その13

南町奉行所の同心佐々呉十郎はひとり身だ。

縁あって何とか小町とかいう美女を嫁にもらったが、脂ぎった四六の蝦蟇のご面相のせいか、すぐに逃げられてしまった。

それからは好きな剣術の稽古に励み、於玉が池の町道場で伊藤派一刀流の免許皆伝を得て、師範代をつとめていた。

岡埜は、佐々にことば巧みに近寄り、非番の日にこの道場で剣術指南を頼んだ。

立ち会ってみて分かった。

念流のそこそこの使い手の岡埜だが、腕前は佐々の一刀流のほうが数段上手だった。

お礼にと、神田松枝町の居酒屋に誘うと、佐々は喜んでついてきた。

酒が入っても、こちこちの堅物との評判どおり、佐々とはなかなか話がはずまない。

「・・・佐々どのは、東洲斎という小太刀の達人を知らんかな?」

話を剣術の話に振ると、佐々は釣り餌に引っかかった。

「いや、知らん」

「それでは、東洲斎写楽は?」

佐々は頷いた。

「じつは、東洲斎と写楽のふたり別々の絵師が、ひとつの雅号で役者の大首絵を描いておる。最近になってこの東洲斎が抜けたので、画挌が落ちたと蔦屋重三郎が弱っているそうだ」

「ほほう」

「抜けた理由というのが、何でも江戸の隠れキリシタンを扇動して幕府転覆を企てるためという。これは先手組から漏れ聞いた噂だが・・・」

岡埜が声をひそめると、

「火盗が・・・」

佐々は身を乗り出した。

「ああ、火盗に知り合いがおってな」

「江戸のキリシタンはすでに根絶やしにしたはず」

「あ、いや。それがそうでもない。この東洲斎は、さる大身旗本の忘れ形見なのだ」

「ということは、旗本もからんだ話なのか?」

「さあ、それは分からん」

何やらしきりに思いをめぐらしていた佐々だが、

「岡埜どの、その東洲斎とかいう小太刀の達人はどこに住んでおる?」

と真顔でたずねた。

『ははあ、幕府転覆云々より、小太刀の達人というところに引っかかったか』

ほくそ笑んだ岡埜だが、そ知らぬ顔で、

「これがだれも知らんのだ。ああ、吉原の角屋の朝霧太夫というのを落籍して、西本願寺の門前でじぶんの描いた役者絵を売らせている。もっとも、めったに寄り付かないので女房が泣いているようだが・・・」

面白おかしく話すと、

「岡埜どの、なんとか居所がつかめんかの」

涎を垂らさんばかりに聞いてくる。

「儂の使っている岡っ引きの実家が小間物屋で、櫛笄簪のたぐいを女房の店に卸しているらしい。探らせてもよいが」

佐々は猪首をしきりにめぐらせていたが、

「いや、じぶんで探してみよう」

と言うと、用は済んだとばかりに、すぐに神輿を上げた。


「姐さんよう、こちらで東洲斎とかいう牢人の居場所が分かるそうだが」

店先で丑松のだみ声がした。

「いえ、分かりません」

お楽が答える。

お楽とは、朝霧太夫が市井で暮らすための名前だ。

「おかしいな。姐さん、元は吉原の女郎だろう。東洲斎とやらが落籍して女房にしたそうじゃねえか。亭主の居場所が分からねえとは、どうにも分からねえ」

「居場所をお教えしたら、どうするおつもりでしょうか?」

「いや、身に危険が迫っていると教えようと思ってね。これは岡っ引きのちょいとした親切心でさ」

「どのような危険かおうかがいできれば、夫に伝えることもできましょう」

舌なめずりした丑松は、

「これは特別に仕入れたネタなんでね」

と下司の本性丸出しで商売にかかる。

「お礼をと?・・・いかほどでございましょうか」

「う~ん。気はこころといったところかな・・・」

ここが潮時と、浮多郎は店の奥の暖簾を分けて、顔を突き出した。

「丑松親分はそうやって、教勝寺やお北さんや辰五郎から金を巻き上げたのかね」

丑松が驚いたのなんの、あんぐり口を開けたまま動かない。

「東洲斎先生とは兄弟も同じ仲。あっしが先生のところへひとっ走りしましょう」

浮多郎は、にこりと笑った。

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