その12

奉行所の下知は、とりあえず兼吉を探せということだった。

「『とりあえず』と言われましてもねえ」

浮多郎が愚痴ると、

「丑松の奴、またうまく立ち回ったようだな」

政五郎も苦虫を噛み潰したような顔をした。

そこへ、ちょうど清掻三味線の当番を終えたお新が、

「入りにくそうにしているお客さんが、表に」

と言って背の高い男を店の土間に招き入れた。

「兼吉!」

土間に片足を下した浮多郎が、毛唐のように目鼻立ちのくっきりした色男を見て驚いたのなんの。

根っから口の重い兼吉は、

「奉行所が、俺を探しているそうじゃねえか・・・」

と言ったぎり、先のことばが出てこない。

「共同便所で辰五郎の首が見つかった朝、どうして逃げたえ?」

「朝じゃねえ」

「じゃあ、いつだい」

「夜だ・・・」

「何があった?」

「夜中に便所に行ったね・・・」

そこで、兼吉は息を呑んだ。

「それで?」

浮多郎が促すと、肩をすくめた兼吉・・・

「小便が、何か石のようなものに跳ね返ったね。そいつをよーく見ると、生首だった。かっと目を開けて睨みつけてやがる。いやあ、金玉が縮み上がったぜ」

よほど怖かったのか、無口な兼吉もここだけは饒舌だった。

それで、『奉行所に何を言っても疑われるだけなので、逃げた』と言う。

「あの首は、獄門の辰という昔は大泥棒で今は大きな乾物屋の主のものだ。胴体はどこにあったと思う?」

「・・・・・」

「隣の大便所に逆さに突っ込まれていた。お前の仕業か?」

「滅相もねえ」

兼吉は首を振った。

念のため、教勝寺へ脅しに行ったかとたずねると、そのお寺がどこにあるかも知らないと答え、

「匕首はどうした?」

とカマをかけて聞くと、

「そんな物騒なものは持ったことがねえ」

と首をひねりながら答えた。

お新に握り飯を山ほどこさえさせて兼吉に持たせ、日が暮れてから兼吉が母親と逃げ込んだ聖天稲荷裏の廃寺へ送り届けた浮多郎は、その足で八丁堀へ向かった。

役宅の四畳半で、岡埜はひとり手酌で呑んでいた。

にわか独り身の岡埜を案じた隣家の女房がくれた鯵の干物が、今夜のあてのようだ。

「そうか、兼吉がなあ。・・・蝮のような丑松のことだ。すぐに見つけるさ」

「どうなります?」

「佐々の奴、丑松の言うことを鵜呑みにして、そのままお奉行に報告したようだ」

「で?」

「お奉行は、いつものごとく早く下手人をあげろの一点張りで。『こいつが下手人で』と突き出せば、そいつをぱくりと呑み込むだけのことだ。まるで鯨さね」

岡埜は両手をあげて万歳の恰好をした。

『いくら酒の上とはいえ、同心の役宅でお奉行の悪口を大声で言って無事で済むとも思えない』

浮多郎は、思わずあたりを見回した。

「獄門の辰の殺しのご検分のあと、駒形でどじょう鍋をいただきましたが・・・」

「それがどうした。半分持とうってえのかい」

「いえ。岡埜さまは、えらい剣幕で『それ以上は言うな』とお怒りでした。・・・何かこころ当たりがあるようにお見受けしました」

今の浮多郎には、すがるものがそれしかなかった。

それで、またどやされるのを覚悟で言った。

が、岡埜は浮多郎をじろりとにらみつけただけで、腕組みするなり長いこと考え込んでしまった。

やがて顔を上げ、

「百の論よりひとつの証拠。いや、ひとつの直感」

と分からないことを口にした。

「義を見てせざるは勇無きなり」

次に、これまた古いことわざを言った。

・・・額を寄せた岡埜は、声をひそめて浮多郎にある秘策をさずけた。

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