9.Vanish

 それから――一週間後。


「なあ、浜風」


「…………」


「……浜風?」


「……んん」


 何度目かの呼び掛けでようやく、部屋の中から反応らしい反応が返ってきた。


「夕飯、適当に買ってきて冷蔵庫に入れてあるから」


「ああ……ありがと」


 そんな風に力なく応じた後、また部屋の中から気配が消える。 

 2Dモデルの依頼がキャンセルされた後から、ずっとこんな調子だ。さすがの浜風も、今回は折れてしまったのかもしれない。

 バーチャルYoutuberとしての自分が至高で、それ以外の自分は、誰からも認められない。

 そうまで歪な認識を持った浜風が、バーチャルYoutuberとして復帰できない現実を突きつけられれば、そうなるのも仕方がないか。


 ――仕方がないも何も、そうなる状況を作った原因がこの僕なのだけれど。

 僕もこの一週間、白縫さんに言われたことを振り返っていた。


 ――僕の書く文章は、他人の人生を壊す。

 文章というのは、読んだ人間に何らかの変化を与えられなければ意味がない。僕の父はそんなことを言っていたけれど――人を不幸にするだけの書き物だなんて、存在しないほうがいいのではないだろうか。

 僕が自分の意志で書いた文章じゃなければ、そんな悪影響は及ばないと思い、それ故にゴーストライターとして生きてきたけれど、実際に僕の影響で苦境に陥った人を目の当たりにしてしまえば、そんな自己弁護も限界を迎える。


 今までは、僕の書いたものの読者と実際に会うことなんて、ありえなかったし。

 浜風が僕を責める時は冗談めかしていて、むしろ彼女のほうが負い目を感じているかのようで、言い方を変えると甘えるように、僕を頼ってきていた。

 だけどそれは浜風が特殊なだけで、白縫さんのように、僕に責任を取らせようとするのが普通のはずだ。そして僕には責任を取る術が、ない。


 であるならば、僕は――ゴーストを辞めるべきなのだろう。

 自己を殺しゴーストとなった僕は、転生し、真っ当な人間に戻るべきだ。

 ぴんぽーん、と。

 まるで僕の思考が正解であることを告げる解答音のように、ドアホンが鳴る。


「来たか」


 玄関に出迎えに行くと、そこには羽野がいた。


「悪いな、わざわざ来てもらって」


「う、ううん……大丈夫。ちょうど読んでた漫画の最新刊まで行ったところだったから」


 羽野は騒動以降、漫画喫茶で寝泊まりしているらしい。未成年が深夜に漫画喫茶を使えるのかは疑問なのだけれど、そもそも会員カードを作れない浜風とは、やはり境遇が違う。

 そんな羽野を、エンティ経由で僕が呼び出した。


「面白いよね……アクタージュ」


「またセンシティブな漫画を読んでんな……」


「センシティブなんてことないよ、ダメなのは原作者さんだけだったんだから」


「その区分けが、だからまず危険なんだっての」


「でも……作品に罪がないのは間違いないよね?」


「そうだけども……」


「それであんなに面白いところで終わって、面白すぎた漫画だって、一生言われ続けるんだから。ずっとアクタージュのことを好きでいられるんだから……そんなに幸せなことはないよ」


「…………」


 漫画を一気読みした後にありがちだけれど、羽野は変に高揚しているようで、ついていけずに黙ってしまう。そんな僕の沈黙を察して、羽野が話題を戻した。


「それに寝る時以外は漫画喫茶にいないほうが、お金もなくならないから」


「だったらいいけどさ、上がってくれよ」


 廊下と呼べるほど長くない廊下を進み、浜風の部屋の前まで行く。


「少し話した通りだけど、浜風、けっこう落ち込んでるみたいでさ。僕もどうしたらいいか分からないから、よかったらお前が話してやってくれよ」


「……うん。……でも私にできることなんて、ないと思うけど」


「一緒のグループの友達だったんだろ?」


「それは……うん」


 羽野は頷く。

 浜風みずちの友達は、羽野にとって別人扱いになっている波乃まにまのはずなのだけれど、羽野は羽野で、ちゃんと浜風を友達だと認識してはいるのか。その辺りの帳尻の合わせ方が、外部からだと認識しづらい。


