その4
いつ、どんな坊主が、どの見世に登楼したか、など互いにつながりのある楼主たちには先刻お見通しなのだ。
ただそれを大っぴらにすると、当の坊主のみならずじぶんたちも咎を受けるので、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるにすぎない。
馴染みを決めずにあちこちの見世を漁り回り、ねちっこく値切って登楼する教勝寺の住職の長年の悪行は、楼主たちの間にとっくに知れわたっていた。
「ああ、たしかに昨夜お坊さんが登楼しました」
四郎兵衛会所に詰める楼主に教えられてたずねた北角楼の番頭は、よく覚えていた。
「えっ、殺された?裏の田圃で?」
驚く番頭をうまく丸め込んで、吉原田圃に連れ出すと、
「坊主が肥溜めに逆さに!」
番頭は素っ頓狂な声を出した。
「確かにこのお坊さんです。まちがいありません」
浮多郎が畦道に横たえた住職の頭に鬘を乗せると、あまりの臭さに鼻をつまんでいた番頭は、すぐに答えた。
「これで身元は知れた。懐の銭は手つかずだ。物取りではないとすると・・・」
「怨恨でしょうか?」
浮多郎が、間髪を入れず合いの手を入れると、岡埜同心がニヤリと笑った。
「なにせ、これだけの生臭坊主だからな・・・」
奉行所から検死人がやって来たのを汐に、朝風呂へ行く岡埜と別れた浮多郎は、小者と連れ立って湯島天神下の教勝寺へ向かった。
応対に出た小僧に向かって、小者が『住職が殺された』と告げると、たちまちお寺の中は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
やがて玄関口に、副住職の勝栄坊と名乗る大柄な坊主が現れた。
「昨夜おもどりにならなかったので、とても案じておりました」
どんぐり眼に鰓の張った四角い顔の勝栄坊は、浮多郎の出方をうかがうように、下から見上げるようにして言った。
「探しに出ることも、届けることも出来ず、まんじりともせず夜を明かしました」
と口にしたが、さほど心配しているようには見えなかった。
『案外と、この副住職は住職の悪所通いを知っていたのではないか』
と浮多郎は勘ぐった。
「探しに行くとすれば、どちらへ行こうと。・・・吉原あたりで?」
ことばの礫を投げつけると、勝栄坊は刃のような鋭い眼光を浮多郎に投げつけた。
小者が『引き取りのため奉行所へひとを出せ』と命じたので、ふたりのにらみ合いは解けた。
浮多郎は吉原にもどり、北角楼の番頭を再びたずねた。
「あのお坊さんが、こちらの見世に上がったのは初めてで?」
「さいでがす」
「すぐお坊さんと分かりました?分かっていて上げたなどと咎めはしません」
浮多郎がそう付け足したので、番頭は顎を勢いよく上下に動かした。
「なにせ作りの悪い鬘ですからね。ふくよかな顔でもって、ずんぐりしたからだつきは小金持ちの商人のようでしたが、いかんせん抹香臭いので。ひと目でそれと・・・」
なるほど、吉原で三十年から番頭をやっていれば、客の正体を見抜くことなど屁でもないだろう。
「気に入った格子女郎を見つけたときは、値交渉などせずさっと登楼します、ふつうは。それが延々とねちっこく値切ってきて・・・。いい加減帰ってもらおうかと思いましたぜ。ところが、それを読んですぐに手を打った。かなり遊び慣れていますぜ、あの坊主」
『なるほど、粋ではないが、商売上手ということか』
次に、相方になったみはるという女郎を呼んでもらった。
座敷に入るなり、みはるは顔を伏せ肩をすぼめたまま口を利こうとはしない。
あまつさえ、からだを小刻みに震わせている。
女郎になりたてののみはるは、どう見ても幼い少女のようにしか見えず、浮多郎は痛々しささえ感じた。
「みはるさんとやら、何も取って喰おうという訳じゃねえ。ちょいとおたずねするだけで・・・」
やさしく声をかけたので、みはるはやっと顔をあげて浮多郎を見つめた。
「昨夜相手をしたお客が、お坊さんと分かっていましたか?」
みはるは、小さくうなずいた。
「『暑い暑い』と言って、座敷に入るなり鬘を脱ぎましたので」
「どこか変わったところは?」
「いえ、ふつうの遊びかたで」
そう答えたみはるは、頬を赤く染めた。
「いや、そういうんじゃなく。何か命を狙う仇がいるとか言ってやしませんでした?」
さらに顔を真っ赤にしたみはるは、首を振った。
「ああ、そう言えば、『籤を買わないか』と変なことを・・・」
「籤?」
「ええ、『必ず当たる富籤があるので教えてやろう』と」
「それで?」
「『次に来るときに、当り番号にしてやるから必ず買っておけ』と」
「当り番号にするって、どこの富籤を?」
「いえ、とても怪しそうな話に思えたので、何もたずねませんでした」
みはるは見かけによらずに、しっかりした女だった。
しかし、浮多郎はそれ以上この事件を追うことはなかった。
・・・次の奇怪な事件に遭遇することになったので。
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