3.Vain

「ちょっと、Youtubeが壊れちゃったんだけど」


 なんてものを壊してるんだよ、お前は。

 どんな厄介者だ。


 翌日の話である。

 あれから、浜風に一部屋を任せ、適当にコンビニで買った食事で夕飯を済ませてから、僕たちは眠りについた。もちろん、それぞれの部屋で別々にだ。少女と同棲と言っても、相手は僕を脅迫している人間なのだから、油断はならない。

 そんなことを言いつつ翌朝、というか翌昼に、僕は普通に大学に出席したのだが。よく知らない相手を仕事道具がある家に一人残していくというのは、油断だらけだし、危機感が欠けているともいえる。

 ただ、浜風の危険度はそういう空き巣方面ではないと判断してのことだということは、弁明しておきたい。そもそもお金が欲しいだけなら、最初から恐喝すればよかったのだから。


「インターネット回線が整っていて、スペックの高いパソコンがないと、配信はできないからね。お金だけあってホテル暮らしでもだめだし、声が出せないネットカフェでもだめなの」


 とは、浜風の弁。

 最近はネット配信や動画収録ができるようなネットカフェもあるにはあるのだが、それでもある程度継続させるには、向いていない場所である。

 なのでひとまず住処を与えておけば、直近の安全は確保できていると判断しての外出だった。

 そして授業に出終え、帰宅した僕に浜風は言った。


「あんたのYoutube、最初から壊れてたんだけど」


「なんでさりげなく僕に責任転嫁してんだよ」


 僕のYoutubeなんてものはないんだよ。

 あるとしたら僕たちのYoutubeだ。

 なんだか不機嫌そうに見える浜風は、僕の反論も無視してぷいと顔を背ける。


「……っていうか、その子は?」


 留守にしている間に僕の部屋にあったはずのゲーミングチェアを自室に運び、その上であぐらを組んで座っている(スカートで)浜風の足元で、行儀よく正座している少女がいた。

 浜風と同じようなデザインの制服姿。正座をしても足が出ていないのでスカート丈は浜風よりもだいぶ長いようで、衣服や座り方の差から育ちの良さが伝わってくる。

 ただしそれも、二つに結わえた三つ編みや、顔のほとんどを覆うような大きな丸眼鏡と合わさると、お上品なお嬢様というよりも、引っ込み思案な図書委員風に見えてくるが。


「え、えっと……」


 僕の問い掛けに対し、少女は助けを求めるように浜風を見上げた。


「まにまよ」


「まにまって……波乃?」


 昨日浜風に言われたことを引き摺っているわけではないが、思わず名字だけで止める僕。


「それ以外に誰がいるのよ、こんな変な名前」


「へ、変な名前じゃないもん……こういうのは、個性的って言うんだよ」


 紹介を任せているわりに、変なところでしっかりと反論していた。

 たしかにその声は【ミス・ノンフィクション】のメンバー、波乃まにまそのものだ。

 だけど浜風のように、容姿が彼女のイメージと一致しない。そして、振る舞いも。波乃まにまはもっと溌剌としていて、クラスの中心人物である浜風みずちと並び立ち、背中を合わせるようなアクティブなキャラクター性を有していたはずなのだが。

 そんな僕の疑念を感じ取ったのか、浜風は波乃の三つ編みを後ろで持ち上げ、眼鏡を外させる。


「ほら、まにまでしょ?」


 そうして見れば一目瞭然だった。特に髪を持ち上げたことで強調された豊満な胸元が、波乃まにま本人である確証となる。しかし、3Dモデルでは盛られているんじゃないかと思ったけれど、案外これは、実物よりも抑えられていたのかもしれない。


「やだ、ってば」


「だったら自己紹介ぐらいちゃんとやりなさいよ」


 手を振り払う波乃に、思いの外、真っ当なことを言う浜風。

 そうして渋々、上目遣いで僕を見上げながら、彼女は僕に向き合う。


「は、羽野はのまにま……」


「はの?」


「えっと、羽化登仙うかとうせんの羽に、閑雲野鶴かんうんやかくの野で……」


 いや、言われれば分かるけれど。


「ああ、羽野→はの→波野の変換で、読みと字を変えて波乃なのか」


「うっわ、あんたそれ、本当に気持ち悪いわよ」


「何で?」


「しかも自覚ないんだ……これだから童貞は」


 呆れたように言われても、今回は本当に理解が及ばない。当て擦りだと思っておくか。

 羽野の名前については言われてみれば当然で、正体を隠さなければいけないバーチャルYoutuberが本名を使うなんてありえないのだから、偽名に決まっている。むしろ下だけでもそのまま使っているというのが安易なぐらいだ。


