4.隣町の喫茶店

「ほんと、アンタはいい人だよ。神だよ」


 美奈と名乗ったその子は、モンブランケーキを大事そうにちょっとずつ口に運んでは、大げさなことを繰り返し言っている。私を「神」扱いしたのはこれで5度目である。


 彼女はもうお昼を済ませたということだったので、近所の喫茶店に案内してもらい、ケーキセットを2つ注文することになった。

 突然のこの出費は痛いっちゃ痛いが、これは間違いなく必要な投資だと私は確信していた。アテもなくライブハウスに行くという当初の行き当たりばったりな計画とは比べるまでもない。


 しかし、私までケーキセットを頼むことはなかったと、その点については少々後悔していた。渋滞のバスで打ちのめされた後に、空きっ腹にブラックコーヒーを流し込み、ショートケーキを食らうのは重い。ピラフでもパスタでもいいが、とにかくそういうのを頼むべきだった。ただ、コーヒーとケーキそのものには文句ない。

 私は精一杯のやせ我慢をして、努めて平静を装ってコーヒーカップを傾けた。別にこんなところで我慢する必要はなかったかもしれないが。


「しかし、本当の本当に凛じゃないんだよね。まあ、凛は奢ったりするような子じゃないけどさ」


 コーヒーを啜りながら、美奈はまじまじと私の顔を見つめた。

 私はコーヒーカップを置いて、聞いた。


「で、その凛って子は同じ学校に通ってるの?」


「うんにゃ。中学までは同じだったんだけどさ。いまは別。あの子は頭いいからさ、もっといい学校に通ってる。でも、今でもたまには一緒に出掛けたりするんだけどね」


「どこに行ったりするの?」


「映画館とか、そのついでに買い物したりとか。あと、カラオケ! りんりんはすっごい歌がうまいんだよね。ありゃ金払ってもいいよ、ほんと」


 ふむ。そう言われるとなんとなく、対抗心を燃やしたくなる気もする。まあ、それはそれとして。


 私は極力さりげない様子で、肝心の質問をした。


「楽器は弾くの?」


 この質問は、美奈にとっては唐突だったはずである。歌がうまいからといって楽器を弾くとは限らない。なんでいきなり楽器のことなんか聞くんだと疑問に思われても不思議ではない。だが、美奈はあっさりと答えた。


「うん。ギターをやってるって言ってた。中学の頃に音楽の授業で弾いてるのしか見たことないけど」


 なるほど。この様子だと、この美奈という子は、凛がガチなエレキギターや作曲環境を持っていることまでは知らないようである。

 ――もっとも、本当にあの動画の主が凛という子なのかは、まだはっきりはしていないのだが。私のそっくりさんが別にもう一人いる可能性はある。


 と、そのとき、一組の女子高生グループが喫茶店に入ってきた。美奈と同じ制服。どうやらここは女子高生の溜まり場らしい。

 彼女たちはグループ同士でおしゃべりしながら私達の席を通り過ぎ、隣の席に着こうとした。

 と、そのとき、その中の一人が私の顔を見て、声を掛けてきた。


「あっ、凛じゃない、ひさしぶりー。アンタここに来ることあるんだ」


 こいつはちょっと面白い展開である。私はクールにその子を見上げ、言った。


「お久しぶり。で、誰だったっけ」


 その子はご丁寧に、その場でずっこける仕草をした。


「ちょっと、そりゃないでしょ! てか、アンタ、ボケられるようになったのね」


 私は無意味に長くも邪魔にもなっていない髪をかき上げながら言った。


「そりゃあ、私ももうオトナだからね。いつまでも同じってわけにはいかないのさ」


「うわ。本当になんか変わったよね。なに、高校デビューってやつ?」


「失礼ねえ。私は昔から暗い子じゃなかったですー。あんた、そんな目で私を見てたわけ?」


 言いながらちらりと美奈の方に視線を向けると、美奈は顔を両手で覆って肩をふるわせていた。

 私はその様子を見て口元で笑った。それから、声を掛けてきた子に向かって言った。


「まあ、それはそれとして。あなたたち、何人で来たの?」


「へ? 4人だけど」


 ということは、ここの会計は6人分になるのか。超痛い。だが、私の父はよく言っている。余計な金は遣うな。だが、突っ込むべきときには惜しまず突っ込めと。

 私は努めて平然と言った。


「じゃ、みんなにランチかケーキを奢るよ。その代わり、話を聞かせてよ」


 4人は驚いた表情で顔を見合わせる。しかし、最も強く反応したのは向かいの美奈だった。顔を覆っていた両手を瞬時にどけて、異次元世界の珍獣でも発見したかのような表情で私を凝視していた。

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