2.Verify
それなりに広い部屋で一人暮らしをしていること。
それなりの収入があること。
浜風みずちの視聴者であること。
そして――浜風みずちのことを、好きではないこと。
「おおまかな条件は、そんなところよ。細かいところでは他にもいくつかあるけれど、あんたを選んだ理由は、概ね消去法ね」
「消去法って……」
「妥協の産物とも言えるわ」
「言えても言うなよ、そんなこと」
「最後の条件に合致した人が、あんた以外にいなかったのよ」
僕がこのマンションに引っ越してきて以来荷物置きとなっていた部屋を簡単に片づけながら、浜風は言う。
扉の外に屈強な男はいなかったが、頑強そうなトランクはあった。最初から浜風は、泊めてくれる人を探しに来ていたらしい。
「――社員寮を飛び出してきたから、家がないのよ。お金もないし」
「は?」
「だから、泊めてほしいの」
彼女の『お願い』を聞いて呆然としていた僕に、浜風はそう言った。
「いきなりそんなこと……普通に家族のところに行けばいいんじゃないのか?」
しどろもどろになりながら言う僕を、浜風は鼻で笑う。
「家族なんていないわよ」
「いない?」
「あんた本当は、私の話、聞いたことないの? 配信でけっこう言ってたと思うけど」
「いや、それは聞いたことあるけど……でも、それはあくまで浜風みずちの設定だろ?」
Vtuberは実在の人間としてではなく、キャラクターを演じて配信を行うが、その際、キャラクターの設定に合わせた振る舞い――いわゆるロールプレイを行う。そのロールプレイによって、実在と非実在の境界を曖昧に見せるのも、Vtuberの人気のポイントだ。
アニメほど非現実的ではなく、生身の人間ほど現実ではないという演出。
演者たちはそれぞれ、ある人はAIだったり、ある人は魔界の王だったり、ある人は八歳の小学生だったり、特殊な職業だったり高校生だったりを演じ、その設定に沿った言動を行う。
そんなロールプレイによってキャラクターの存在は、現実とフィクションの間を行き来する。この世界に魅力的なキャラクターが実際に生きているのではないかと思わせるだけの説得力が生み出されるのだ。
浜風みずちの場合は、十六歳の高校二年生で、明るくてリーダーシップのある優等生。ただ幼い時に両親を失っていて、生活費を稼ぐために様々なバイトに精を出しているという設定がされていた。
その設定に合わせて【ミス・ノンフィクション】が定期的に提供していた動画コンテンツには、浜風みずちのバイトの手伝いで、波乃まにまとエンティの三人で一風変わったバイトに挑む様子を収録した2Dアニメがあった。
有名なアニメ会社の協力を得て本格的に作られた、24分のアニメーションだ。
だけどそれはあくまで動画を制作する都合上、キャラクターの演出上の創作で、実際に彼女たちがアルバイトをしているわけでも、高校生なわけでもない――というのが、多くの視聴者の暗黙の了解だったはずだ。
AIを名乗っているのは実在する人間だし、魔界の王を名乗っているのはニート歴の長い引きこもりだし、女子小学生を名乗っているのは鬱屈とした大人だし、学校教師を名乗っているのは非常勤の塾講師だし、女医を名乗っているのはドロップアウトした元看護学生だし、高校生を名乗っている人たちも大抵は二十代だと、理解した上でロールプレイを楽しんでいるに過ぎない。
だから当然、浜風の両親が亡くなっているというのも、キャラクターの輪郭を強調するための設定だと思っていた。
「【ミス・ノンフィクション】は、設定に関してはほとんどノンフィクションなのよね。ほら、キャラクターの外見だって、私たちに似せて作ってあるし」
そう言って、浜風は身体を見せびらかすようにくるりと回る。
膝よりだいぶ上の丈のスカートが軽やかになびき、どきりとしそうになる。3Dモデルを使った配信では、そんな風に視聴者に視覚的な喜びも与えていたが、対面してやられると目のやり場に困るな。
「――って言っても、キャラデザはだいぶ可愛く作ってもらっているんだけどね。実物に忠実じゃ、あんなに可愛くならないし」
「いや、それは……」
どうだろう。それは絵や3Dモデルと実在の人間との差というだけで、現実的な人間としては、浜風はだいぶ整った容姿をしている。少なくとも突飛な制服姿がシュールになってしまわない程度には。
「危機感が足りないんじゃないのか?」
「何それ、どういう感想? 戸愚呂弟?」
「戸愚呂弟ではないけど」
「マリオ弟?」
「それはちゃんとルイージって呼んでやれ」
「ルイージのフルネームはルイージ=マリオよ」
「だとしても、だよ」
見ず知らずの男の家に泊めてほしいと頼むのは、例え相手の弱みを握っていたとしても、十代の女子が取るべき行動ではないはずだ。付け込む気がない僕がわざわざ言及するようなことじゃあないか。
「まあ、それなら実家に帰れないっていうのは分かったけど」
そこを疑っていてもしょうがない。突飛な設定を素直に受け入れて聞くのは、バーチャルYoutuberを見るうえで必須な素養だ。僕もバーチャルYoutuberを追ってきて四年近くになる。そのぐらいの設定は飲み込もう。
