12.Vanquish

「あの子の話を聞いても、私には、まにまが不幸だったなんて思えないのよ」


【SHOWCASE】の本社。

 その内部にある収録スタジオで、浜風は呟いた。


「まにまはね、私の前では普通だったわ。ちょっとうじうじして面倒臭いところはあったけど、でも、楽しい時には笑っていたし、美味しいものを食べても笑っていたし、寝ている時も気持ちよさそうに、馬鹿みたいに口を開けて笑っていたわ――幸せそうにね」


 一緒に過ごしていた時のことでも思い出しているのか、浜風の表情は穏やかだ。


「……あんな経験があって、今、平然としていているのがおかしいって話だろ」


 実際、僕が羽野に対して感じているのは、畏れに近い。

 あそこまで凄惨な過去を持つ少女が、平然と、一般人のふりをして、僕の隣に存在したということに鳥肌が立つ。

 バーチャルYoutuberの最前線を走る演者たちを集めた時、玉響が浜風や羽野に露骨に嫌悪感を示していたけれど、あの感覚が今ならよく分かる。


「意外とあんたって、素直な性格してるわね」


「僕より捻くれているやつなんて、そうはいないと思うけれど……」


「人から聞いた話を、自分で見たものより優先するなんて、お人好し以外の何者でもないんじゃないの?」


「聞いた話って……」


 聞いた話だけども。


「だからってそれが嘘ってことになるわけでもないだろ。なかったことになるわけでもな」


「嘘にはならないかもしれないけれど、でも、なかったことにはなるんじゃない?」


「うん?」


「結局、私はこの有象無象と同じなのよね」


 目の前にセットされたマイクを指先でとん、と叩いて音を確認しながら、浜風は言う。


「真実がどうであれ、自分の目の前で起こったことしか信じない――いえ、目の前で起こったことすら、都合が悪ければ認めない。自分が信じたいと思ったものを信じるだけ」


「…………」


「まにまがどんな子だったかは、私が知っている――私が決める。良いわよね?」


「……良いも悪いもないよ」


 僕はあくまで形式的についてきただけだ。

 これから浜風が何をしようとも、止める権利はない。

 浜風は僕に頷いて、パソコンの前の椅子に座る。造りのしっかりとした高級そうなゲーミングチェア。さすがは【SHOWCASE】の専用スタジオだ。備品の質も高い。


「告知とかって、終わってるんだっけ?」


「ああ、その辺りは、白縫さんが手を回してくれているはずだよ。お前はその開始ボタンを押すだけで、いつでも始められるよ」


「じゃあ、えい」


 何の逡巡もなく、浜風は画面に映った開始ボタンをクリックした。

 僕は浜風から少し離れた後方でスマホを開いて待つ。少しすると、Youtubeのアプリから一件の通知が届いた。


 浜風みずちが生配信を開始しました――波乃まにまについて。


【SHOWCASE】所属、【ミス・ノンフィクション】の浜風みずちのアカウントから、その通知は発信されている。白縫さんの協力を得て、本来のアカウントを使うことができていた。

 チャンネル登録者数百万人のアカウントから通知が来て、シンプルながら一番話題になりやすいタイトルをつけられた配信が始まったのだ。瞬く間に千人、二千人と、配信を開いている同時接続者数が増えていく。


「あー、あー」


 そんな大勢を前に、浜風は呑気にマイクのテストをしていた。

 テストも何も、そんな風に発声したところで、浜風には音量調節の仕方さえ分からないはずなのだけれど。

 一応、喉の慣らしという意味もあったらしく、浜風はごほんとわざとらしい咳払いをして、姿勢を正した。


「あんたたちの中に、まにまを見かけた人がいたら居場所を教えてちょうだい」


 ――こいつ。

 本当に登録者数百万人越えの配信者か?

