始まりにあったもの

「さあ、こちらへいらっしゃい」

 いにしえの魔女に誘われ、ミーシカ•ヌミシカは彼女の膝下に座りました。暖炉のそばにいるような、日向を浴びるような、大好きな人のそばにいるような安心がありました。彼女は年を刻んだ手でヌミシカのやわらかな手を包みました。

「私の子どもたちにお話をしましょう。ここは木に守られて安全だからね」 

「あなたはズナ•レレ悪い妖精が言っていた人なんですか?」

 魔女の穏やかな表情がかすかに、曇りました。それは晴天に、一欠片の雲が流れて太陽を遮ったような小さな変化でした。

「シモナという蛇かしら?」

「はい。ミーシカが騙されてこの森へ入り込んでしまったんです」

 そしてヌミシカは気づきました。魔女は「シモナ」というたび、かなしそうな目をすることを。

「大変だったわね。ただ、愚かなシモナのせいではないの。森がそうされたの」


 娘は森へ出向いて尋ねることにした

  森よ 精霊よ 命の源よ

   私は問う 

    「始まりとはなんでしょう」

 森は震え上がりまばゆい光を産んだ

  娘よ 人の子よ 知を求む者よ

   我は答える 

    「光あれ」

     こうして光があった

 娘は首を横に振った

  森よ 神よ 光の創造主よ

   私は再度問う 

    「光の前には何があったのでしょう」

 森は震え上がり娘を闇に包み込んだ


 娘は畏れ、何もなき地を彷徨った

  一面、暗闇で覆われていた

   頬を伝う涙は無く、

    震える肩を抱きしめる腕も無く

     娘は自身の愚かさを知った

      そしてふと、気付いた


 魔女はそこで歌を止めた。聞き入っていたヌミシカはと共に闇の中にいた。一面、色はなく、光もなく、心臓の音だけが響く場所。瞼を閉じてなお薄く光は差し込み、夜は月や星があった。

 ヌミシカには、真の暗闇は想像できなかった。

 何に気付いたのだろう、と固唾を飲み、老婆のうすい唇を見つめた。見つめる先の唇はゆっくりと、ゆっくりと、口角をあげ、吐息のように、うたが流れた。


  闇の中であってもなくならないもの

   それはであった


    「光あれ」


    森は頷くように風を呼び

     そしてまた、光が蘇った

   

 ヌミシカは胸元に押さえ込んでいたものが弾けたように感じた。切り傷から溢れ出る血のようなものではなく、もっと喜びのようなものであった。魔女はそんなヌミシカを見つめ、噛み締めるように言葉を続けた。

「私は言葉を聞く者として選ばれたとき、ちいさな蛇の妖精と出逢った。その者は人間という存在を珍しがり、どこへ行っても私について行った」

 懐かしむように「ひよこのようだったわ」と笑っている様にヌミシカは動揺した。ヌミシカの記憶にある蛇はどうしても、鋭い牙をかがやかせていたからであった。

「私は面白さ半分で、その蛇に名前を与え、言葉を教えた。シモナは私の教えた言葉を何でも吸収していった。とても優秀な教え子だったわ」

「ずっと一緒にいたかった。けれども、私には聞く者としてやるべきことがあった」

 私はシモナを一人にさせてしまった、と魔女は眉をひそめた。ヌミシカはぞわわと産毛が逆立つのを感じた。

「シモナは、何をしてしまったの?」

 ゆるり、ふわり、ことり。木の葉が地面を撫でるように、テイの精霊たちがヌミシカの太ももに降り立った。木漏れ日のようなあたたかさが、こわがるヌミシカをなぐさめていた。

「シモナは森にやってきた人に、私が授けた言葉を使った。主が与えてくれた言葉というものは、とても便利なもので、良いものにも、悪いものにも変わりえた。シモナは後者として、言葉を使ってしまっていた」

 いいものにも、わるいものにも。ヌミシカは太ももの精霊たちをやさしく引き寄せ、抱きしめた。魔女はそんな姿を見つめ、名残惜しそうに孫の肩を寄せた。

「さぁ、私の子ども」

 白髪まじりのコマドリ色がミーシカ•ヌミシカの頬を撫で、星の精霊たちがひとり、ひとり、そしてまたひとりずつ、天へ戻っていった。

「もどりなさい」

 はじまりの魔女がヌミシカのおでこに口付けをすると、彼女の姿は消えていた。辺りにはそよ風に揺れるテイの枝葉と、しずけさだけが漂っていた。

 ヌミシカはまた、ひとりになりました。

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精霊たちの森 紅蛇 @sleep_kurenaii

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