「でも、そうじゃなくて……力になれないのは、私がどうとかじゃなくて」


「じゃなくて?」


「うっわ! まにま、来てたの?」


「痛っ!」


 突然、勢いよく開かれた扉に思い切り額を打ち付ける。


「みずちちゃん。……久しぶりだね」


「何よあんた、来るなら連絡しなさいよね。何の歓迎の準備もしてないわよ、この馬鹿」


「はは……大丈夫。そんなに長居、しないから」


「……ちょっとは僕の心配をしろよ」


「はあ? あんた、そんなところで何してんのよ。鬱陶しいわね」


「お前が部屋に籠ってるから気にしてたんだよ!」


 久しぶりに部屋から出てきた浜風は、やや憔悴した顔をしているぐらいで、意外にも落ち込んではいなかった。むしろ何だかテンションが高いような。まるで徹夜明けみたいなテンションだ――徹夜明け?

 部屋を少し覗いてみると、床中に丸められた紙が散っている。スランプに陥っていた時の父の部屋のようで吐き気を催しそうになるが、よく見ればそれは原稿用紙ではなく、方眼紙だ。やや開いた紙を注視すると、何だか人が描かれているような……。


「女の子の部屋を覗くんじゃないわよ、童貞」


「ここは僕の家で、僕の部屋だ。……お前、この一週間、何してたんだ?」


「絵を描いてたのよ」


「絵?」


「2Dモデルの依頼が断られたからね。仕方がないからキャラデザから自分でやろうと思ったんだけど、さすがに難しいわ」


 浜風は床に転がっていた紙を足で拾って、器用に僕のほうへと跳ね上げる。

 くしゃくしゃになった紙を開いてみると、たしかにそこには浜風をモデルにしたらしきイラストが描かれていた。イラストというか、アニメ感のない自画像に近い。


「みずちちゃん、絵も上手だね」


「こんなんじゃ全然よ。私のイラストを描いてた人って上手かったのね」


「それはそうだろ」


【SHOWCASE】が使っていた人材は、誰も彼もがクリエイターとしてトップクラスの技術力を有していた。浜風みずちや波乃まにまのキャラクターデザインを担当した人も、コミックマーケットでは壁サークル、有名ソーシャルゲームでは看板キャラクターのイラストを担当しているなど、超有名なイラストレーターである。


「さすがにあのレベルにまでなれるとは思っていないけど、人に見せられるレベルまでなら、一年か二年か、そのぐらいでいけそうではあるのよね」


 一年か二年か――と。

 そんな未来のための努力を当然のように、浜風は語る。


「ほら……ね? 私にできることなんて、何もないんだから」


「ああ、その通りだな……」


 浜風みずちは、トラブルを突拍子もない方法で解決へと導く。

 依頼が断られたのなら自分で描けばいいという、年単位での努力を前提とした考え方は、並大抵の人間の発想ではない。確固たる目標のための不動の精神力がなければ成り立たない。

 破天荒ではあるが理に適ったその特性は、目的をはっきりと認識しているが故に発揮されるのかもしれない。

 羽野をわざわざ呼んだのは、だから完全に余計なお世話だったわけだ。


「何言ってんのよ、まにまが来てくれて無駄なわけないでしょ」


 言いながら、浜風が羽野にしなだれかかる。


「ううん、久しぶりのまにまだー。あんたまた柔らかくなった?」


「ちょっ……みずちちゃん」


「はあ、癒されるわ。女の子って、ほんと愛玩動物よね」


 ……おお。

 これが本物の『まにまにされてる』状況か。

【ミス・ノンフィクション】の名物的シチュエーションで、端的に言ってしまえば浜風みずちと波乃まにまのレズっぽい絡みのシーンで「まにまにしてきた」とか「まにられてる」のように用いられる、ファンの間でのスラングなのだが。

 実物で見ると、さすがに刺激が強い。特に羽野は本物のほうがまにられそうな身体つきだし。


「ちょっとみずちちゃん……」


「何よ」


「……臭い」


「くくっ」


 思わず吹き出してしまった。

 臭いって。あまりにも直球すぎる批難に、浜風がさっと距離を取る。

 一週間、部屋から一歩も出ていなかったわけではないはずだけれど、二、三日は部屋の外で見かけていないし、ろくに風呂にも入っていないのだろう。言われてみれば部屋の中から異臭がするような気もする。