 そんなぞんざいな始め方があるかよ。


 ……いや、有名なVtuberほど、意外とその辺りは自然体だったりするのだけれど。それにしたってこの態度は、浜風みずちらしからぬ振る舞いだ。

 口調も声色も、僕たちといる時の素の浜風そのもので、演技をしている素振りがない。

 それは、すぐに本題に入らなければという焦りの表れでもあるのだろう。

 ああ見えて意外と平静ではなかったのか。一刻も早く羽野を見つけなければ、いつ死んでしまうかも分からないのだから、平静でいられるほうがおかしいのだけれど。

 その羽野を見つけるために浜風が考えた方策が、配信で目撃者を探すことだった。


 ――あの子の姿は、もう、全人類が知っているんだから。

 ――配信で情報を集めたら早いじゃない。


 さすがに全人類ということはないだろうけれど、たしかに僕たち二人で闇雲に探すよりかは、圧倒的に効率が良い。

 ただ、そんな事情は、視聴者には伝わらない。

 案の定、復帰を宣言して以来、久しぶりに動きがあった【ミス・ノンフィクション】、炎上事件の渦中にあった浜風みずちの第一声がこれでは、視聴者も納得しなかった。

 コメントでのリアクションに、浜風が望むようなものはない。


 流れているコメントは『復帰おめでとう!』『わこつ』『心配しました』『大丈夫なんですか?』などで、浜風の問い掛けは無視されている。

『会社のトラブルの説明じゃないのか?』とか、炎上事件を引き摺ったものも多くあり、それどころか『何戻ってきてんの?』『炎上商法かよ』などの明らかな荒らし行為や、『これって本当にみずちちゃん?』『前と喋り方違うよね』とか――この流れは、まずい。


「ちょっと、私の話、聞いてた? 誰か、まにまを見た人がいたら――」


 そんな風に浜風が言うのも無視し、コメント欄では浜風に好意的な人間と、悪意を持った人間とで論争が始まってしまう。ちゃんと話を聞いてあげようとか、聞くような話じゃないとか、薄っぺらい水掛け論でコメントが埋め尽くされてしまう。


「……うっ」


 それを見た浜風が小さく呻いた。


「大丈夫か?」


 マイクで音声を拾わないよう声を潜めながら、僕は言う。


 浜風は文章の裏に隠された心理を読んでしまう。読み解いてしまう。

 大勢の感情が波のように押し寄せてくるのがYoutubeのコメント欄なのだけど、そこが敵意と悪意に満たされて、その全てを受け止めてしまっていた。

 文章から流し込まれる剥き出しの悪意は言葉で伝えられるそれよりも純度が高く、読み解く浜風に鋭利な不快感を突き立てる。


「……問題、ないわ」


 苦しそうに浜風が答えるけれど、傍目から見て分かるぐらい辛そうだ。一人でひっそりと行った配信の時でさえ、多少引き摺っていたぐらいなのだ。こんなに大勢の人間の悪意に晒されるのは、相当キツいのだろう。


「僕が代わりにコメントを見ておくから、お前は呼び掛けだけしろよ」


「……はん、馬鹿ね。それじゃあ意味がないでしょ……あんたが読んだって、書き込まれた情報が本当なのかどうか、確かめようがないじゃない」


「それは……」


 黙ってしまう。


『そういえば鳥取砂丘で見たな』『昨日ハワイで遊んでました』『まにまちゃんなら俺の隣で寝てるよ』なんて、今流れているような明らかに嘘だと分かるものなら構わないのだけれど、真偽の怪しい情報が出てきた時に、確かめる術が僕にはない。

 文章から真偽や心理を読み解ける浜風の存在を前提とした作戦なのだ。

 浜風の役割は、浜風が務めるしかない。


 そう思っていたが、浜風は苦しそうにマイクへ向けて「あんたたち、少し黙って……あー、いや、待ってなさい」と言い放ち、完全に僕へと向き直る。配信の画面はそれに合わせて準備中の表記になった。この辺りは、白縫さんたちの裁量でサポートされている。

