その9
獄門の辰という盗賊がいた。
天明の大飢饉で、飢えた北関東の領民が江戸へ流入し、米屋や商家を打ち壊して略奪の限りを尽くしたことがあった。
その機に乗じた辰は、徒党を組んでひそかに米屋や商家を襲った。
その後、奪った米や乾物などを高値で売りさばき、財をなしたという。
寛政になると、素知らぬ顔で西本願寺裏に乾物屋を開き、辰五郎という名の旦那に収まった。
三人の妾たちに銘酒屋をやらせたのが大当たりで、せっせと財に財を重ねていた。
が、根が好色なだけに、吉原といわず岡場所といわず好みの女がいると聞けば、どこへでも出かける男だった。
辰五郎の好みは、見かけは無垢な少女でありながら、そこはかとない玄人の色気がある女郎だった。
どんぴしゃだったのが、北角楼のみはるだ。
みはるが極印つきの新造女郎として載った最新版の細見を見るや、「ぴん」ときた辰五郎は、すぐ吉原へ駆けつけた。
・・・あれから何度みはるに登楼したろうか。
今日も今日とて、半日みはると遊んで上機嫌の辰五郎は、大門前から駕籠のひととなった。
しかし、いつもは大門から馬道へ折れ、浅草寺の横っ腹から広小路へ出るのに、駕籠はだいぶ遠回りをしている。
「おい、駕籠かき。道がちがうぞ!」
気性の荒い地金丸出しの辰五郎は、だみ声を張り上げた。
が、聞いてか聞かずか、急に速度を上げた駕籠は聖天稲荷を右に折れ、大川沿いを突き進む。
突然駕籠かきが、駕籠を放り出した。
転がり出た五郎が怒鳴りつけたが、駕籠かきの姿は影もかたちもない。
あいにくの新月で、辺りは真の闇だ。
このあたりは、こじんまりとしたしもた屋が肩寄せ合っている、うらさびれたところだ。
・・・路地で鬼火が光っていた。
ゆらゆらと揺れる鬼火に誘われるように、辰五郎は路地へ迷い込んだ。
長屋の共同便所の扉が風に揺れ、きしんだ音を立てていた。
ひとの気配に振り向いた辰五郎は、いきなり背後から斬りつけられた。
じぶんの首根っ子が一瞬風に吹かれ、胴体から跳び離れるのを感じた辰五郎だが、・・・遅かった。
翌朝早く、花川戸の長屋街の共同便所の扉が開いているのを何気なく覗いた納豆売りが、びっくり仰天腰を抜かした。
左の板囲いの小便器に血まみれの男の首が鎮座し、右の板床を四角く切っただけの大便器に、二本の足を上にした男の胴体がすっぽりはまっていた。
岡埜同心がやって来るのを待つ間、浮多郎はあたりをひと回りした。
このあたりの長屋には見覚えがあった。
『ああ、路地奥の長屋に兼吉が母親と住んでいたなあ』
浮多郎は記憶をたどり、兼吉の長屋をたずねた。
・・・しかし、四畳半一間の部屋には、兼吉も母親の姿もなかった。
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