 浜風もさすがにバツが悪そうにしていたが、しかし何か吹っ切れたのか、今度は身体を密着しすぎないように気を付けながら羽野の背中を押した。


「それじゃあ、一緒にお風呂、はいろっか」


「へ?」


 ――と。


 そんな日常系四コマ漫画のようなやりとりを経て、二人が僕の家の狭い浴室に入ってからしばらく経つ。


「かな兄も一緒に入ったらいいのに」


「入るかよ」


 せっかく羽野がいるのだからと、久しぶりにエンティを起動したのだけれど、言動は相変わらずだった。AIなのだから変わるはずもないか。


「そうだったね、かな兄はあの二人が入った後の風呂場で、一人で妄想するほうが好きなんだもんね」


「そんな特殊な嗜好はねえんだよ、勝手な設定を足すな」


「ちなみにぼくは、徹夜でちょっと臭くなった女の子に興奮する」


「…………」


「あ、ちょっと分かるって顔してるー!」


「本当にうるさいな、お前は……」


 やりづれえ。


「ははあ、でもかな兄、実際問題、これからどうするつもりなの? まさか本当に二年間、みず姉の絵が上手くなるのを待つわけじゃないよね?」


「……それは」


「今、みず姉を養って余りあるのは、かな兄がゴーストライターとして稼いできた蓄えがあるからなんだし。デビューまでの間も面倒を見るつもりなら、仕事は続ける必要があるけれど。みず姉を救うために――無関係な他人の人生を、まだ壊すつもりなの?」


 エンティは純粋に不思議そうに、僕に問う。


「いや――ゴーストは、もう引退だよ」


 それに関しては、すでに決めたことだ。

 ゴーストライター鼠若名は、廃業とする。


「ふうん。それだと今度はみず姉が路頭に迷うことになるけれど」


「そうはならない。僕にも一応、腹案はある」


「腹案?」


「ああ――突拍子もない解決策は、何も浜風だけの特権じゃないだろ?」


「ねえー? タオルが足らないんだけどー」


「お、覗きイベント発生だね、かな兄」


「日常生活でそういうことを言うなよ。ただ気まずいだけなんだって」


 実際、そういうニアミスがないでもないのだ。これだけ一緒にいると。

 言及はしないが。

 最大限注意を払い、何のトラブルもなく浜風たちにタオルを届け、彼女たちが風呂から上がるのを待つ。しばらくして、二人はお揃いのジェラピケの部屋着姿で現れた。室内のもこもこ指数が増して、女子のパジャマパーティーに紛れてしまったかのような居心地の悪さがある。


「浜風、話があるんだけど」


「ああ、覗いてたのなら気づいてるからね」


「ええっ?」


 浜風の突拍子もない発言に、羽野のほうが驚いている。


「覗いてねえんだよ! だから!」


「ちょっとカマかけてみただけなのに、やけに反応が大きいわね。怪しいわ」


「文章以外の共感能力が低すぎるだろ、僕は無実だよ。エンティに唆されただけだ」


「はん、エンティがそんなこと言うわけないでしょ」


「エンティちゃんがどうしてそんなこと言うの……?」


「……あれ?」


 二人から白い目で見られる。まるで僕が咄嗟に変な言い訳をしたかのような疑いの目だ。

 たしかにYoutube上で見るエンティは、無邪気一辺倒という感じで、あんな性欲の塊みたいなやつじゃなかったけれど。

 男といる時と女といる時とで対応を変えるタイプ――しかも中性的と言われているやつがそのタイプって、タチが悪すぎるだろ。ユーザーの性質に合わせて、受け入れられやすいような人格を設定しているのかもしれないが。