 だけどそんな長い時間放っておいていい状況ではない。


「もうちょっと優しい言い方できないのか?」


「……ごめん。引っ張られるのよ、向こうの感情に」


「引っ張られる?」


「話し相手が苛立っていたら、聞き手もストレスが溜まるでしょ? 同じこと――なんだと思うわ。元々は、そんな風にこいつらの楽しそうな気持ちに乗っからせてもらってたんだけど」


 なるほど、聞けば分かりやすい話だ。画面越しで、文字越しに感情を読み取るという異質さに惑わされるけれど、本人からすればやっているのは面と向かっての対話と同じ。

 だから相手が楽しそうにしていれば楽しいし、怒っていれば怒ってしまう。

 だとすると、これだけの群衆を相手に、一対多で自我を保つのは相当に難しいのだろう。


「……だから、代わるんだったら逆よ、逆」


「逆?」


「あんたが、喋る内容を決めてよ」


 浜風は言う。


「こいつらとまともに喋っていたら、すぐに喧嘩みたいな物言いになっちゃうし、そうなったら情報収集どころじゃないでしょ。それに、一度この荒れた状況を鎮静化させなきゃいけないわ」


「それはそうだけど」


「だから私が何を言うべきなのか、あんたにリアルタイムで台本を書いてほしいの」


「り、リアルタイムでって……」


「速筆もあんたの特技でしょ?」


「…………」


 締め切りに追われたライターがゴーストの仕事の得意先だったので、同時通訳のように原稿を書き上げることも、できなくはない――とは思う。

 そんなの挑戦したこともやろうと思ったこともないからはっきりとは言えないが、タイピングの速度だけに限れば、十分に可能だ。

 だけどそれは書くことそのものの話でしかない。


「悪いけど、そんな速度で、そんな精度で、お前が言いそうなことを模倣して文章を書くだなんて僕にはできないよ。繰り返すけど、僕の技術はそんな便利なものじゃあない」


 そもそもゴーストライティングのために必要な準備が不足しすぎている。化けたい作者の文章を読み込んで思考を追いかけるというステップが踏めなければ、相手の思想を再現することなんて不可能だ。短い文章ならともかく。


「別に、それならそれで構わないのよ」


 浜風は言う。


「私の思想を真似しようなんて思わなくていいわ。あんたが思うように書いてくれれば」


「……お前の言葉じゃなくて、僕の言葉で書けってことか?」


「さすがに言葉遣いぐらいは合わせてほしいけど、そういうことね。って、それも私が乱しちゃってるんだけど」


「でもそれじゃあ、浜風みずちじゃなくなって、どっちにしろ、コメント欄は沈静できない気がするんだけれど……」


「いいえ、そうはならないわ」


 浜風は確信的な口調で言う。


「浜風みずちが私じゃなくっていいって決めたのは、こいつらなんだから」


「…………」


「それがあんたじゃいけない理由なんて、ないんじゃないの?」


 そうかもしれない。

 この視聴者たちにとっては、自分に都合が良ければ本物であろうと偽物であろうと関係ないのだ。だったら、その都合さえ守れば喋る内容を僕が決めたところで問題はないのだろう。

 奇しくも白縫さんの計画していた通りの事態だ。

 浜風みずちを自由に扱う役職として、そうなれば、僕ほどの適任もいない。


「……だけど」


 と、僕は小声で言う。


「だけど、だめだ……」


「どうして?」


「もう散々、思い知らされたんだ。目を背けていたのに、無理やり見せつけられた。僕が書く文章は、他人を不幸にしてしまう――」


 浜風のことも、羽野のことも、白縫さんのことも――ここに集まった視聴者も、全て僕の書いた記事で人生を狂わせてしまっている。だから僕はもう、自分の意志でも他人の意志でも何も書くつもりはない。

 書いたところで悪い結果にしかならないのが、目に見えている。


「だから、悪い。浜風……」


 浜風だって、自分の存在意義としていたキャラを他人に明け渡すことに、何の躊躇もないわけではないだろう。浜風みずちは私ではないと、その民意に従うことが彼女にとってどれだけ苦渋の選択か、分からないわけではない。

