大団円

「佐々さまは、一命をとりとめたそうではないか」

壁にもたれた政五郎は、冷えた麦茶をすすった。

「ですが、すでに奉行所を辞する届を出されたようです」

団扇で養父に風を送りながら、浮多郎が言った。

「岡埜さまが、『佐々同心は、追っていた得体の知れない悪者に返り討ちにあった』とお奉行さまに報告したと聞いております」

「それで通るのかねえ」

政五郎はしきりに首を振った。

浮多郎も、

「さあ」

と首を振った。

「あら、ふたりで首を振って。おかしいったらありゃしない」

二階から降りて来たお新が、笑みを浮かべて浮多郎の横に座った。

「丑松とかいう岡っ引きはどうなったの?」

「吉原裏の肥溜めから抜け出したその足で、どこぞへ消えてしまったね」

「同心の佐々さまに、あらぬ噂話をほんとうらしく吹き込んでそそのかしたのね」

お新は、浮多郎にしなだれかかった。

「ああ。それにじぶんも殺しを手伝ったはずだ」

「殺す相手の家へ行って強請ったが、はねつけられて金にはならなかった。その腹いせもあったのかね?」

政五郎が、横から口を挟んだ。

「それもあるでしょう」

「それに、兼吉が殺ったようにいろいろと細工をした罪も重いな」

「お疲れさまでした」

お新は、ぺこりと頭を下げた。

「しかし、丑松親分がからんでいるところまでは分かったが、悪人もどきを成敗するお侍まではたどり着けなかった」

「お前が、民とか官とか言ったので、岡埜さまはピンときたんじゃあねえのかい。同じ奉行所にいて、すでに佐々の言動に目を付けていたのかもしれん」

政五郎がなぐさめを言った。

「岡埜さまも、同僚を咎人として突き出すには葛藤があったのではないでしょうか?・・・それに、私刑は許せないと断罪した佐々さまを、同じように私刑にしたのです。われわれにも罪はあります」

浮多郎は、事件解決をどうにも心底喜ぶ気にはなれなかった。


しばらくして、吉原でひと騒動あった。

北角楼のお職女郎だったお北の葬儀が、神田明神下の丸源でひっそりと行われた。

楼主に願い出た振袖新造のみはるは、特別に参列を許された。

お北がみはるを実の妹のように可愛がっていたのを、楼主もよく知っていたからだ。

葬儀が終わり、北角楼がしつらえた町駕籠に乗ろうとするみはるを、抱き取ろうとする男がいた。

あわてたのは、見張りに付いて来たふたりの若い衆。

「あっ、てめえは、兼公!」

暇さえあれば北角楼の格子の前に立つ兼吉を、若い衆は見知っていた。

みはるの手を引き立てようとする兼吉と若い衆が、もみ合った。

跳ね飛ばされた若い衆が、ふところから匕首を引き抜いて、

「野郎!」

と身構えたとき、

「止めなんし!」

小柄なみはるが、驚くような大きな声で叫んだ。

「いつかは登楼してくださる、大事なお客さまを傷つけてなりません」

見得を切るようにして睨みつけるみはるに恐れをなしたのか、若い衆は刃を引いた。

「兼吉さんとやら、・・・みはるは登楼をこころ待ちにしております」

兼吉に微笑みを投げかけてから、みはるは裾をからげて駕籠のひととなった。


それから、ひとが変わった兼吉は、船着き場で馬車馬のように働きはじめた。

もちろん、暇があれば北角楼の格子の前にやって来て、みはるを飽かず眺めることは忘れなかった。

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花川戸情話~寛政捕物夜話18~ 藤英二 @fujieiji_2020

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