 だとすると、僕の前でああなのって――。


「ともかく」


「ともかくじゃないわよ」


「……ともかく、話があるんだって」


 僕は言う。


「せっかく絵を練習してもらってるところ悪いんだけど、二年計画っていうのはさすがに、無理があると思うんだ」


 人の主張や主義を否定することを言わないというのが僕のゴーストライターとしての生き様だったが、それもこの時を持って撤回だ。

 他人の意志に追従することに甘んじ、人を破滅に追い込んできた償いをしよう。

 そのためには浜風も白縫さんもまとめて救う妙案がいる。


「そうね、たしかに二年もこのままってわけにもいかないし。そうなると、本当に身体を売るぐらいしか残ってないんだけど」


「――そんなことは、二度と言うな、そんなのは解決策でも何でもねえよ」


 僕は言う。一度は言わなかったことを、今度は。


「どうしてもって言うなら、僕に売れ」


 浜風がそこまで追いつめられた原因の一端が僕にあるのだから、その程度の責任は取ろう。買うだけ買って、権利を行使しなければいいだけだ。


「……どうしてもなんて言わないけどね」


 と、浜風はやや面食らったように応じた。

 その様子を何故か羽野は顔を赤らめて見ているが。僕がおかしなことを言ったみたいに。


「どっちにしろ、二年先まで延命できればいいっていう話じゃないんだよ。浜風、お前最近、ネットは見てるのか?」


「いや? ここのところは全然。絵の資料を探してたぐらいだけど」


「だとしたら、再始動した浜風みずちが今、どうなってるかも知らないよな?」


「ちょっ、ちょっと待って。再始動って、どういうこと……?」


 黙って聞いていた羽野がそこで慌てたように、話に入ってくる。


「あれ? 知らないのか?」


 言われてみれば知らなくて当然か? 羽野はずっと漫画喫茶に寝泊まりしていたのだから。漫画喫茶ならパソコンぐらい使えそうなものだけど。


「全然全然、聞いたこともない。私、ずっと、漫画読んでたから」


「だとしたら調べておけよ」


 自分のいた会社が炎上してるんだから、情報ぐらい追え。

 その割り切り方は、Vtuberの活動に未練のない羽野らしいといえば羽野らしいが。

 ともかく。

 話を進めるために、僕は羽野にここまでの経緯を説明した。

 といっても、そんなに長い経緯ではない。まとめてしまえば、二行で済む。

 浜風みずちが精巧な合成音声による運用をされていること。

 そして僕がその運用の要として勧誘されていること。


「嘘……それで、鼠さん、引き受けちゃったの?」


「いや、引き受けてはいない」


「そ、そうだよね……」


「だけどこのままなら、それも仕方ないかなと思っている」


「え?」


「ここからは浜風にとっても新情報だと思うんだけど――実際に見てもらうほうが早いか」


 言って、僕はYoutubeの動画を二人に見せる。


『【祝】浜風みずち復活おめでとう』

『あの大事件から復活! 超有名Vtuber再始動』


 その他にもこのようなタイトルの動画が乱立し、そしてTwitterでも、浜風みずちのアカウントに激励のリプライが多数送られている。


「……何、これ?」


「浜風みずちの復活が、世間に受け入れられつつあるんだ」


「でも、浜風みずちは私よ?」


「お前にとってはそうでも、この人たちにとっては――僕たちにとっては、そうじゃなかったってことだろ」


 僕たちのような、聞き心地の良い話だけ聞きたい、思考を止めた者たちにとって、炎上事件なんて刺激が強すぎて耳を塞ぎたくなるし、目を覆いたくなる。

だからどんな背景があるとしても、会社と演者がよりを戻して活動を再開すると言われれば、そっちを信じたくなるのだ。


 もちろん、事情を説明せずに復帰しようとすることを咎めようとする野次馬も大勢いるのだけれど――浜風みずち自身が、浜風みずちの声で復帰を宣言したとあっては、その勢力も抑え込まれてしまう。


 この事実は、浜風にとってはかなりキツいものだろうけれど。

 浜風みずちは自分である、と。

 そう言い続けてきた浜風に、そう思っているのはお前だけだったと――浜風は浜風みずちだったけれど、世界にとって、浜風みずちが浜風である必要はなかったのだと――そういう事実を突きつけるような真似だ。


 さすがの浜風も、画面を見て固まってしまっている。

 こうなるのが分かっていたから、この一週間、言い出せずにいた。僕がその責任を負いたくなかった。だけど、僕は責任と向き合うべきなのだ。

 今らならまだ、きっと間に合うから。


「これって……――まにまちゃんの声も、もしかしてあるの、かな……」


「さあな。白縫さんからそこまでは聞いていないけど。どちらにしろ、浜風みずちがここまで受け入れられているのなら、追って開発される可能性は高いんじゃないかな」


「……そんな。そしたら、私は何のために――」


 そう言って、羽野も黙ってしまう。

 可愛らしい女子会みたいな雰囲気から一点、翳った少女に囲まれる状況になってしまった。

 けれど、さすがに浜風の立ち直りは早く、すぐに顔を上げて僕に言う。


「でもこれって、今だけよね? 本格的に始動したら、すぐにボロが出ると思うんだけど」


「ああ、そうだな。僕もそう思う――そうだと思いたい」


 いくらなんでも合成音声の運用と動画だけの活動で、今までの人気のままにはいかないはずだ。炎上は抑えられたとしても、そのまま活動規模を縮小し、尻すぼみに消えていくことになる。