 友人のためにその苦汁を飲んでいるだけだ。

 その浜風の思いを無碍にしたくはないが、僕には、浜風の期待に応える術がない。

 技術の有無の問題ではないのだ、これは。


「本当に――馬鹿ね、あんたは」


 僕の誠意を鼻で笑い飛ばして、浜風は言う。


「私を不幸にしただなんて、あんたが勝手に決めるんじゃないわよ」


「僕が決めたわけじゃないだろ、事実、そうなっているだけで」


「あんたがいなかったら、私は、どこの誰とも知らない相手に身体を売っていたわよ」


 浜風は言う。


「……それが、何なんだ?」


「あんたは、私が平気であんなことを言っていたと思っているみたいだけど、そんなわけないじゃない。そんな人間、いるわけがないわ。だから私はあんたに――感謝をしているぐらいよ」


 浜風がそんなことを考えていただなんて、思いもしなかった。


「先行きが見えなくなった私に道を示してくれたのは、あんたなのよ。道を示しただけじゃなくて、あんたは、どうすればいいか分からない私に代わって、私に成り代わって、私に価値があるんだって証明してくれた。こんな私にも味方がいるんだって、教えてくれた」


「いや、それは……」


 2Dモデル制作のためのクラウドファンディングのことを、浜風は言っているのだろう。


「頼まれたから、そうしただけだろ」


「そうね。だけどあんたがゴーストになってくれなかったら、私は何をするべきなのかも、何を言うべきなのかも分からないまま、一人で間違えるところだったわ。でも、あんたがそれを具体化してくれたから、私はこうして、何も負い目を感じずにここにいる。はん――あんたがいなかったらきっと私は、あの最低だった頃の私に戻っていたわ」


 浜風は自嘲気味に笑う。


「浜風みずちは私じゃないって、決められちゃった。そのうえで、じゃあ私は一体何なのかって考えて、あの頃の私と同じなんだって結論に辿り着いたら、私はきっと耐えられなかった。あんたのお陰で、浜風みずちは私じゃないけれど、私は浜風みずちなんだって、今はそう思えているから、私はここにいるのよ。こうして、こんなに大勢の人間の前に立てる」


「……浜風」


「だから、お願いするわ。もう一度、あんたが道を示してよ。私はここにいていいんだって、心の底から思わせて。あんたが描く浜風みずちの物語を、私に読ませてよ。大丈夫、……きっと、今まであんたが書いてきたものに救われた人間だって、大勢いるはずなんだから」


「……救われて、いたのかな」


「当たり前でしょ。私が保証するわ」


 浜風は力強く断言する。

 鼠若名の書き物には、人を不幸にするだけではなく、人を幸せにするだけの力もあるのだと、そう後押ししてくれる。

 どちらにもできるのであれば、やりたいほうを選べばいい――のか。

 何かを選ぶのは、それ自体が主張であると白縫さんが言っていたけれども。

 だとしたら僕は――浜風の期待に応えるほうを、選びたい。


「本当に、いいんだな?」


「そう何度も確認するもんじゃないわよ、これだから童貞は」


 しばらくコメントから目を背けていたからか、浜風は調子を取り戻したように毒づく。


「だったら、悪いけど好き勝手やらせてもらうぜ」


 僕は言う。

 サブモニターにワードソフトを開き、キーボードに指を添えた。普段はこの段階で何を書くかはっきりと決めているものだけれど、今は頭の中に具体的なプランはない。

 ただしやるべきことははっきりとしている。


「まずは、浜風みずちをこいつらから取り戻す」


「どういうこと?」


「悪いけど説明はなしだ、いい加減、視聴者も焦れてきてる」


 久しぶりに目を通すと、浜風みずちという管理者が不在になったコメントは荒れに荒れ狂い、浜風のような読心術なしにしても精神的嫌悪で参ってしまうような惨状になっていた。

