5.根城にご訪問

 財布は軽くなったものの、その見返りはあった。本当にあんな大勢に奢る必要があったのかという後悔の念がないわけではなかったが、ともかくあの投資によって、私は欲しいものを手に入れた。


 私は今、例の動画の主と思われる人物の家の前に立っていた。本来だったら、アイデアの神からも見放されたまま、あてもなくライブハウスを見学して帰るだけだったはずが、目代の核心と思しきところまで辿り着いてしまった。私の超冴えた観察力や推理力の積み重ねによる結果ではなく、単なる偶然ではあるが。しかし、偶然を掴むのも一種の才能と言ってもいいんじゃないかと思う。たぶん。


 私は深呼吸して、意を決すると、インターホンのボタンを押した。


 すぐに家の中から返事があり、ほどなくして母親と思しき人が玄関のドアを開けた。意外だったが、私の両親とは特に似ていなかった。しかし、私を見た瞬間、驚きの表情を見せたところからすると、やはり彼女の娘と私はそっくりさんなのだろう。


「こんにちは。矢崎唯と申します」


 ここは本名を名乗っておく。おそらくそれで通じるはずである。そもそも、ここでハンドルネームを名乗るのは超恥ずかしい。


「凛さんはご在宅ですか?」


 母親はしばらく呆然としていたが、やがて我に返ると、少々お待ちくださいとか、そういうことを言って家の中に引っ込んでいった。

 それからややあって、玄関のドアから「私」が顔を覗かせた。


 ――なるほど、マジでそっくりである。ただ、動画のときとは違って、私に「似せよう」とはしていないから、よく見れば別人なのはすぐわかる……はず。双子のようにうり二つとか、そこまでではないと思う。

 そもそも私だって、普段から黒革の外套なんか羽織っていない。あれはステージや動画での衣装である。


 無理もないが、凛の表情は固かった。玄関のドアを盾にするようにして、じっとこちらを見ている。だが、こうなった以上は覚悟を決めたのだろう。彼女は短く言った。


「どうぞ。入って」



 通された部屋は、見覚えのあるものだった。壁紙の色、窓にかかったカーテンの柄、動画では見切れていた机には、パソコンのモニターとモニタースピーカー、それからエフェクターだのが乗っている。そして、部屋の隅にある濃紺のエレキギター。動画で見てもなかなかだったが、実物は相当なこだわりの逸品なのがわかった。これは間違いなく自分の身体に合わせてオーダーメイドしている。フレットにはうっすらと茨が彫られていた。


 彼女は机の椅子に座り、私は部屋の隅で立つ。彼女がうなだれるようにしてダークブラウンの絨毯に目を落とすのを、私はじっと見つめている。そうしてしばらくは時間が過ぎた。


 やがて彼女は、うなだれたまま、ぽつりと言った。


「よく、わかったね。私のこと、知ってたの?」


「いや、全然。ただ、使っていたピックに見覚えがあるような気がして、それを頼りに来たんだ」


「ピック?」


 彼女は顔を上げた。


「そう。遊園地のマスコットキャラが書かれたやつ。動画じゃそこまで見えなかったんだけど、色からヤマ勘をかけてみたんだ。まさか当たりだったとは」


 彼女は不思議そうに私を見た。


「マスコット? そんなのないけど」


 彼女は机の引き出しを開け、ピックを取り出し、私に差し出してきた。私は壁から背中を離して近づき、それを受け取る。

 その緑のピックには、確かにキャラクターは描かれていなかった。ただ、小さく例のライブハウスの店名が金色で刻印されている。

 私は言った。


「昔このライブハウスでは、このピックにマスコットを描いたバージョンがあったんだってさ。私も詳しくは知らないけどね」


 私はピックを返した。彼女はそのピックを裏返したりしながら言った。


「けどさ。ライブハウスがわかっただけじゃ、家まではわからなくない? 私、あのライブハウスの人と知り合いじゃないし」


「そこがまあ、面白いところで」


 私はどう言って説明したもんだが、腕を組んで思案した。美奈の名前は出さない方がいいのか。

 結局、考えられる限り無難な方向で言ってみることにした。


「ライブハウスに行く途中で、私をあなたと勘違いして声を掛けてきた人が何人かいたんだよね。それで、ちょっと話し込んでみたりなんだりした結果、わかったってわけ」


 凛は再び、うなだれるように首を垂れた。

 こうして本人を見ていると、動画での雰囲気とはまるで違うように見える。結構ノリノリでハードかつダークな曲を唄っていたときの面影はない。美奈達が私のことを「雰囲気が変わった」と言っていたのは、そういうことなのだろう。

 しかし、あの動画を思い出すと、自然と笑みがこぼれてしまう。私は笑い混じりの声で言った。


「しっかし、コード進行まで真似て私の曲っぽさを再現していたのは凝ってたよねえ。augからm7-5を多用しまくってたのはもちろん意図的なんでしょ?」


「いいよ。そんな話」


「へ?」


「そんな話をしに来たんじゃないんでしょ。本題に入ってよ」


 私は腕を組み、凛のつむじを見ながら考えを巡らせる。

 そして言った。


「歌唱力とギターの音作りはオリジナルを越えてるってこと? いや、それについては異議があるよ。そりゃあ私のギターはあんまり評判の良くないやつだけどさ、ちゃんとPUを替えたりして弱点の対策を……」


