7.Venture
「やあやあ、よく来てくれたね、若名くん。好きな席に座ってくれよ」
株式会社【SHOWCASE】の本社。
その一室に、僕はいた。
室内はそこが会社であることを忘れるような――高校の教室であるかのような造りになっている。この部屋で、浜風や羽野は過ごしていたのだろうか。
高校生を名乗っていた浜風だけれど、学校に通えるわけもないし。
こういうセットの中で過ごしていたのかと、そんなことを思う。
「……それじゃあ、失礼します」
「そんなに畏まらなくていいのに」
気さくな感じでそう言ったのは、【SHOWCASE】の代表取締役。
浜風から聞いたところによると、年齢は四十手前らしいのだが。どんな若作りだ。
社長という肩書に反したフランクな態度は、フリーランスの個人事業主を相手にすることが多い彼女としては、相手の緊張を解く意味合いもあるのだろう。
ライター業には特にこういう感じのおじさんが多かった。
そんなことを考えながら手頃な席に着く。
机の隅には、『鼠』と書かれたネームプレートが添えられていた。
……僕がこの席を選ぶことを予想されていたっていうのか?
怪訝さが表に出たのか、白縫さんはおどけたように言う。
「ありゃあ、そんな嫌そうな顔しないでくれよ。私からのちょっとしたサプライズ、おふざけさ。他の席にも、机の中や椅子の背もたれに同じようなネームプレートがあるだけなんだから」
言い訳がましく言われるものの、それを確認しようという気にはならない。
僕が無意識に選んだのは、黒板を正面にして廊下側から二列目、後ろから二番目の席。
高校時代の僕が過ごした席の位置だ。
「ちなみに、その机の中にはきみの著書――ああ、違うか。きみのお父さん、卜明くんの著書【シャーデンフロイデの断末魔】が収まっているけれど、それは私の趣味だから、気にしないでくれ」
「嫌がらせではなく?」
「まさか。私はシャーフロキアンだからね」
「……僕はその言い方、好きではないんですけれど」
シャーロック・ホームズの熱狂的なファンを『シャーロキアン』と呼ぶことに掛けて、拙作のファンを一部の人がそう呼んでいるのだけれど、ホームズに並べて語ろうだなんて無礼がすぎるし、そもそも語感も悪すぎる。
白縫さんにしたって本気でそんなことを言っているとは思えない。
僕に関して調べがついているという、牽制なのだろう。
「それで、今日は一体何の用件なんですか?」
「おや? 私が送ったメールは読んでもらえなかったかな?」
「いや、もちろん読んでいますけれど。僕に仕事を手伝ってほしいって、【ミス・ノンフィクション】の運営を手伝ってほしいとだけ書かれていても、意味が分かりませんよ」
今日僕がこの場にいるのは、それが理由だった。
【ミス・ノンフィクション】の浜風みずちが活動再開予定であると告知があったその日、僕のメールボックスには【SHOWCASE】から仕事依頼のメールが届いていた。
ライターの依頼がある。詳細は会って話したいという端的な内容。
ゴーストライターとして仕事を受ける際は、文面に証拠が残らないように、そうやって簡易的なやりとりで済ますこともあるのだけれど――。
浜風の『読心』によると「私のことを警戒してるみたい」とのことだった。
それはつまり、浜風と僕が一緒にいるのを知ったうえで依頼をしてきているということだ。
「なんだか色々とご存じみたいですけれど。遠回しに脅されるぐらいなら、直截的に言われるほうが僕好みです」
「脅し?」
「浜風に、Vtuberデビューを辞めさせたい――そういう相談なんじゃないですか?」
「いや、全然違うよ」
おもむろに切り出した僕だけど、白縫さんはあっさりと否定する。
「というかあの子、またバーチャルYoutuberをやる気なんだ。それもそうか、みずちの場合は、それ以外の選択肢がないし――それは、嬉しいねえ」
「嬉しいんですか?」
「もちろん。あの子の才能を見出したのは、この私だよ。それが潰れないに越したことはない」
「……だけど、このままだと潰し合いですよね?」
「それなんだよねえ」