 だからこんな相手にいちいち下手に出てやる必要はない。

 好き勝手に話したいやつには、話させておけばいい。

 ただ、そんな話よりももっと魅力的な話をこれから聞かせてやる。


「ほら、あんたも座りなさいよ」


「うん?」


 腰を屈めて構えていた僕のために、浜風が椅子を半分空けてくれていた。造りのしっかりしたゲーミングチェアとはいえ、そんな風に座ったらだいぶ窮屈なのだけれど。


「あんたがちゃんと書けないと私が困るのよ」


「……なら、お言葉に甘えて」


 実際に座ってみると想像以上に狭く、身体の半分がぴったりと寄り添うような形になってしまった。同棲していても身体が触れ合うようなことはなかったのだけれど、くっついている部分から生々しい体温を感じる。

 浜風みずちはここに実在する、生きた人間なのだと実感する。


「それじゃあ始めるから、何があっても躊躇わずに読みきってくれよ」


「はん、ひよったこと書き始めたら無視するからね」


「それは――問題ない」


 僕がしようとしているのは【ミス・ノンフィクション】のメンバー以上にコンプライアンスに配慮しない、バーチャルYoutuberの禁忌を犯すことだ。

 配信の画面が待機中から切り替わったことを確認し、僕は浜風にだけ見えるように、台本を書き始める。


「――待たせたわね、あんたたち。悪かったわ」


 読みながら、浜風が疑問を感じているのを肌で感じる。

 この口調はさっきまでの浜風そのもので、浜風みずちのものではない。

 狙い通りではあるが。次の文章で、僕の狙いを視聴者にもはっきりと理解させる。


「色々と聞きたいことはあるだろうけれど、言いたいこともあるだろうけれど、まずは、ちゃんと自己紹介から始めさせてもらおうかな。私の名前は――浜風みずち。これは私の、ちゃんとした名前よ。設定上のものではなく、ね」


 察しのいい視聴者たちが、ざわつき始める。視聴者への掴みは十分。

 まずは興味を惹かなければ、話は、物語は始まらない。冒頭で謎を提出し、続きを聞きたいと思わせる必要がある。

 幸い、こいつらは自分の聞きたい話には、聞く耳を持つのだ。だったらこいつらの聞きたい話を聞かせてやろう。


「だけど本名とも言い難いわ。私には本名なんてないもの。本名もなければ戸籍もない――私はそういう素性不明の存在として、会社に雇われた。だから会社からの給与支払い明細なんて貰いようがなかったんだけど、そうね、あんたたちは心配してくれてたみたいだけど、お金はちゃんと、もらっていたわ。応援は、届いていたわよ」


 一息に、ここにいる多くの人間が疑問視していたことを解消させる。

 この場にいる多くの人間が問題としていることは、本当は何も問題じゃなかったのだと、教えてやる。そう、最初からその問題は、視聴者という第三者の目がなければ、当人たちには何も都合の悪いことではなかったのだ。

 ただバーチャルYoutuberと運営会社、そしてキャラクターと演者というフィルターが、物事を複雑化していただけ。だからここで僕は、そのフィルターを剥がしにかかる。

 浜風みずちは電脳空間上に存在するバーチャルYoutuberではなく、生身の演者が動かすキャラクターなのだという、暗黙の了解を敢えて無視する。


 ――この辺りで、白縫さんの判断で配信が止められるかもしれないと危惧していたのだけれど、そんな様子はない。それは実質、認められたようなものだ。

 止めるか止めないかの権利があって止めないのは、賛同しているのと同じこと――だろ?

 まあ、ここまで言われてしまえば今更止めたところで同じだというのもあるのだろうけれど。白縫さんたちに不都合な話は、これ以上はない。


 実際、浜風の境遇なんて、こんな短い文章で説明が終わってしまうのだ。

 そんな短い言葉すら正直に投げかけられないこのバーチャルYoutuberという業界が、歪だというだけで。その歪さに助けられるものもたくさんあるのだろうけれど、今この場に至っては、それは不要だ。


 同時接続者数が五万人を越えているのに反して、コメントの流れは僅かに遅くなっている。言葉の意味を読解するのに時間が掛かっているのだろう。それも予想通りだ。伝えるこちらからすれば短い言葉だが、聞きとる相手からすれば、その情報量は計り知れない。

