でした。
妖刀を手にした男が徐々に心を狂わせ人斬りに堕ちてゆく、というシンプルな筋立てでしたが、あまりに陰鬱な話になってしまったため「あ、こりゃダメだわ」と、内容を変更することにしました(笑)
主人公を無頼の用心棒にしたのは、身分に捉えられず、幕府側にも浪士側にも与せず、自由に動かしやすかったからと、自分なりに「強くて格好良い主人公」を描いてみたかったからですね。
また藤沢周平の『用心棒日月抄』を原作にした時代劇ドラマ『腕におぼえあり』の主人公、
「浪士組」について
幕末の歴史好きの人は詳しいと思いますが、詳しくない人のためにごく簡単に解説したいと思います。
本作で登場する浪士組は、朝廷の求めに応じて京へ上洛する第十四代将軍、
これは幕末の志士、
清河八郎は
江戸で唯一、学問と武術の双方を教える「清河塾」を開き、尊王攘夷を志す同志を集めた「
同志たちと共に熱心に政治活動を続ける清河でしたが、やがて奉行所に危険人物として目を付けられてしまいます。
そしてあるとき、衆人環視の中で罵詈雑言を吐くなど無礼を働いた町人(奉行所の密偵という説あり)を斬殺してしまい、お尋ね者として追われる身となります。
その後、江戸を離れ逃亡生活の傍ら九州遊説などを行っていましたが、追われる身では何かと不自由です。
その清河にとって起死回生のアイデアが、いわゆる「急務三策」と呼ばれるものでした。
その中身は
一、攘夷の断行
ニ、大赦の発令
三、天下の英材教育
の三つを柱とするものです。
当時、幕府は増え続ける無頼の浪士らに頭を悩ませており、その浪士らに過去の罪を赦す代わりに仕事を与え、治安回復の一助にしようとしたのが、この「急務三策」という清河のアイデアでした。
清河はこの急務三策を記した書状を、同志である幕臣、山岡鉄太郎(のちの鉄舟)に託して、幕府の政務総裁だった
水戸に潜伏していた清河は、ほどなくして講武所剣術教授方の
そして松平上総介の名をもって奉行所に一書が差し出され、清河はその罪を赦されたのでした。
晴れて自由の身となった清河は精力的に関八州を遊説し、浪士組の参加者を募ります。
しかし彼は浪士組の名簿の中に自分の姓名を載せず、特に役職にも就かず、浪士組を背後から操ろうとします。これにはある計略がありました。
二月八日、京へ向けて出発した浪士組は、二十三日に京へ到着し、
「(清河)八郎は京着速時、一同を新徳寺に集め、正座について、今回一同が上洛したのはけっして将軍家護衛のためでなく、一意尊王攘夷の先鋒たらんがためである。よって一同の素志を天聴に達するため御〔ママ〕に上書するが、異存のあるはずなかろうと申し渡し、堂々とまえもって起草していた上書文を読み上げた。一同は寝耳に水の申し渡しであったが、この時八郎の剣幕は傲然たるもので、一同異議を唱えたる者もなく賛同してしまった」
『新徴組の真実にせまる』より抜粋
つまり将軍徳川家茂の護衛と攘夷浪士取締りを目的として結成された浪士組を、そのまま江戸に引き返して尊王攘夷のための武装集団として利用しようとしたのです。
清河の巧みな弁舌によって、集まった浪士のほとんどがそれに賛同してしまいます。
しかしこれに異を唱えたのが、近藤勇や土方歳三ら試衛館の面々と、芹沢鴨ら一部の浪士でした。
彼らは京に残って壬生浪士組を結成し、その後、京都守護職である
清河八郎に率いられ再び江戸に戻った浪士組ですが、幕府にすれば都合の良いように利用され裏切られた訳ですからタダでは済みません。激オコです。
清河は浪士組を使って外国人が多く暮らす横浜居留地の焼き討ちを計画しますが、その決行の僅か二日前、文久三年四月十三日夕刻、
