3.隣町の土曜の昼
バスが目的地と思われるバス停で停車したとき、私はほっとした。1時間近くもバスに乗り続けて、少々気分が悪くなりかけていたところだったからである。そんなに乗り物酔いする方じゃないと思っていたが、渋滞にはまって動いては止まりを繰り返されて、じわじわと効いてきていた。
私は、座席から立ち上がると、足下に置いていたスポーツバッグを担いでたすき掛けにした。そして、忘れ物がないか確認してから席を立ち、バス賃を払って降りる。
久し振りに揺れない地面に降り立つと、ふうと一息つく。それから、周囲を見回した。
世間は土曜日の昼ということで、そこそこ騒がしい感じになっている。
……たいして私達の町と変わりゃしない。
最近整備したらしい小綺麗な道路沿いに並ぶスーパーもコンビニもラーメン屋も、みんなウチの近くにもある同じチェーンばかり。ほとんどの店のポイントカードを持っている。
もう少し異国情緒があることを期待していたが、県を越えるわけでもないただの隣町にそれを期待するのは無理があったのかもしれない。
隣町は、地理的には確かに隣なのだが、川を挟んでいるため、遠回りして橋を渡らないと辿り着けない。そのため、家を出たのは朝でも、世間はすっかりお昼ムードになっていた。家を出たときはかなり寒かったのも、今となってはずいぶん緩んでいる。
私は巻いていたマフラーを外すと、スポーツバッグを開けてその中にしまった。
代わりにバッグからスマホを取り出し、マップアプリを開く。件のライブハウスまでの道のりは何度も予習しておいたが、一応確認しておく。
……問題ない。ここから歩いて30分程度で行けるはずである。しばらくは、さきほどバスで通ってきた大通りを引き返す形で歩き、途中から住宅街に入り、そこから突っ切るように歩いていけば到着。着く頃には昼過ぎになりそうである。良さそうな店を見つけたら、昼食にするのもいいかもしれない。知らない町の知らない店にふらりと入るのは、さすらい人幻想曲的で良くないかい? ……自分でも何を言っているのかわからん。いや、思っただけで言ってはいないか。どうでもいい。
本当は、さっき降りたバスに乗ったまま駅まで行き、そこから遊園地跡のバス停に止まるバスに乗り換えればほとんど歩かずに目的地まで行けたのだが、それだとバス賃が結構かかる。それに、せっかくだったら知らない町をぶらぶらしたいと思ってこの行き方を計画した。
この計画は正解だった。あれ以上バスに揺られたら、きっと動画とかライブハウスとかのことなんかどうでもよくなり、何もしないまま帰ろうとしたかもしれない。
すぐ取り出せるよう、スマホは上着のポケットに突っ込んで、私は道を歩き始めた。
この旅(?)の目的のひとつは、見知らぬ街を歩いたら、大人カッコイイ感じがするし、なにかいいアイデアが浮かぶかもしれない、ということだった。
そしていま、実際にふらりと見知らぬ大通りを行き、見知らぬ住宅街に入って、他人の家を見物しながら歩いているわけだが、やってみて早々にわかったことは、別に大人でも格好良くもないし、何の詩もアイデアも浮かばないということだった。
海外からやってきた人なら、日本の街並みになにがしか感動を覚えるのかもしれない。しかし、私にとっては見慣れたものの類型でしかない。以前にここに来たことがあるような錯覚すら覚える。
そもそも、隣町ごときで感動を得ようと思ったこと自体が甘ちょろだったのかもしれない。せめて県は越えるべきだったか。アイデアの神様はそう簡単には降りてきてくれないようである。まあ、歩くのは頭とか健康とかにはいいというから、きっと無駄ではないはずである。何かの役には立っている。そう思わにゃやってられん。
一体私は何をやっているんだろうと、ふっと自嘲めいた笑みが零れる。
――と。
「あれ、りんりんどうしたの? どっか行くの?」
私は一瞬、佳織に声を掛けられたような気がした。まさか私の後を付けてきていたのかと。
しかし、いくらなんでもそんなはずはない。そもそも、さっきのバスに知り合いが乗っていないことは確かめた。別にそんなことを警戒したわけではなく、ただ、なんとなくざっと車内を見回しただけだが、私は人の顔を覚えるのは得意な方だから、この点には自信がある。――いや、そんなことはどうでもいい。
私は声のするほうへ振り向いた。そこにいたのは、知らない制服姿の女の子だった。上着は私の学校と似たような紺色のブレザーだが、ネクタイの色やスカートのチェック柄が全然違う。もちろん佳織ではない。
ショートヘアでさっぱりした感じのその子は、おそらく学校指定であろうバッグを肩に担ぐようにしながら、私の顔を怪訝そうに見つめてきた。
「どしたの? 今日はいつもに増して反応が鈍いよね」
私はしばらくその子をぼけっと見返していた。だが、やがて、なんとなく状況を理解してきた。
それで、私は自分の顔を指さして、言ってみた。
「あの、私、そんなにその子に似てます?」
その子は「何言ってるんだコイツ」みたいな顔をしたが、やがて、跳び上がるようにして叫んだ。
「えっ、ええーっ! 凛じゃないの! ……というか……ないんで……すか? ……え?」
その子は叫んだ時に背負っていたバッグを落としたが、気付かなかった様子だった。後ずさりするようにして、お化けでも見るような表情でこっちを見て硬直している。
私はちょっと、自分を指していた人差し指で頬を何度か掻いた。それから、言った。
「良ければお話聞かせてくれませんか? 昼食でも奢りますんで」
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