白縫さんは困ったように、教卓にだらりと突っ伏す。
この辺りの気の抜け具合は、浜風と似ていると言えば似ているな。
「私的にも予定外のことが多くてさ、なかなか思うようにいかないねえ、世の中」
「予定外も何も、全てあなたの采配なんじゃないんですか?」
「全て? ははあ、さては若名くん、けっこう大きな勘違いをしているようだね」
その辺りの誤解を先に解いちゃおうか――と、白縫さんは言う。
「まるで私が黒幕かのようにきみには見えているようだけど、実際は全然違うんだよ。第一に、浜風みずちの再始動――これは、私の意志とは大きく異なる。私としては、【ミス・ノンフィクション】は炎上を最後に業界から退くべきだと思っていた」
「つまり、浜風みずちや波乃まにま……エンティも、そのまま引退するべきだと?」
「そういうこと。きみはもう知っているんだったよね? エンティ・フロウフォードが、本物のバーチャルYoutuberであることを――AIを用いたプログラムであることを」
「それは……はい」
僕は素直に頷く。
浜風みずち、波乃まにまと並ぶ【ミス・ノンフィクション】のメンバーだった、エンティ・フロウフォード。
少年とも少女ともつかない中性的な声質、留学生であるがゆえに時折乱れる日本語の言葉遣い。それら二つの特徴は、彼女――もしくは彼が、浜風や羽野の言葉に合わせて、AIの自動音声で喋っていたことの証左だ。
感覚的には、Siriに近い。
「浜風の持ち出してきたスマホにエンティが入っていたから、そこで知りました」
「そうだったね。その時のやりとりは、私のエンティにも入ってきている。だから私がきみのことを知っているのは、エンティから聞いたからなんだよ。別にきみのことを調査して、弱みを握って脅そうとか、そういうことを考えているわけじゃないっていうのも、知っておいてほしいかな」
「……そう言われたら、納得するしかないですけど」
「ははあ、苦渋だねえ。ちなみにみずちやまにまは、エンティが私に管理されていることを知らない。みずちはただのAIアシスタントだと思っているし、まにまは、どうだろう? あの子の場合は、友達の友達ぐらいに思っているのかな?」
あの子は最後まで面倒見てあげられなかったな、と名残惜しそうに白縫さんは言う。
「一つ、聞いておきたいんですけど」
「何だい?」
「エンティ――本物のバーチャルYoutuberを制作するなんて偉業を為しておいて、どうしてそれを公開しなかったんですか?」
僕が浜風からエンティのことを聞いた時に、真っ先に思ったことだ。
そもそも、初代のバーチャルYoutuber――一番最初に『バーチャルYoutuber』を名乗った人の設定が、人工知能を搭載したAIのYoutuberというものだった。生身のYoutuberのブームに対抗するために、可愛らしいアニメーションのアバターを付けて、Youtuber的な活動を行うというところから、バーチャルYoutuberは始まっている。
その後、同じようにアニメーションを用いたYoutuberのことを、総じてバーチャルYoutuberと呼ぶようになり、今ではその言葉の使われ方もだいぶ形骸化しているのだけれど。
本当にAIそのもののバーチャルYoutuberだなんて、それだけで大ブームになりそうだが。
「どうしてと言われてもね」
興奮気味に尋ねた僕に、白縫さんは申し訳なさそうに笑う。
「上意に従ったとしか、私からは言いようがない」
「上意って……でも」
「若名くんは、社長が一番偉い役職だと思ってるね?」
「それは……」
「残念ながら、ベンチャー企業の社長なんていうのは大きな流れの一部でしかない。具体的に言うと、株主や投資家、親会社の下にいる。そして彼らは【SHOWCASE】をモデルケースにして、もっと大きな計画を企んでいるんだ。バーチャルYoutuberの市場なんて目じゃないような大きなビジネスに踏み込むために。エンティはその実地テストの一つでしかない」
「テストって、一体何の」
「架空の人材を作り出すテストさ――【プロジェクト・エンティティ】という」