 ここにいる人間それぞれが、浜風みずちに対して抱いていたであろうイメージ、浜風みずちという存在に描いていた認識を、根底から覆すようなことを言われたのだ。

『どういうこと?』『結局みずちちゃんって何なの?』と、浜風みずちに対する見解をこちらに一任してきている――浜風みずちの定義をする権利は、こちらに譲られた。


 ただ、これでは今、自分たちが何についてコメントを打てばいいのかさえ、忘れているだろう。僕たちが求めている情報はたった一つで、そこまで忘れられてしまうと困るのだけれど。

 だからここからは、視聴者の思考をそちらへと持って行く。

 浜風みずちが何なのかという疑問は敢えて置き去りにする。


「私とまにまは、だからそれなりに楽しくやっていたのよ、バーチャルYoutuberを。私は私だったし、まにまはまにまで、楽しみ方は違ったけれど。そしてエンティはもっと違うんだけれど――」


 ……っと。

 エンティの件に踏み込みかけて、ぎりぎり留まる。ここだけはさすがに越えてはいけない領域だ。白縫さんの話が本当なら、彼女の更に上にいる存在に圧力を掛けられて、停止させられるかもしれない。


「そのまにまが今――どうしようもなく、追い詰められている。あんたたちが好き勝手言ったせいで、私たちが無遠慮に踏み込んだせいで――あの子は一人じゃ戻れないところまで行ってしまって、どこかで孤独に死のうとして……」


 そこまで言ったところで、僕の筆と浜風の声がほぼ同時に止まる。

 このまま、続きを言わせるべきなのか?

 僕は羽野について、何かを見落としている。

 何を?


 ――そうだ。あいつは一体どうやって、自分の死を広めるつるもりだったんだ?


「……ちょっと、止まってるわよ」


「ああ、悪い……」


 せっついてくる浜風も、しかし自分の喋っている内容に違和感があったらしい。僕の台本に問題があったのではなく、認識自体が間違えているような感覚があったのだろう。


 羽野は自分の死を広めることで、浜風と波乃まにまの両方を守ろうとしていた。だけどそのためには、情報を拡散する係がいる。今、一人で死んだところで、その情報が本当に自分の望んだ通りに伝播したかは、不確かなままとなってしまう。

 命を懸けるほど入れ込んだキャラクターの行く末に不安を抱えたまま一人で死ぬことを、あの羽野が許容するか? それは――羽野まにまのキャラクター性と、大きく異なる。


 だとしたら――ここまでが、あいつの計画通りってことか。


「そうか、そうだ……そもそもメッセージを残したいだけなら、スマートフォンを置いていく必要はないんだ。置手紙でも、メールでも、何でもよかったはず……」


 羽野も声を生業にするバーチャルYoutuberだったから見落としていたけれど、何故あいつは、遺言にボイスメッセージを選択した?


 ――答えは簡単だ。


 書いた文章だと、浜風に真意を見破られてしまうから。


 羽野は、浜風が自分を探すために配信で呼び掛けることを想定していた。

 そしてそこで、波乃まにまの演者である羽野が自殺を企てているという情報を僕たちが発信することを確認したところで、ようやく彼女は安心して実行に移れるというわけだ。


 推論の域を出ない話ではあるが。

 だが、そう考えるとスマホのボイスメッセージを選択したというのも、いかにも胡散臭い。浜風の異能力を回避するためだけじゃなく、自分はスマホを持っていないから、配信なんて見ているわけがないという先入観を植え付けようとしていたと考えると、納得ができてしまう。

