その7
浮多郎はその足で、湯島天神下の教勝寺へ向かった。
副住職の勝栄坊は夕べの勤行とかで、ずいぶんと長いこと待たされた。
やっと玄関に現れた勝栄坊は、浮多郎を見るなり嫌な顔をした。
「丑松兄いから聞きましたが、花川戸の兼吉という者がここへ怒鳴り込んで来たそうで」
それを聞くと、勝栄坊は首をめぐらし、
「ああ、丑松とやらに聞いたのなら、それでよいではないか」
と言って、すぐに奥へ引っ込もうとした。
そうはさせじと、浮多郎は勝栄坊の袖を握った。
「吉原田圃でご住職が殺される前日のことですね?」
「あ、ああ、そうだ」
「ご住職は、前日に吉原へ下見に行ったということでよろしいですか?」
「・・・・・」
「ご住職の吉原通いは、すでに楼主たちにはよく知られていますぜ。あっしにはその是非はどうでもよいことで。ただご住職を殺した下手人を捕まえたいだけです」
「その花川戸の兼吉・・・とかいう男が下手人ではないのか?」
「たしかに丑松兄いならそう言うでしょう。が、あっしはそこを調べたいので。何時に兼吉は現れました?」
「さあ、申の刻ごろかな」
「あとを追って来たので、ご住職が吉原から帰ってすぐのことでしょうね?」
「だろうな」
「副住職が会われたそうで。兼吉は何と言いいました?」
「『さっきここに入った坊主に合わせろ』と」
「それで副住職は何と?」
「『そんな者はおらん』と追い返したが、これが大変だった」
「兼吉は、子豚のように小さいのにやたら肥っている奴です。間違いないですね?」
「そうだな。・・・たしかに、チビデブだった」
勝栄坊はうなずき、浮多郎が握った袖を振り払おうともがいた。
「最後にひとつだけ・・・」
浮多郎は、袖をぐっと引き寄せた。
「ご住職は、登楼した相方の女郎に『必ず当たる富籤の番号を教える』と言ったとか、こちらのお寺さんでは、必ず当たる富籤でも売ってるんで?」
「そ、そんなこと、・・・し、知るものか!」
かんしゃくを起こした勝栄坊は、浮多郎の手を振り払い、足音高く廊下を走り去った。
火灯しころ、浮多郎は宵の清掻三味線が嫋々と響く吉原へ出かけた。
大門を潜ってすぐの仲ノ町の大通りは、花色暖簾や鬼簾で華やかな引手茶屋の前で楼の迎えを待つ客や、これからどこの楼に上がろうか相談しながら練り歩く一団でごった返していた。
大門すぐのところに、間口半間の見世を構える蔦屋の手代に、最新の寛政六年四月版の吉原細見を見せてもらった。
果たして北角楼のみはるは、なり立ての振袖新造として載っていた。
「幼く見えるが今年十七の美形」と褒めてあり、かつ極上の合判が押してあった。
教勝寺の住職はこの細見を見た上で、舌なめずりしながらあちこち下見をして回ったのだろうか?
花川戸の兼吉は、角町の北角楼の格子窓から半間ほど離れて立っていた。
兼吉の視線の先には、格子の中でひとりぽつんと離れて座るみはるがいた。
「兼吉、俺に見覚えがあるか?」
浮多郎が正面に立つと、兼吉は『邪魔だ』とばかりに首を傾げた。
「湯島天神下の教勝寺を知ってるか?」
そこで初めて兼吉は、浮多郎をチラと見てから首を振った。
「そこの住職がみはるに登楼する前日、お前が教勝寺へ出かけて住職を脅したことになっている。・・・ということは、お前が裏の田圃の肥溜めで住職を殺したということだ」
兼吉は穴の開くほど浮多郎を睨みつけ、やがてプイと横を向き、角町の木戸の先へ歩み去った。
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