白縫さんは言う。
「きみもネットで鑑賞していただけの時は、エンティという一人の人物が存在すると思っていただろう? キャラクターとしてのエンティ・フロウフォードを認知しただけで、エンティを演じる誰かがこの世界にいると思い込んでしまった」
「そうですね」
「だけどエンティなんて人間は、実際にはどこにも存在しない。存在しない人間が、あたかも存在するかのように、多くの人間に認知される――その人材的余白は、現代社会では如何様にも発展のさせようがあるんだよ」
「……例えば、アリバイ工作とかですか?」
「ははあ、若名くんは過激だねえ」
茶化すように笑われるが、人材的空白と言われても――そんなのは、犯罪におけるトリックに使うぐらいしか僕には思い浮かばない。
「いや、そんな血生臭い話だけじゃないさ。穏やかな例だと、ステルスマーケティングとかね」
それも十分、法律的にはグレーだが。
だけどそう聞けば、その先のことも思いつく。
架空の人材による情報操作、ステマの話を挙げられてしまえば、商品市場を外れたその先――選挙の票の操作などにも辿り着く。
極端な話、若者の選挙への関心が低い中で人気のバーチャルYoutuberが特定の立候補者を推したりしていれば、ある程度の票が動くだろう。そのVtuberを立候補者が裏で操ることが可能であれば、かなり危険度が高いということだけは分かる。
「じゃあ、浜風や羽野を人材として確保していた理由も――」
「そうだね。戸籍や他者との縁がないというのは、現代社会においては存在しないことと同義さ。存在っていうのは、他人に認知されることで成立するんだから」
「正直、架空の人材とか、人材的余白とか、そういうのが一体、どんなメリットを生じるのかはまだよく分かってないんですけど……あの二人が、炎上に繋がらないだろうと思って集められたっていう話よりは、納得できます」
「だろうね。あの子たちにはそう説明をしたけど、私が【ミス・ノンフィクション】の運営で一番苦心していたのは、あの子たちをいかに炎上させないようコントロールするかっていうところが大半だったよ」
最終的には失敗しちゃったんだけど、と白縫さんはおどける。
とはいえ、浜風の過去を知った今、それがどれだけ大変だったかは想像に難くない。
しかし改めて思うと、何がノンフィクションなんだという感じのグループだな……。設定に嘘が散りばめられすぎだろ。
「つまりVtuber市場での成功は、本来の目的ではなかったんですね?」
「そもそもここまでの【ミス・ノンフィクション】が人気になることは、彼らにとっても予想外だったはずだ。その要因は、もちろんみずちの才能にあるんだけれど。つまりこの件は、親会社の思い通りですらない。みずちを采配したのはこの私だからね。世の中、物事を思い通りにすることなんて、なかなかできないっていう話だよ」
「……だとしたら、浜風みずちの再始動はどうして計画されてるんですか?」
「そこが私も誤算でね。炎上騒動を機会に、だからプロジェクトは凍結されると思っていたのだけれど、一度得た栄光を――利益を失うのはもったいないと考えたんだろうね。ちょうど【プロジェクト・エンティティ】の一環として試作していたみずちの合成音声が完成していたこともあって、行けるところまで行ってみようという話になった」
「い、行けるところまでって、そんなあやふやな……」
「上意っていうのは、だいたいそういうものなんだよ。不明瞭で、そして絶対的だ」
白縫さんは言う。
「だから私の意志では【ミス・ノンフィクション】の再始動はありえないが、上意に従い、浜風みずちを合成音声で運用することを考えなくちゃならない――この立ち位置は、ゴーストライターの若名くんには共感してもらえると思うんだけど、どうかな?」
「――ひとまず、理解はできたと思います」
「それは重畳」
白縫さんはそう言うと身体を起こして、ぴょんと教卓の上に飛び乗る。
たしかにこの人に、社長とか責任とか黒幕と、そんな言葉は似合わないか。そんな言葉が似合わなさそうに振る舞って、上手に責任逃れをしているのかもしれないが。