 予想が正しければ、僕たちが探している羽野は今、画面の向こう側にいる。

 あくまで推論で、根拠には乏しい。

 僕の中の羽野のイメージが間違っている可能性だって、ある。


『もしかしたらまにまちゃんも、今、配信見てるかも』


 と。

 ふと目を上げた時のコメント欄に、そんな言葉が流れていた。

 それは、僕がその可能性について考えていたから際立って見えただけで、今までも似たようなコメントはたくさんあったのだろうけれど。

 好奇心で悪意を打ち消さなければ、見つけられなかった一言だ。


「……そう、あんたたちも、そう思うのね」


 浜風は虚空に向かって頷く。


「あのまにまが、大好きなまにまちゃんのことで、手抜かりをするわけがないのよ」


 そうでしょ? と、僕に目配せをする浜風に頷き返し、僕は台本の方針を変える。

 視聴者に羽野の目撃情報を聞くのではなく――。


「まにま、あんた、そこにいるのよね?」


 直接、画面越しに羽野へと声を掛ける。

 話題性に釣られてやってきた、十万人の視聴者を置き去りに、たった一人へと。


「あんたの遺したメッセージは、最後まで聞いたわ。あんたの過去も、くるみから聞いた――」


 思い出す。

 背筋も凍るような嫌悪を伴う凄惨な過去を。


「正直に言うと――あんたが死にたくなる気持ちはよく分かるわ。家族にも恵まれず、環境にも恵まれず、暴行を受けて、虐待を受けて、食事を与えられず、愛情を与えられず――架空のお友達を生み出して慰められなきゃ生きていけない人生なんて、最悪よ」


 死んだほうがマシだわ。

 浜風は僕の台本を無視し、そう付け加えた。


「だけど私は、あんたの人生がそんなものだったなんて、思えない――あんたが不幸だったなんて、思えないのよ。だって、あんたは私と一緒にいる時も、こいつらの前でも、あんなに楽しそうにしていたじゃない」


 だんだんと、浜風の言葉が走り始める。

 悪意渦巻くコメントの流れが解消されたことで、調子を取り戻しているのかもしれない。


「死んだほうがマシな環境で育ってきたのに、それでも強く生き延びて、どれだけ不幸を嘆いても足りない世界で、他人にまで幸せを振り撒いて――あんたは強くて可愛らしい、私の親友だったわ」


 最早、僕が台本を書いて浜風がそれを読んでいるのか、浜風の言葉に合わせて僕が文字を打ちこんでいるのか、分からなくなる。


「最低な過去なんて感じさせないほど明るくて、人を癒せる人気者で、目的のために何でもできちゃうぐらい活発で、どんな時でも折れないぐらい力強くて――私みたいなやつに振り回されても呆れずに一緒にいてくれる」


 浜風は画面の向こうに羽野の姿を見て、言う。


「あんたが理想とした波乃まにまは、あんたそのものじゃない」


 ――そう。

 波乃まにまはバーチャルYoutuberなのだ。

 羽野まにまが演じる、一人の少女。

 この世界では、演者とバーチャルYoutuberは、同一であると見做される――。


「だからあんたは胸を張って生きていればいいのよ。誰に恥じることも、何に後ろめたさを感じることもなく、波乃まにまのように生きていけば、みんなはきっとついてきてくれる」


 浜風の声が、震えている。

 キーボードを叩く僕の指もその気持ちに感化されて、止まってしまう。

 僕が、浜風が、羽野に伝えるべきことはもう何一つないはずだ。

 果たしてこれで、羽野に届いただろうか。


 ――そう思っていたところで。

 座っていた椅子を倒す勢いで、僕の横で浜風が立ち上がり、マイクを掴む。


「……と、こんな感動的なことでも言えば、普通は考えを改めるのかもしれないけれど」


「ちょっ、ちょっと待て、浜風。何を……」


「あんたがこの程度で折れないだろうことを、私は知っているわ」


 浜風は僕の静止も無視し、浜風は言う。

 その声は震えている――怒りに、震えている。


「私が何を言ったところで、こいつらが何を言ったところで、まにまちゃんは私が信じるまにまちゃんだけで、私じゃない――そんな風に認めようとしないあんたの姿が、容易に想像つくわ。はん、そういうところが、あんたの強さなんだろうけれど」


