その10

「しかし、なんだなあ・・・」

駒形の船宿で、どじょう鍋を突っつきながら、岡埜同心はしきりに嘆いた。

「こうも残忍な殺人が続くと嫌になります」

浮多郎も同じ気持ちだった。

『主が帰ってこない』と西本願寺裏の乾物屋・西京屋の手代が番屋に届け出ていた。

花川戸の共同便所の血まみれの首を見せられると、手代はへなへなと崩れ落ちた。

「獄門の辰の盗みは名人芸だった。殺しはやらねえし、足あとすら残さん。天明の大飢饉のとき、押し込み強盗を働いて財を成したのも間違いねえだろう。しかし、匂いは漂よわせても、尻尾だけは絶対つかませねえ」

「昔の仲間と分け前で揉めたのでしょうか?」

浮多郎は、わざと愚問を岡埜にぶっつけた。

「馬鹿野郎!何年目明しをやってるんだ」

案の定どやしつけた岡埜だが、浮多郎が十手を握って一年も経っていないのに気が付いたのか、照れ笑いを浮かべた。

「どう見たって、ぜんぶ同じ下手人だろうよ。阿漕なことをやって金儲けした奴らを次から次へと血祭りにあげた」

「教勝寺のご住職は吉原で派手に遊んでいたようですが、その元手はどこからで?」

「お前知らんのか」

「はあ」

「陰富だよ。谷中感応寺の富籤の当り番号を予想する籤を、教勝寺が密かに瓦版屋に売らせていた。寺社奉行にも金が回っていたようで、寺はぼろ儲けだった」

「旗本の桐野新左エ門さまは、札差の丸源と癒着して、同僚や大名筋にせっせと金を貸して、利ザヤを稼いでいたそうで」

岡埜は、手酌で酒をちびちび呑んでいた。

「『悪事を働く奴らは許せねえ』と立ち上がった正義の志士が、天誅とばかりに殺しまくり、死体を肥桶や、とぐろを巻いた大便やら、便器の中に死投げ込こんで、恥ずかしめた」

「浮多郎。まだケツが青いな」

「はあ?」

「徳政令とやらで、札差からの借金は棒引きになった。が、扶持米を質にして札差から金を借りるのが禁止された。これで旗本衆は困ったのだ。桐野のおかげで闇金融が受けられ、ほとんどの旗本衆は大喜びだろう」

「なるほど」

「陰富でささやかな賭けに興じて喜ぶ民もいる。賭け事がすべて悪いわけではない」

奉行所の同心にしては、岡埜は善悪を超えた幅の広い見方ができる男のようだった。

「ちょっと待ってください。・・・獄門の辰の米泥棒もそうですが、教勝寺のご住職の陰富も、桐野さまの闇金も、岡埜さまのおっしゃる民にとって善とか悪とかなどどうでもよいことです」

「浮多郎、何が言いたい?」

げじげじ眉をハの字に寄せた岡埜は、浮多郎が言おうとする先に思いを馳せているようだった。

「民は、そんな悪事をしている者がいることすら知りません。ですから、正義の志士の仕業だとすれば、それは民ではありません」

「それでは、だれの仕業だと言うのか?・・・お前まさか」

「そうです。裏で悪事をして金儲けをする奴らの存在を知る立場にいて、それが許せないと義憤に駆られた志士です」

「それって・・・」

あたりを見回した岡埜は、浮多郎をにらみつけた。

「それ以上は、言うなよ!」

と叫ぶなり、どじょう鍋を蹴飛ばして、船宿を飛び出して行った。

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