「そしてここからが、ビジネスの話だ。私の意志で采配できる唯一の分野だ」
白縫さんは言う。
「浜風みずちを合成音声で運用すること自体は、最早仕方がない。唯々諾々、従うしかない。だけど私は、バーチャルYoutuberの視聴者がそこまで甘くないことを知っている」
「実際問題、合成音声で喋らせるって、かなり違和感がありますよね?」
「音声自体のクオリティはエンティの実績が保証するし、コンテンツも生配信じゃなくて動画に絞ればマシにはなるはずだよ。その辺りは、技術のごり押しで誤魔化しが効くけども」
たしかにそれなら、ある程度、目の肥えていない視聴者なら騙せる可能性もある。
だけど――。
「だけどそれには、浜風みずちが、十全におしゃべりをできるという前提がいる」
「……ですよね。だから、泥船になるっていう話だったと思うんですけど」
浜風みずちの場合は特に、トーク力が最大の個性だった。
コメントの心を読んで、誰もが聞きたい話を聞きたいように聞かせる才能はあいつだけのもので、その喋りの内容を再現することは合成音声を用いても不可能だ。
動画メインに移行した場合は、その長所を封殺することになり、需要が著しく減衰する。
そして仮に動画だけに限定したところで、浜風みずちがどんな時にどんなことを言い、どう思うかを完全に再現することなんて――。
「そのためにきみを呼んだんだよ。若名くん」
僕の心を読んだかのように、白縫さんは言う。
「この世界で最も浜風みずちに詳しく、そして彼女を再現する技術があるゴーストのきみに、浜風みずちの代わりを務めてほしい」
「…………」
「どうした? そんな固まるような、不思議なことは言っていないよね? 合成音声の出力はテキスト形式だし、ライターの分野、きみの得意分野のはずだ」
「いえ、別におかしなことだから止まっていたわけじゃないです。ただ……」
「ただ?」
「ただ、浜風に味方しているはずの僕が、今度は白縫さんの味方をするだなんて、あまりにもどっちつかずが過ぎるような気がして……」
「ははあ、面白いことで悩んでいるね、きみは。みずちに絆されちゃったかな?」
絆されたなんてことはないはずなのだけれど。
浜風の味方しているのだって、弱みを握られているからというだけで、未だに僕たちの関係性は、抜き差しならない状態だ。
「だって、おかしいじゃない。きみは主義を持たない、主張を持たない、来るものを拒まない、仕事を選ばない――そんなゴーストライターだったはずだ」
「……いや、仕事を選ばないなんてことはないんですけれど」
「でもそれだと、主義を持たないことは不可能だよね?」
白縫さんは、当たり前のことを言うように、言う。
当たり前のことを。
「仕事を選ぶっていうことは、この文章は書きたくないなと思うという意味だ。こんな物語なら書いてもいいなと思うという意味だ。それはきみの主義であり、主張だよ。もし仕事を選んだというのなら、きみは――私の会社は潰れてもいいと思ったということになるよ」
きみの書いた記事の影響力を思えば、ね――と。
責めるように、弱みをつくように、白縫さんは言った。
「い、いやでも……それは、僕のせいじゃないでしょう。僕がやっているのはゴーストで、僕がいなくても結局、その記事は檜扇さんが一人で書いていたはずです」
「おや? 本当に無自覚だったのかな? ははあ、あの時代遅れに、あんな記事が書けるわけがないだろう。事実として、きみが依頼を受けたせいで、掲示板の一書き込みがあんなにも拡散されて会社は崩壊に追い込まれた」
「……それは時間の問題だったでしょう、僕が書かなくても、勝手に広まっていたはずです」
僕の反論には耳を貸さず、白縫さんは続ける。
「そしてきみが匂わせた陰謀論のせいで、今度はその進退が弄ばれている――」
「陰謀論のせいでって……」
「きみの文章には、他人の心理を動かすだけの力がある。そもそも文章とは、そういうものだがね。だからあの記事を読んだ私の上役は、犯人捜しに躍起になっているんだ――」
犯人捜し。
いや、考えてみれば、それは当然か。