「お前は何て名前なんだ? 本当は」


 僕は浜風に問う。聞くタイミングなかったので後回しにしていたが、さすがに相手の本名を知らずに同棲を続けられるほど、爛れた関係ではない。


「私? 私は私よ。浜風みずち以外に、名前はないわ」


「いや、それは活動上の名前だろ? 本名を聞いてるんだよ」


「本名なんて私のほうが知りたいわよ――いや、別に知りたくないけど」


 ああ、そうか。


 浜風の場合は、本名で活動するデメリットがない。何せ無戸籍だ。名前を知られたところで、何も掘り起こされない。何の記録にも残っていない。そもそも浜風みずちという名前自体が自称であり、本名という概念自体があやふやなのだから、使い慣れた名前で困らないのだろう。

 逆説的に、本名を使っていない羽野は、浜風とは違う事情を抱えていることになりそうだが。


「――結局、何で羽野がここにいるんだ?」


「あんたのYoutubeが壊れてたから、助けてもらおうと思って呼んだのよ」


「だから僕のYoutubeなんてないんだって」


 僕たちの押し問答に、羽野が横から助けの手を伸ばしてくる。


「みずちちゃんが配信をやろうとしたんだけど、上手くいかなかったみたいで、呼ばれたの」


「何の準備もなしに始めたら、普通、上手くいかないだろ」


「あんたもそう言うんだ」


 意外そうに頷く浜風。


「配信なんて、適当にボタン押して始めたら、人が集まってきて見てくれるものだと思ってたんだけど。ほら、何故か全然集まらなかったのよね」


 浜風が指差したパソコン画面には、配信の履歴――アーカイブが残っていた。

 再生回数、128回。高評価数、2。低評価数、17。

 見るも無残な結果だった。


「再生回数が少ないのはともかく、低評価数17って、何をやらかしたんだよ」


 再生回数に対して、低評価数が多すぎるだろ。


「浜風みずちだって名乗ったら、嘘だと思われて、めちゃくちゃな暴言を吐かれたわ」


「……そういうことか」


 さっきから浜風が不機嫌そうにしているのは、不特定多数から言われもない暴言をぶつけられたが故なのかもしれない。それぐらいで堪えるほどやわではなさそうだけれど。


 世間的には未だに【ミス・ノンフィクション】の炎上問題は継続している。その中で、まったく別のアカウントから当事者を名乗る配信をしたところで、信じてもらえないだろう。特に声だけでは、人は意外と聞き分けができないし。


 バーチャルYoutuberの界隈で以前あった事件に、キャラクターの中の人、演者を、こっそり別人に入れ替えるというものがあったけれど――演者とキャラクターの同化を楽しむコンテンツであると謳いながら、その実、ランダムに入れ替わる演者を毎回確実に見抜ける人のほうが少数派だったという、示唆に富んだ結果になっていた。

 その例とは逆に、仮に本人の声で本人だと主張しても、ガワや配信環境が大きく違えば、信じてもらえないのが現実なのだろう。


 そして偽物が配信してると判断されれば、攻撃性を向けられる。

 インターネット上の、自分が悪だと判断したものに対して向けられる敵意は、現実世界のそれとは比較にならないほど、容赦がない。

 そんなものを相手にしていては、まともに配信なんてできるわけがないか。


「せめて、別名義で配信しなきゃだめだろ」


 バーチャルYoutuber的に言うと、転生ということになるのか?

 以前まで使っていたキャラクターを捨てて、別のキャラクターになることを、Vtuberの界隈では転生と言う。何らかの事件や事故で以前までのキャラクターが使えなくなった場合に、稀にあることだが。

 そうやって転生をして、むしろ転生以前よりも成功している演者もいるし、転生自体は別に悪いことではないのだけれど。

 ――その場合、元のキャラクターは死んでしまうのだろうか。


「別名義ねえ。でも、浜風みずちとして配信をしたほうが、人は集まるんじゃない?」


「それは、一理あるけれど」


 炎上商法に近いやり方だ。

【ミス・ノンフィクション】の話題が沈静化していないのを利用して、注目を浴びる方法。浜風が本物か偽物かどうか分からなくとも、そういう怪しい人物が出てきたというだけで、今なら十分話題性がある。


「それにしたって……これはなあ」


 よく見れば、浜風は僕のYoutubeアカウントをそのまま利用して配信していた。

 アカウント名『牛若丸』――僕のネーミングセンスはともかく、アイコンやアカウント名ぐらい本物らしくしないと、悪戯としても質が低いし炎上商法にもなっていない。

 それに配信の告知をする用のTwitterアカウントもなければ、配信のタイトルも概要欄もデフォルトのままで、これでは検索に引っかかることも少ないだろう。


「むしろこれでよく100人もアクセスしてくれたなって感じだよ」


 元々、浜風みずちの生配信となれば、同時接続者数――いわゆる同接は、5oooo人平均だ。

 それだけの人を集めるには、本人の人気もそうだが、配信のスケジュールをしっかりとTwitterで事前に告知し、常在の視聴者以外にも見つけてもらいやすいような検索ワードを織り交ぜるなど、様々な工夫が必要になる。

