その8

天道が二倍にも三倍にも大きくなったのか、朝からうだるような暑さが続いた。

城東方面の岡っ引きたちが狩り出され、旗本の桐野新左エ門が辻斬りにあった御茶ノ水の坂一帯を虱潰しに調べて回った。

南町奉行所の同心佐々呉十郎が指揮をとった。

佐々同心の腰巾着の明神下の丑松が、大張り切りでちょこまか駈けずり回っていた。

急斜面の神田川の土手を長い棒で探っている浮多郎に、

「泪橋の、精が出るのう」

丑松が猫撫で声で声をかけた。

「おい、あそこを見ろや!」

丑松が、川べりを指差した。

川の際の砂礫に何やら光るものが見えた。

丑松に背を押されるようにして浮多郎が土手を降り、夏の朝の光に映える匕首を砂礫の上で見つけた。

「お手柄じゃ。佐々さまにご報告だ」

丑松は、今度は浮多郎の手を引くようにして、土手を登った。

「うむ」

生涯一度も笑ったことのなさそうな佐々同心は、四六の蝦蟇のような顔をさらに引きつらせて匕首を受け取った。

「佐々さま、柄をごらんくだせえ」

丑松が横からしゃしゃり出た。

「何やら彫ってありますぜ」

よく見ると、白木の柄に「けん」の字らしき文字が彫り込んである。

「兼といえば、花川戸の兼吉!奴の持ち物では・・・」

芝居がかった丑松のもの言いに、浮多郎の背筋を虫唾が走った。

「しかし、刃に血糊の影も形もありませんぜ!」

と思わず知らず、浮多郎は叫んでいた。

『花川戸の兼吉の匕首が見つかった』と丑松が吹聴して回ったので、『今日のお勤めはこれまで』とばかりに、岡っ引きたちは三々五々散っていった。


裏の井戸で汗を流し、お新の淹れてくれたぬるめのお茶を三杯ほど呑んでやっと人心地のついた浮多郎は、

「血糊の痕跡もない匕首を人殺しの証拠品などと取り上げる佐々さまもどうかしています。それに桐野さまは、背後から袈裟に斬られたそうで。匕首では袈裟には斬れませんて。匕首は突くもので、斬るものではありません」

政五郎に向かってまくし立てた。

「奉行所には岡埜さまもおる。聖天のお福の一件もあるので、めったなことでは兼吉を罪には問えまい」

政五郎はなだめにかかった。

「教勝寺の勝栄坊の言うことがほんとうなら、思いを寄せる女郎を買った住職が許せないという、理不尽ながら殺人の動機らしきものはあります。が、兼吉が桐野さまを殺す動機が見当たらねえ」

「北角楼のみはるちゃんの姉女郎のお北さんが、落籍れて桐野さまのお妾さんに収まったのが、つながりといえばつながりよね」

写楽の大首絵の団扇でふたりに風を送りながら、お新が首をひねった。

「お北さんが幸せになるのは、みはるにとってはうれしいことだよね」

浮多郎とお新の仲睦まじい会話を聞いていた政五郎は、

「実はみはるが桐野さまに惚れていて、お北に取られたと恨んでいた。それで、地廻りの兼吉に殺しを頼んだ・・・」

「まさか!」

お新がにらみつけたので、政五郎は首をすくめた。

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