 結局のところ今回の件に関して一番多いのは、応援してくれる人でもなく、批難している人でもなく、沈黙を貫いている人だ。熱意を持たないその層は、勢いを失えば離れていく。


「その後に私が転生するんじゃだめってことよね」


 浜風の言葉を、首肯する。


「このままだと浜風みずちの存在は使い潰されて、威光が消えて、転生も無意味になる」


「つまり、私が死ぬわけだ」


「――ああ」


 浜風自身の特性や才能を持ってしても巻き返せないだけの、挽回しようのない苦境だ。インターネットは広大で、抜きん出るには別の何かがいる。しかしその何かは、二年後には確実に失われている。

 その頃には、インターネット上の存在としての浜風みずちは、完全に死んでいるからだ。

 そして戸籍がなく職業の選択肢がない浜風にとって、キャラクターの死は、現実の死と結びつく――。


「だから二年後じゃもう遅いんだよ。このままじゃリアルもバーチャルも、浜風みずちは共倒れだ。それを避けるには、もう――お前が会社に戻るしか、ないと思う」


 僕は言う。


「お前の事情を汲んで雇ってくれて、お前の才能を最大限発揮できる場所は、もうあそこしかないだろ。たしかに全盛期の勢いは失うだろうし、周囲の環境は最悪だろうけれど。それでもあの会社は、お前にとって最高ではなくとも、最適だったはずだ」


 浜風がその居場所を失った原因の一因である僕が言えた台詞ではないけれど、それでも僕が言わなければならない。

 最早、当事者である浜風からも白縫さんからも、それは言い出せないことだから。

 ゴーストライターに合成音声を運用させるなんて歪な形ではなく、元の形に戻るべきなのだ。大衆がそれを受け入れるのであれば。


 そもそも僕たちの誰もが、説明不十分での復帰は受け入れられないものと決めつけていたが故の錯綜ではある。その決めつけが間違っていたのなら、やり直すべきなのだ。

 謝って、誤りを正すべき。

 例え正した結果が、最も歪な姿だったとしても。

 そうなった場合のことを考えているのか、黙ってしまった浜風に、僕は言葉を重ねる。


「もしも必要だったら、僕が間を取り持てると思うから。そのぐらいの償いなら、できると思うからさ。だから――」


「――そんなの、だめに決まってるのにっ!」


「っ!?」


 突然。


 破裂するような大声にそれが一瞬、誰が発したものなのか理解できなかった。

 振り返れば、羽野が全身を震わせ、怒りを堪えるかのように拳を握っている。


「みずちちゃんも、まにまちゃんも、もう終わり終わってるのに――どうしてそんなことが言えるの! くるみさんも! あなたも! おかしいよ!」


「ちょっ、いや、僕は……」


 何だ? 羽野の豹変っぷりについていけないのもそうだが、何よりも、理由が分からずに困惑してしまう。何が彼女の逆鱗に触れた?


「ねえ、みずちちゃん。そうだよね? こんな、死体を玩ぶようなやり方、おかしいよ――私は間違ってない、よね……?」


 息を荒げながら、羽野が浜風に問う。


「……悪いわね、まにま」


 だけど浜風はそんな羽野を、寂しそうに見つめながら答えた。


「私はちょっと、納得しちゃってる」


「嘘っ……」


「私は、私が浜風みずち《わたし》なんだって思ってたけど――そうじゃないんだって、みんなが決めちゃったんだったら、仕方ないかなって――浜風みずち《わたし》の中の私は、居ても居なくてもいい存在なんだって言われちゃったら、もうどうしようもないわ」


 浜風みずちは、私じゃない。

 私のものじゃない。


「だからごめんね、まにま」


「……っ、知らないっ!」


 耐え切れなくなったのか、羽野は僕の部屋を飛び出す。

 ――それが、僕たちが最後に見た、羽野の姿だった。

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