浜風があまりに無頓着だったから気づかなかったが、社内の極秘情報が流出したのだから、犯人を突き止めようとするのが当たり前の流れだ。
「私としては、そこは見逃してしまっても良かったんだけど。社内の惨状、イジメのような状態には私も気を揉んでいたし。解決するには、会社を壊すぐらいしかなさそうだったしね。誰かに不幸を押し付けてしか存在できない会社なら、潰れてしまったほうがいいとも思っていたけれど、私は社長だからね。社員に働きかけるには、あまりにも無力だったんだ」
「いや、社長以上に社員に影響力のある人はいないんじゃないんですか?」
「私が言っても、私に見えないところで、より悪質なイジメが始まるだけだよ」
なるほど。
学校で起こるイジメを教師が止めに入っても、無意味なのと一緒なのだろう。
「犯人も、同じ考えだったんですかね」
「……みずちからは何も聞いていないかい?」
「浜風から? ……いえ、特には。あいつは犯人捜しみたいなことも、恨み言も、一切言っていませんでしたよ」
「ふうん、そう――果たして気づいているのかいないのか、微妙なところだね」
意味深なことを言いながら、白縫さんは話を戻す。
「ともかく、きみの書いた陰謀論に端を発し、誰かがみずちやまにまを他の会社に移動させるために炎上事件を起こしたのではないかという噂が流れた。そんな状態でグループを解散したら犯人の思うままだし、それにそんな犯人に退職金を払いたくないという大人の事情もある」
「そこだけ聞くと、なんだか子どもっぽいですけども――結果、中途半端な再始動ですか」
「まったく、振り回してくれるよきみは」
「だから、そんな風に、僕のせいみたいに言われても……」
「きみ以外の誰のせいだと言うんだ? 他の誰でもない、きみが書いた記事の影響だろう」
白縫さんはまるで断罪するかのように、断言する。
「きみはそうやって、自分が書いた文章の影響を他人のせいにしているようだけど、そんな理屈は通らないよ。きみが書いた文章の責任は、当然、きみのものなんだから」
「……そんなことを言われるのは、初めてです」
本当に、どういう気分で聞けばいいのか分からない。
「もちろん良い影響もだけどね。【シャーデンフロイデの断末魔】のように、きみが執筆してきた作品が人気になっていることは、本来、きみが褒め称えられるべき実績でもある。……そういう評価から目を背け続けてきた結果が、今のきみなんだろうけれど」
「……評価も何も。あれは父の作品です」
「ははあ、拗れているね、きみも相当。そういえば卜明くんからネグレクトを受けているんだったか。これは人選ミスをしたかな。――引き受けてくれる気は、ないってことかな?」
「それは……」
最後通牒のように、白縫さんは宣言する。
「依頼を拒否するというのなら、それも構わない。けど、そうしたらうちの社員は全員、路頭に迷うことになるだろう。きみの記事の影響で会社が潰れ、きみの責任で失職する」
「…………」
「そして【ミス・ノンフィクション】の復活を楽しみにしてくれているファンたちも、裏切ることになる。誰もが悲しむ最悪のエンディングだ」
「…………」
「だけどきみが手伝ってくれるというのなら、全てが丸く収まるんだよ」
「…………」
僕は、何も言えない。
ゴーストライターとして生きると決めてからは、気楽だった。
自分の意見を持たず他人の主張を文字に起こす行為は、続けていると、まるで自分には一切の思想や派閥がないかのような気分になれる。物事の良し悪しも、善悪も、全て綯い交ぜにして、何にも属さない、存在するのに存在しない、そんな生き物になれる気がしていた。
だけど実際は僕の文章で、人が幸せになったり、不幸になったりしている――。
「今なら、罪の償いも間に合うはずだよ。きみは若いからね。若名くん」
そんな風に、白縫さんは言った。
「きみのスマホにも簡易式のエンティを入れておいてよ。もし気が変わったら連絡してくれ」
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