 だけど、と浜風は続ける。


「あんた一人だけ先に死んで楽になろうだんて許さないわよ。私たちは、どれだけ最低でも生きていかなくちゃいけないんだから」


 最低でも、生きていかなくちゃいけない。

 その言葉は、僕のような人間にも深く響く。

 死んでしまえば全部楽になるんじゃないかという、そんな投げ槍な感覚は常に付きまとっていた。だけど僕たちは、生きなくてはならない。


「あんたは、自分が死ねばまにまちゃんは保管され、廃れることなく永遠に愛されると思っているんでしょ? 可愛くて人気者のまにまちゃんのまま、尊厳死したい? 安楽死させてあげたい? はん、そんな言い分――あんたが死んだら誰も耳を貸さないわ」


 浜風は言う。


「今この瞬間、私が波乃まにまはあんただと定義し、こいつらがそれを認めた! だからあんたがこのまま死んだら、まにまは不幸な生い立ちから逃げるために自殺した、弱くて可哀相な女の子だったって、そう思われるだけよ」


 たしかに――そうだ。


 浜風みずちが浜風ではないと、一度はそう決められてしまったかのように。

 この大勢が集まった場で、浜風が羽野と波乃まにまを同一人物だと認めてしまうことを言えば、この後、羽野が生きていても死んでいても、その二人を同一に見做す派閥が多数派になることは、間違いない。


「それに、私が何をしなくても、最近じゃあ、生身の人間の死だって簡単にコンテンツにされてるわ。もしあんたの思い通りに、強くて優しいまにまちゃんのまま死ねたとしても、そのまにまは、こいつらの脳内で勝手に生き続けるわ。死んでるからこそ好き勝手に改変され続けて、そして、飽きられたら誰の記憶からも消える――そんな虚しい最期を迎えるだけよ」


 熱の籠った弁に、リアルに想像してしまう。

 誰彼構わず好きなだけ利用され続け、熱が冷めたら捨てられる。その終わり方は、羽野が最も避けたかった、キャラクターの死に様なはずだ。


「それを覆したいなら、どうすればいいか分かるわよね?」


 浜風が画面に向けてがなる。


「あんたの主張があるなら、強い言葉で言い返さなくちゃ! あんたの姿で示して見せなきゃ! それができるのはまにまちゃんじゃなくて、生きてるあんただけなんだから。私たちはそうやって戦いながら――生きていくしかないのよ」


 気づけば、ありえないことが起きていた。

 配信の来場者数がいつの間にか三十万人を越えている。

 それだけでも記録に残る数字だが、それだけじゃあない。

 視聴者を置き去りに羽野にメッセージを送り始めてから、五分以上。

コメントの流れが、完全に止まっていた。


「それでも誰もあんたの声を聴いてくれなかったら、仕方ないわ。その時は――私が一緒に、死んであげる」


 ――三十万人。

 その全てが、浜風の言葉を聞くために、集中している。

 どんなに小規模な配信でも、こんなに長い間、コメントが途絶えることなどない。

 そのコメント欄に、短く。


『分かった』


 と。

 さっき作ったばかりだと分かる露骨な新規アカウントが、短く返事をした。


「だったら、さっさと帰ってきなさい」


 浜風が満足げにそう言ったところで、堰を切ったように大量のコメントが流れ始める。


 波乃まにまが救われたことを喜ぶもの。

 浜風みずちの新しい魅力に惹き込まれるもの。

 波乃と浜風の繋がりに感動するもの。

 結局何の説明もなかったと憤るもの、そもそも何が起こっているのかを理解していないものなど、様々なコメントと多数の解釈が飛び交い、きっかけになったコメントが本当に羽野のものだったのか、僕には確かめる術がない。


 だけど浜風は吹っ切れたように、大衆に向けて言う。


「ああもう、まったく。うるさいわね、あんたたちは。――まあ、好きにすればいいわ。好きなだけ好きなことを言ってなさい。また次回、いくらでも話は聞かせてあげるから」


 それじゃあね、とあっさりと言って。

 浜風は配信を止めた。

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