 それぐらい、本人も分かっているはずなのだけれど……。


「ふうん、私、そういうのは全部、会社に任せてたから」


「だとしたら任せすぎだろ」


 超人気Vtuberの実態がこれだと知ったら、若干の失望がある。


「羽野さんも、その辺りは不得手だった?」


「ぎこちないわね」


 浜風の茶々は無視して、羽野のほうを見る。


「えっと……はい」


 僕の問い掛けに、頷いたのか俯いたのか分からない反応で答える羽野。


「さすがに、名前は変えたほうがいいと思ったんだけど……みずちちゃんは、みずちちゃんだけなんだし……」


「だから、私が浜風みずちなんだから、その名前でいいでしょ」


「……こんな具合で」


「ははあ」


 助けに呼ばれたというわりに、アテにされていないんだな。

 その辺りの関係性は【ミス・ノンフィクション】の時の二人っぽいが。何かをする時に正統派で正攻法な手段を提案するのが波乃まにまで、その正攻法を無視し、一見非効率的なやり方で破天荒に結果を出すのが、浜風みずちだった。

 どちらかと言えば、波乃まにまが引き立て役の立ち位置で、それゆえに人気もやや浜風みずちのほうがリードする形だったけれど、本人的には折り合いがついているんだろうか?


 呼び出された挙句アドバイスを無視されて、それでも自分の意見を言い続ける辺り、確固たる自分は持っているようだが。

 みずちちゃんはみずちちゃんだけ、か。


「お前もわざわざ呼んだんだったら、助言ぐらい聞けばいいのに。何のために呼んだんだよ」


「はん、まにまに配信の手助けなんて求めてないのよ、最初から」


「じゃあ何で呼んだんだ?」


「気分転換。罵詈雑言をぶつけられたのを、まにまに慰めてもらおうと思って」


「特に慰めたりはしてないけど……むしろサンドバッグみたいな……」


「そんな扱いするわけないでしょ、それで言うなら抱き枕ってところね」


 言いながら、浜風が羽野の首元に足を巻き付け抱き寄せる。格闘技で言うところの三角締めに近いが、まあ、じゃれ合っているような雰囲気だしこれも内輪のコミュニケーションなのだろう。僕のような部外者が何か言うことじゃない。


「まにまだって、嫌々来たわけじゃないもんね? 用事があるんだもんね」


「用事?」


「なんかあんたに聞きたいことがあるみたいよ。ねー?」


「……そ、そうだけど」


 言われてみれば、浜風が羽野を呼んだ理由は分かるけれど、羽野がその呼び出しに応じた理由は、いまいち不明瞭だった。呼ばれたから来ただけという可能性も十分あったのだけれど。

 聞きたいこと、ねえ。


「えっと……この間のあの記事を書いたのって、鼠さんなんだよね?」


「……まあ」


 何を簡単にバラしてるんだよ、と浜風を睨むが、舌を出して答えられるだけだった。


「鼠さんはもしかして、情報を流出させた犯人とか、分かっているのかな……って、聞きたくて……あの、すみません……」


「いや、謝るようなことじゃないけれど……」


 話している間に一人で委縮されて、こちらが責めているような気になってしまう。庇護欲をそそられるのと似て非なる感覚で、一方的に罪悪感を押し付けられて居心地が悪い。

 羽野だって登録者数70万人以上の人気配信者なのだから、もっと胸を張って話せそうなものなのだけれど。


「悪いけど、犯人とかは分からないかな」


「そ、そうなんだ」


「そもそも陰謀論みたいなのも、僕が思っていることじゃないし」


 この辺りはゴーストライターという立場の微妙さが関与してくるので伝えづらいのだけど、羽野はひとまず僕の答えに納得したようで、首元に巻かれた浜風の足から何とか脱出した後、再び静かに俯いた。


「まったく、そんなこと聞いてどうするんだか」


 と、浜風は僕たちのやりとりをつまらなさそうに見ていた。


「何から何までずれてるわよね、あんたも。犯人なんて聞いても仕方ないし、配信にしたって、名前なんて変えても仕方ないのよ」


 むしろその辺りは浜風のほうが異常だと思うのだけれど、しかし浜風は、それが当たり前のことであるかのように言う。


「どうせみんな、私の喋りが目当てなんだから――都合よく、聞き心地のいい話を取捨選択して喋り続ける女の子に、集まってくるだけなんだから」


「…………」


「それができるのが、私だけなんだから、どこまで行っても、どんなガワを被ろうとも、私は私――私でしかないじゃない」


 文章から感情を読み取るという、異質。

 たしかにそんな才能を持ってしまっていたら、他のキャラクターには成りようがない。

 しかもその浜風の異質は、バーチャルYoutuberの視聴者の需要と、極端に噛み合っている。


 バーチャルYoutuberの視聴者は、自分が見ている配信者が楽しそうに喋っている姿や、ゲームをしている姿を見て、彼女たちに投げ銭をして支援をする。それは、バーチャルYoutuberにある種の自己投影をしているがゆえ――だと、僕は考えている。

