その2
「兼公ねえ。毛唐みたいにやけに目鼻立ちのくっきりした色男さ。背も高いが、なによりもご立派な逸物が評判でさ。仕事の終わりに、すっぽんぽんで大川の水で汗を流しているのを近所の女の子たちやら、長屋のかみさん連中までわざわざ見に来てさ。きゃあきゃあ大騒ぎだわさ」
聖天船着き場の若い船頭が、おもしろおかしく兼吉のもて振りを話してくれた。
「質屋の娘のお福?・・・兼吉にすっかりのぼせあがって、所帯を持つなどとだれかまわず言いふらしていたようだが」
「そいつは親が許さなかった」
「親も何も。兼公はお福なんかまるで眼中になかったな」
「ほかにイロがいたのかね」
「いや、女に興味がないどころか、他人を仇と見るような尖った妙なやつでさ。てんでひとと交わろうとしない」
「お福殺しで捕まったが・・・」
「そいつがどうも分からねえ。お福を抱きあげて大川に投げ込んだというが、そもそも殺す理由がねえ」
「言い寄るお福が邪魔になった、とか」
「お福が兼公に恋い焦がれていたのほんとうだ。が、まだ十五のおネンネ。じぶんからちょっかいを出すような年増の手練手管なんかありゃしねえ」
・・・浮多郎は、聖天稲荷裏から船着き場にかけて、小伝馬町の牢につながれた兼吉のまわりをさぐっていた。
これは、南町奉行所の岡埜同心の差し金だった。
同僚の佐々呉十郎が、岡っ引きのタレコミを真に受け、片っ端からしょっぴいては拷問にかけて自白させる荒っぽいやり口が、岡埜にはどうにも許せなかった。
証拠なんぞあらばこそ、糞も味噌もいっしょくたくで、
『悪事に加担しそうな小悪党どもを江戸から一掃するのは世のためひとのため』
などと佐々同心は常日頃うそぶいていたが、それがなによりじぶんの出世につながるとの腹づもりなのは見え見えだった。
花川戸の今にも崩れそうな長屋に母親をたずね、兼吉がお福が大川に投げ込んだとされる時分、兼吉がどこにいたかを聞くと、
「倅がどうして質屋の娘を殺す。ちょっと調べりゃ分かりそうなもんだろ」
と毒づいた。
「そのお調べとやらにやって来た訳でさ」
「おや、そうかい。たいそうな色男の岡っ引きだねえ」
生来の男好きなのか、今度は浮多郎に色目を使う始末。
最下級の安女郎が春を売る吉原の羅生門河岸で年季が明けたあと、この長屋でも客を取ってる時に生まれたのが兼吉だった。
父親はだれか分からない。
傍らで兼吉が泣きじゃくるのも平気で客をとったので、まともに育つはずもない。
兼吉は長じると、長屋の入口で日がな一日膝を抱え、往来を通るひとを無言で睨みつけるような奇態な子供になった。
「倅は変わり者だが、人殺しはしねえよ」
母親は、団子にたかった蠅でも追い払うように手を振り、浮多郎を追い払った。
大川橋に立った浮多郎は、浅草寺の鐘が暮れ六つを告げるころを見計らい、十日ほど前に欄干を越えて身投げをした娘を見なかったか、橋を行き来するひとに聞いて回った。
・・・風呂のように蒸し暑い夕暮れだった。
川面を赤く照らす夕日がようやく江戸湾に沈むのを潮時と見て、引き揚げようとする浮多郎を呼び止める声がした。
橋のたもとに店を出す易占いの老人が、
「いろいろとお調べのようですな。たしか十日ほど前のこの時分に店じまいをしようとしていたら、若い娘が欄干から身を乗り出したのを見て、これは危ないと思いました」
今になってようやく思い出したようだ。
「貸本屋と思しき若い男が抱き留めようとしたのですが、その手をかいくぐり娘は大川にドボンと・・・」
その貸本屋があわてて橋番に駆けつけので、『じぶんの出る幕でもないだろう』と、そのまま店を畳んで家に帰ったと老人は白い顎髭をなでながら言った。
「このことは奉行所で証言できますかい?」
念を押すと、老人はじぶんの所番地と名前を書いた紙を浮多郎に渡し、請け合った。
数日すると、兼吉が無罪放免され、花川戸の長屋へもどってきた。
・・・石抱きの拷問で足が潰れたのか、足を引きずってはいたが。
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