第16話 女のコの表情
黒猫シャノワが学術都市シュテルンフューゲルでマリア・クィンと対面していたころ。
ヴィラ・ドスト王国王都の歓楽街は静まり返っていた。
煌びやかな夜の姿と異なり、昼間になると人通りはほとんどない。ほのかに酒の香りが漂う街なかで、カラスとネコたちが激しいゴミ争奪戦を繰り広げている。
大商会が軒を連ねるメインストリートの賑わいとは対照的だ。
歓楽街の一画にある老舗の妓楼「織姫や」。
この店の前に濃紺を基調とした貴族服の青年が立っていた。ビシッと直立し店の朱い欄干を見上げている。
整った顔立ちに、涼やかな瑠璃色の瞳が印象的だ。美しい白金髪の長髪を紐でポニーテールのように縛っている。
年齢は二十代前半くらい。
ところでこの青年、いったい何をしているのだろうか?
まだ日は高い。
妓楼へ遊びに来るには、時間がおかしい。
そこへスピカ、キヌエ、ヒルマンの三人が、買い出しから戻ってきた。
三人は立ち止まって、店の前に立つ青年に視線を向ける。
「あら、お頭。あのお方……」
店の前に立つ青年を見た竜人のキヌエが、スピカに声をかけた。
「ンンン? なんだァ、あの男は?」
つづいてヒルマンが青年を睨む。
店の前に立つ青年を見るなり、スピカは瞳を潤ませて満面の笑みを浮かべた。
「……ラピス。ラピスっ!」
この青年はドラクルス王国第二王子ラピス。「瑠璃の君」とも呼ばれる麗人だ。
スピカの呼ぶ声にラピスは顔を向けた。
スピカの横顔を見たヒルマンが目を丸くする。
「ねね、姐サンが女のコの顔になってるよォ!? はおっ!」
スピカの高速肘打ちを鳩尾に受けたヒルマンが腹を抑えて膝から崩れ落ちる。
足下で悶絶するヒルマンをよそに、スピカはラピスの方へ駆け出した。
彼の胸へ飛び込んで首を抱く。
「バカバカバカ! いつまで待たせるのよ」
「なかなか会いに来れなくて。すまない」
ラピスがスピカの背中へ腕を回す。スピカはラピスの胸に顔を埋めた。
「ラピス、ラピス、ラピスぅ……」
会いたくて会いたくて、でも会えなくて。
いつも店の欄干から店先を見つめ、彼が訪れるのを待っていたスピカ。
胸の奥で堰き止めていた想いが溢れ出す。
言葉にできない気持ちを伝えるように。
ラピスの首に縋りついていた。
🐈
そして夕暮れ時。スピカの部屋。
スピカは遮音防壁を展開して、ラピスと二人だけの時間を過ごしていた。
「スピカ、キミはしばらくアルメアへは行かないでくれ」
「どうして?」
「近いうちに大規模な軍事衝突が起きる」
「……そうなのね」
「とくにベナルティアは雪辱に執念を燃やしている」
かつてベナルティア王国はアルメア王国との戦争で大敗したことがあった。
ベナルティア王国竜騎士団の英雄ザクル将軍が、アルメアの「鬼神」エイトス・レーヴ率いる軍勢の奇襲を受け敗走したのである。
「シュテルン・シュルフトの戦い」と呼ばれている。
この戦いでザクル将軍はエイトスに討ち取られ、以後、世界最強と謳われたベナルティア竜騎士団も弱体化の一途を辿った。
ベナルティア王国の貴族たちにとって、この敗戦は「歴史的屈辱」だった。この屈辱を晴らすべく、虎視眈々とアルメア国境を越える機会を狙っていた。
そこに大義名分など存在しない。
「カルナからも手紙があったわ。そんなくだらない理由で戦争なんかできないってね。貴族達を抑えるのに苦労してたそうよ」
ベナルティア王国第一王子カルナは、一時は地に落ちた竜騎士団を立て直した人物である。
スピカは彼とも親交があった。
「盗賊ハルカ」はベナルティア王国に「七夕や」という妓楼を置き、同王国における活動拠点としていたからだ。