 物事に対する解釈や、ゲームに対する感想などを、彼女たちに一任し、彼女たちのリアクションが自分のリアクションで、彼女たちの考えが自分の考えだと同一化することで、実生活が忙しくて自分でコンテンツを消化できないことの穴埋めをしている。

 バーチャルYoutuber同士が楽しく遊んでいる様を見て満足しているのなんて、まさしくそういうことだ。他人の幸せを自分の幸せに置き換えて、充足感を得ているのだから。


 そんな風に、他人に自分の感情を任せてしまう気楽さを、僕は知っている。

 自分で何かを考え、何かについて想うことは、とても疲れるから――。


 しかしそれでも、想いになる以前の、傾向や好みのようなものはそれぞれが持っていて、無意識のうちに相性のいい配信者のところに集まっていくのが人の性だ。

 浜風みずちはそんな人の性に、極めて的確に応じながら会話を展開する。

 50000人以上の視聴者のコメント群から好みの傾向を読んで、上手く世論に迎合しながら、聞き心地の良い話題を選んでいく浜風の配信が人気になるのは、必然だった。


「……まあ、お前がちゃんと手順さえ踏めば、すぐに立場も取り戻せるんだろうけど」


【ミス・ノンフィクション】の炎上事件にしたって、現状、運営会社の【SHOWCASE】が一方的に悪役にされている段階だ。

 人気Vtuber浜風みずちが転生し、配信活動を再開するとなれば、大衆は彼女の味方をするに決まっている。例えそれが、どんな形であれ。どんな姿であれ。


「ただ、その手順の踏み方が分からないから困っているのよね」


 Youtubeが壊れている、か。

 そのレベルで配信に疎いとなると、返り咲くのは難しそうだ。

 こうなると運営から離れた演者が一人で独自に配信を行えないよう、知識を制限されていたという可能性も浮かび上がってくる。


「少なくともお前よりは、僕のほうが分かるんだろうけれど……」


 Vtuberの視聴者の、感情を他人任せにし、その自覚がないという退廃的な雰囲気は居心地がよくて、檜扇衵から仕事依頼を受ける以前から色々と視聴はしていたからな。

 決してファンではないが。


「それでも数字の分析とか広告収益とか、その辺なら一般人よりは詳しいけど、配信する側の知見は普通に素人目にしかならないよ」


「ううん、そうよね」


 と、素直に頷く浜風。


「逆にアドセンスとかなら頼っていいってことよね? 私、アカウント作れないし」


 アドセンスというのは、Youtubeの広告から収入を得るシステムのことだ。企業と契約していない個人のVtuberやYoutuberの主な収入源がこれだ。

 このアドセンスのアカウントを有していないと、動画に広告をつけて収入を得ることができない。同様のシステムはブログやWeb小説などでも使われているから、こっちについてはある程度専門内だ。


 僕自身はゴーストライターなので、収入はアドセンス頼りではなく、依頼者から受け取る形なのだが――だからこそ、無戸籍で自分のアカウントを作れない浜風に貸与できる枠が空いていた。そこまで含めて計算ずくで、僕のところに来たのかもしれないが。


「それぐらいだったら平気だけどさ」


 そもそも断る権利が、僕にはない。

 脅され、家を占拠されている身なのだ。


「助かるわ。まにまは何の役にも立たなかったし」


「あう」


 浜風の足元で、さらに縮こまる羽野。

 その羽野を無視し浜風は、脈絡なくスマホを取り出した。

 何だ? ここに来て突然、何か調べものか?

 そんな風に牧歌的なことを考えていたが、浜風の取った行動は、僕の予想を遥かに超えていた。

 一見非効率なやり方で、破天荒に結果を出す――浜風みずちの個性を、失念していた。

 Vtuberのキャラクター性は、演者本人の性質に由来するというのに。


「そしたら配信に関しては、専門家に相談することにするわ」


 専門家?

 浜風はサイドボタンを押しながら、スマホに話しかける。


「エンティ、何件か、調べてほしい連絡先があるんだけど」


「あいあーい」


 スマホからはこれまた聞き覚えのある、少年とも少女ともつかない、あどけない声が響いた。

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