「まわりくどい話はやめてよ! 動画の件で話があるんでしょ!」


 凛が叫ぶような声の残響が、籠もった感じで部屋に響いた。カラオケボックスや貸しスタジオにいるときの感じに似ている。この部屋はいくらか防音対策をしているらしい。――それはともかく。


 私はすでに動画について話をしているわけで、凛の言葉は筋が通っていない気がする。が、言いたいことはなんとなくわかった。ニセ動画をアップしたことについてお叱りを受けたいということだろう。

 確かにこういう場合、抗議なりお説教なりするのが様式美というものなのかもしれない。しかし、私にはそんな気持ちはまるでなかった。なにしろ私はフォロワー300人の配信者に過ぎない。泡沫動画配信者が「アタシの真似はやめてよ!」とか言うのは恥ずかしすぎる。どんだけ売れっ子のつもりなんだと。

 じゃあなんで、私の真似をする人の家まで上がり込んでいるのか。それは単に好奇心を満たしたかったからでしかない。謎を解決してすっきりしたかっただけである。


 しかし、様式美にこだわる彼女の気持ちも分からなくはない。……様式美にこだわりがあるのかはわからないが。ともかく、理由は知る由もないが、私なんぞの真似をして動画を上げてしまったことに対して裁きを受けたいということだろう。


 この場をどうすべきか、私はいろいろ思案した。どうすれば私らしく、かつ、彼女が満足するところに落ち着くのか。

 ぶん殴るとか、お説教するとか、裁判長の真似をするとか、いろいろ考えてはみたものの、そのうちだんだん面倒くさくなってきた。

 だから言った。


「許す」


「えっ?」


 凛が顔を上げた。心底驚いている様子だった。目が赤くなっているのを見て、泣くようなことか? と、ちょっと疑問に思ったが、それは口には出さなかった。

 代わりに言った。


「ただ、曲の権利の問題があるから、その点ははっきりさせておこうよ。あの動画は私公認のドッキリだった、ということにして、何日かしたら名義を変えておいてくれない? こっちでも『そっくりさんがいたので、私の真似して動画を作ってもらいました』とかなんとか紹介しておくから。それで問題ないでしょ」


「う、うん。でも……」


「あー、もう! わたしゃ面倒くさい話をしに来たんじゃないんだよ! 音楽をやってる奴同士が出会ったら、楽器を弾くのと音楽の話をすること以外に何があるってのさ! ……あ、いや、ごめん。うるさかった」


 いけない。どうでもいいところで鋼鉄神が乗り憑りかけたようである。右手で額を押さえて反省する私を、凛は呆然と見つめていた。それからぽつりと言った。


「いいなあ」


「は?」


 予想外の謎の一言に、今度は私が驚いた。そんな私をよそに、凛は伏し目がちになりながら続けた。


「私もそんな風に生きてみたい」


 意味がわからない。凛ちゃん、人の家で突然騒ぎ出すような人生が憧れなの? そういうのは単に迷惑なだけだから止めた方がいいと思うよ。自分で言うのも何だけど。

 だが、どういうわけか誰かの憧れの対象になったらしいことに浮かれた私は、人生の先輩風を吹かせてみることにした。


「じゃあ、なりたいようになればいいじゃない」


「できないよ、そんなこと」


「動画ではできたのに?」


「だって、あれはあなたの……」


 戸惑う凛の顔を見ていて、私はちょっとした意地悪を思いついた。


「あ、そうそう、実はさっき、美奈ちゃん達に会ったんだけどさ」


「え?」


「みんな私のこと、あなただと思い込んでいたから、私、高校デビューして変わっちゃったんですってな感じで、イカしたメタラーにイメチェンした振りをしておいたから」


「えっ、ええーっ!」


「今度バリバリのデスゴシックなバンドのギタリストとしてデビューするから応援シクヨロとか言ったら、みんな本気にしちゃってさぁ。だからまあ、後はよろしく」


「そっ、そんな急に、なんてことするのよ! そんな勝手に!」


「まあ、勝手になりすましたのはお互い様じゃん」


 そう言うと、凛は言葉を失った。




 後日談について、少し付け足しておこう。


 例の動画は身内になかなか受けた。特に軽音部の部員には好評だった。顔がそっくりというよりも、曲の雰囲気やギターの弾き方のクセまでコピーしているところに評価が集まった。あと、本人より歌がうまいとさんざん言われた。余計なお世話である。畜生。


 数ヶ月に渡って赤貧生活を強いられることになった「投資」については、充分な見返りがあった。美奈達が私の動画を宣伝してくれたおかげで、フォロワー数も伸びたし、曲も売れた。結果的には奢った分を回収して余りある収入があった。美奈達とは今でもネットでやりとりしており、動画や曲を発表するといつも感想をくれる。


 凛は例のアカウント(名義は変えてくれた)でたまに曲を公開しているが、あまり活発に音楽活動しているわけではなさそうである。美奈が言うには、学業が忙しいんだろうということだった。

 私が凛に言ったウソについては、後で美奈達と口裏合わせして、凛に出会う度に「デビューするの楽しみにしてるからね!」などとハッパをかけるように言っておいた。凛はその度に「あれは別人で私じゃない」的なことを言って、証拠として私の動画を見せたりするらしい。

 こうなると、今回の件の一番の被害者は凛なのかもしれないが、私に憧れて(?)なりすましたのだから、本望だろう、たぶん。

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唯のなりすまし 涼格朱銀 @ryokaku

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