その14
佐々呉十郎は、江戸東都の刑場の小塚ッ原へ定めの申の刻にやってきた。
果し合いの日時と場所を決めた丑松の姿が、見えない。
気にするほどのことではない。
丑松は、世に害を及ぼす悪党どもをあぶり出してくれれば、それでよい。
・・・あとは、じぶんが正義の鉄槌を下す。
竹矢来をめぐらした刑場の奥に、傾きかけた天道を逆光に岡埜同心の姿が見えた。
「拙者が、今日の果し合いの立会人を務める」
岡埜が厳かに言った。
果し合いなどと勝手に決めても困るが、いまさらどうでもよい。
・・・名目はともかく、大っぴらに悪人を斬れるのだ。
当の東洲斎が、なかなか現れない。
「岡埜どの、東洲斎とやらはほんとうに現れるのか?」
焦れた佐々が、口を尖らせた。
「ああ、心配めさるな。・・・そうそう、今日の果し合いのことで事前にお伝えしておきたいことがある」
佐々は、怪訝な顔を岡埜に向けた。
「お手前が勝てば、謀反人の東洲斎を成敗したことでよい。負ければ、正体のわからない相手と果し合いをして斬り殺された。これでよいかな?」
『どうせ、勝つのは俺だ』
頷いた佐々は、鼻をうごめかせた。
「偏狭な正義感に駆られた南町奉行所同心・佐々呉十郎が、悪事をなす教勝寺の住職、旗本の桐野新左エ門、獄門の辰を次々と刃にかけたが、四人目の悪党に返り討ちにあった。このようにお奉行に報告したい」
「なんじゃと!」
佐々は血相を変えた。
「丑松の口車に乗り、花川戸の兼吉を冤罪にしてお叱りを受けてから、お手前はさしたる証拠もないまま、噂だけで悪人を成敗することにした。これは私刑じゃ」
「何の証拠があってのことだ!」
「証拠だと?・・・そんなものはありゃせん。それは、確たる証拠もなく、悪人もどきを成敗するお手前も同じこと。悪人を手打ちにしてさぞかし気持ちがよかろう。しかしなあ、佐々どの。これだと、この世の大半を殺さねばなるまいて。大なり小なり、ひとは悪を成さねば生きてはいけんて。・・・お手前ひとりだけが、聖人君子のようだが」
「せ、拙者は、世のためひとのため正義を成しておる!」
「そうかな。見たところ正義のためというよりは、ひとを殺す快感に酔っておられるようにお見受けする」
「・・・・・」
ふたりはしばらく睨み合った。
そこへ、東洲斎を案内して浮多郎がやって来た。
後ろ手に縛られた丑松がその後をとぼとぼとついて来た。
無精髭の東洲斎は中肉中背、顔こそ凛々しいが、とても強そうには見えない。
大柄ではないが筋骨隆々の佐々は、懐手をして頼りなげな東洲斎を見て、「勝った」と思った。
「東洲斎か。幕府転覆を画策した罪で成敗いたす!」
叫んだ佐々同心は、手に提げた定寸よりかなり長い刀身をすらりと抜き放ち、鞘を投げ捨てた。
「・・・・・」
東洲斎は何も言わず、相変わらず懐手のまま刑場の中ほどに立ったまま。
佐々は天道を背にしようと、円弧を描きながら横へ回った。
今や、佐々は完全に天道を背にした。
東洲斎の端正な顔に、まともに日が当たっていた。
『こやつ、天道の位置を取ろうともしない。しょせん素人か?』
早々に勝負をつけようと、真っ向微塵唐竹割とばかりに長刀を上段に構えた佐々だが、なかなか打ち込もうとしない。
「きえっ」
「きえっ」
と掛け声だけは威勢がよい。
が、どうにも打ち込めない佐々。
その額からはとめどなく汗が噴き出し、四六の蝦蟇のような顔が汗みどろになった。
その時、つつと東洲斎が歩み寄った。
佐々が長刀を振り下ろすのも委細構わず、一瞬にしてその腋の下に入った東洲斎が、脇差を一閃させた。
反転し、日輪を掴むように手を伸ばした佐々だが、そのまま枯れ木のように倒れた。
翌朝。
朝霧の中を、吉原裏の田圃を見廻りに来た百姓が、
「お~い」
と呼びかける声を聞いた。
声は、飛び不動に近い畦道の方からした。
百姓が恐る恐る近寄って見ると、・・・後ろ手に縛られた鬼瓦のような顔の男が、はまった肥溜めから抜け出そうと、必死にもがいていた。
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