清河の死後、リーダーを失った浪士組は、奇しくも清河の出身地でもある庄内藩の預かりとなり「
そして江戸市中の取り締まりや海防警備などの任に就くことになりました。
将軍の護衛として集められたのに一転して倒幕の兵として利用されそうになったり、今度はまた幕府のために働かされたりと目まぐるしい限りで、当の浪士たちは一体どんな気持ちだったのかと思いますが、時代の動乱期というのは得てしてそんなものかも知れません。
時代全体を見通せるのは後世になったから言えることで、その時代の渦中にあっては自分がどのような立場にあるのかすら、適切に把握するのは困難なのではないでしょうか。
さて、当時の江戸の治安の悪さは相当なもので、不逞浪士だけでなく、空き家となった武家屋敷に盗賊が住み着いてアジトにするなど、かなり劣悪な状況でした。
そこへ朱い陣羽織を纏い、庄内藩酒井家の紋所である「かたばみ」の提灯を手にした新徴組の隊士たちが、五十人二組の昼夜交代で江戸市中を見回り始めたことで、江戸の治安は次第に回復して行きます。
そのため新徴組は「酒井なければお江戸が立たぬ、おまわりさんには泣く子も黙る」とまで詠われるようになりました。
ちなみに「おまわりさん」とは古来から市中巡回の官職である「
しかしその一方で、隊士らが見回りの最中に
そのため新徴組は「うわばみよりもかたばみこわい」などと言われたりもしたのです。
この辺りはいかにも権力を笠に着た無頼の徒、という感じですね。
職務に励む浪士組改め新徴組でしたが、慶応三年(一八六八)十二月二十五日、ある事件が起きます。
「御用盗賊」と呼ばれる不逞浪士を操り、江戸で放火や略奪を行っていた薩摩藩の藩邸を、新徴組が焼き討ちしたのです。
この焼き討ちによって、品川などで火災が一日中続きました。
これは新徴組が薩摩浪士に屯所を襲撃され、使用人一名が殺害されたことに対する報復でもありましたが、しかしこの事件が後に起こる戊辰戦争の端緒となってしまったのも事実です。
やがて薩摩、長州、土佐を中心にした新政府軍と、旧幕府、
慶応四年三月、庄内藩の江戸引き上げに伴い、新徴組の隊士とその家族もそれに随行しました。
そして庄内藩と新徴組は東北各地を転戦し、会津藩や新撰組と共に戊辰戦争を戦うことになります。
余談ですが、新撰組の沖田総司の義理の兄、沖田林太郎がこの新徴組で組頭を務めていました。
しかし慶応四年五月、義弟の総司は病により既に亡くなっていましたから、二人が戦場で顔を合わせることはありませんでした。
戊辰戦争の結果は旧幕府側の敗北に終わりましたが、終戦後は新徴組の数少ない生き残りが、庄内地方や北海道での開拓事業に従事したと伝えられます。
本作の主人公、犬廻兵悟は、新撰組と新徴組、果たしてどちらの道を選んだのでしょうか。それはまた別のお話。
(終)
本作の主な参考文献
『日本の歴史 第十二巻 開国への道』
平川進
『歴史道 江戸の暮らしと仕事大図鑑』
朝日新聞出版
『歴史旅人 江戸の暮らし完全ガイド』
普遊舎
『お金の流れで知る幕末明治』
マイウェイ出版
『江戸東京名所事典』 笠間書院編集部
『江戸の暮らしがわかる本』 山田順子
『江戸衣装図鑑』 菊池ひと美
『新徴組の真実にせまる』
千葉弥一郎 原著
西脇康 編著
『日本刀』 小笠原信夫
『日本刀の神髄』 メディアバル
『古流剣術』 田中普門
『無 ほんとうの強さ』 本荘可宗
孤剣 ~幕末妖刀異聞~ 月浦影ノ介 @tukinokage
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