「だろうね。だが西側からテスランがアルメアへ攻め込んだら、たとえカルナ王子でも、ベナルティアの貴族たちを抑えることはできないだろう」
「テスランが!?」
ラピスが顔を歪ませながら頷く。
「ドラクルスとしても、戦略を練らなければならない。とはいえ、すこし時間が必要だ」
ドラクルス王国も軍勢を出すとすれば、それを率いるのはラピスだろう。戦場では何が起こるか分からない。大怪我をするかもしれないし、最悪、戦死することもありうる。
アルメア王国の「鬼神」エイトスは、現在、冒険者ギルド9625の幹部(表向きのギルドマスター)だが、他国と戦争が起きれば間違いなく招集され一軍を率いるだろう。
軍勢を率いたエイトスとラピスが戦う光景を想像したスピカは、固く目を閉じて首を左右に振った。
ラピスがスピカの肩を抱き寄せる。表情を歪ませながらスピカは彼に身を委ねた。
「だからスピカ、この話は誰にも言わないと約束してくれ。とくにアルメアに知られると、予測できない方向に事態が急変する恐れがある。テスランとベナルティアが先を争って計画を前倒ししてしまうかもしれない」
スピカは俯いて彼の言葉を聞いていた。
テスラン、ドラクルス、ベナルティアの三国によるアルメア王国への侵攻。この情報を黒猫シャノワに伏せるのは、彼に対する背信になる。
スピカがラピスの上着の胸元をきゅっと握る。
「ドラクルスにとってアルメアは友好国なんだ。かつて見て回ったこともあるが、とても素敵な国だった。俺にとても優しくしてくれた叔母様の嫁ぎ先でもある。あの国が火の海になるのは耐えられない」
眉間に皺を寄せてラピスが目を閉じる。
スピカも悲しげな表情で頷いた。
🐈
そのころ――
ヒルマンは店の裏庭で庭石に腰かけて、夜空に浮かぶ満月をぼーっと眺めていた。
「月が綺麗ですね」
背後からした声に振り向くと、キヌエがそこに立っていた。
月と同じ金色の瞳で夜空を見上げている。
「おおっとォ、キヌエ姐サン。こんなオイラにプロポーズしてくれんのかィ?」
ヒルマンがニイッと歯を見せた。
「は?」
キヌエは「コイツ、なに言ってんの?」とばかりに、顔を顰めて首を傾げている。
「どこの国だったかの吟遊詩人が、そう言ってプロポーズしたんだよォ」
ヒルマンの口から出た言葉にキヌエは瞬きした。
その風貌からは想像できないが、彼は意外に物知りである。このような男女の機微に関するエピソードまで知っていた。
「キンノスケというヤマト王国出身の吟遊詩人ですよ。ご存じありませんか?」
キヌエの背後から金髪銀眼の男が声をかける。
「げっ!」
月明りに照らし出された男の姿を確認したヒルマンは、だらだらと冷や汗を流し始めた。
「こんなところにいたのですね。ヒルマン隊長」
鬼面猿猴の「岩猿」にベルゼブ・ペインを掛けられた彼は、「織姫や」の一室に運び込まれ一時は生死の境を彷徨った。その後、容態は落ち着いたものの眠りから覚めずにいた。
「ひいッ!? だだだ、誰のことだよォ。人違いだよォォ」
ヒルマンはわたわたと両手を振って誤魔化そうとした。しかし、エルフのように長い鼻をしたヒョロガリ縮れ毛の小男。彼ほど特徴のある男は王都に二人といない。
「あら、いつお目覚めになられたのです?」
慌てふためくヒルマンをよそに、振り返ったキヌエが尋ねる。
「すこし前に。目が覚めたら知らない天井が見えたので、思わず飛び起きました」
わたりネコのアノン わら けんたろう @waraken
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