「だとしても、そもそも寮を出てくる必要があったのか?」
今、彼女たちを取り巻く問題は、主に雇用関係でのトラブルのはずだ。
給料の未払い。
バーチャルYoutuberの運営には、2Dや3Dのキャラクターの取り扱いや、動画作成、配信のスケジュール管理、外部からの仕事依頼の対応など、様々なバックアップ役がいるけれど、それでも最前線で働いているのは、浜風たち演者自身だ。
旗印ともいえるその彼女たちが十分な報酬を受け取っていない、どころか一切の報酬を受け取っていないというのは、大問題である。
給与の未払い問題自体は過去にも同じ界隈であったが、今回、この事件が殊更大きく取り沙汰されているのは、会社から彼女たちに一円たりとも報酬が支払われていないというキャッチーさにあった。
だけど。
「給与未払い問題――確かに問題だけれど、それって会社との話し合いで解決していくことじゃないのか? 何らかの法的手段に出るとしても、それまでは会社の寮で過ごしていたほうが、解決もし易いだろ」
「解決はしないわよ」
「は?」
「給料はちゃんともらっているもの。だからこの炎上は、決着の方法がないの」
浜風はさして改まることもなく、重大なことを言う。
「……いや、それなら支払われている証拠をちゃんと提出すれば、炎上は収まるんじゃないか?」
もし彼女が言うことが真実なら、ネット全体が間違え続けていたことになる。
火のないところに煙は立たない、どころか、非のないところに放火をし、燃やしてしまったということに。
その場合、僕の依頼者である檜扇衵も最たる加害者として名を連ねることになるだろうが。
「その証拠も出しようがないのよね。むしろ支払われていないっていう確固たる証拠が出ちゃっているし」
それはそうだ。記事の執筆依頼を受けるにあたって、僕も目にしている。
【SHOWCASE】の社員を名乗る人物が匿名掲示板に投稿した、社員構成と給与支払い明細などから、浜風たち演者に対する支払いが行われた形跡が一切ないことが分かったのだ。
どころか浜風を含む演者三名は、書類上会社に存在しないことになっていた。
その不自然さから、書類自体が偽造ということも考えられるが、僕は――というより、依頼者の檜扇衵は、信用に足ると判断したのだろう。彼は彼で何らかの裏取りをしてから、僕に執筆を依頼しているだろうし。
裏取りの更に裏――炎上事件に隠れた悪意さえ見越していたようだが。陰謀渦巻く政財界に踏み込み調査をする彼ならではこそ、感じ取れる意図があったのかもしれない。
その真偽を僕が問うことはない。僕は言われた通り、彼に成り代わって記事を書き上げるだけのゴーストだ。
「だけど、給料は支払われているのに、むしろ支払われていない証拠があって、それを否定する術がないって、言ってることおかしいだろ」
「そうね」
僕の疑問を当然のように受け止めて、浜風は言う。
「でも、戸籍がない私と雇用契約を結ぶ方法がないんだから、おかしいのが普通なのよね」
「戸籍がない?」
「ああ、そっちは浜風みずちのキャラ設定に含まれてなかったわね。戸籍がないっていうのは、家族がいないっていう話に繋がってるんだけど、私、出生届を出されなかったみたいなの。私が生まれた直後に二人とも死んじゃったから、その辺りで有耶無耶になって」
「……そういうケースは、あるのは知ってるけど」
というか、それはゴーストライターの仕事で触れたことのある話題だ。
一見治安が良さそうなこの日本でさえ、少なくとも一万人の無戸籍者がいると言われている。
無戸籍であると、浜風が言うようにまともな雇用契約は結べなくなるし、それだけではなく、健康保険証がなく病院で診察を受けづらい、学校にも通えない、結婚の手続きもできないなど、多くの困難に晒されることになる。
会社の従業員として給与を受け取った証明など、発行できるはずもない。
何故なら、無戸籍者は書類上、いないことにされているから。
現代社会に実在する、ゴースト――いや、この場合はむしろ、バーチャルか。
「それはもちろん、会社側も知っているんだよな?」
「当たり前でしょ」
そりゃあそうだ。あえて確認するまでもない。
となると現実的には【SHOWCASE】の罪状は給与未払いではなく、所得税や源泉徴収税などに係る脱税になるのか……? 目的が無戸籍者の雇用のためなら、情状酌量の余地はありそうだが。
その事実を明らかにしたところで、多くの混乱を招くだけだ。
たしかにこれでは、解決のしようがない。
「そもそも私たちが、そういう趣旨で集められている演者なのよね」
「そういう趣旨って?」
「だから、戸籍がないとか、学籍がないとか、そういう理由よ。私だけじゃなくて、まにまやエンティについても、情報は出ていないでしょ?」
「ああ、それはそうだけれど……」
「【ミス・ノンフィクション】はそういう身分不定、身元不明を集めて作られたグループなの」
「……何のために?」
「炎上をしないために」
浜風は言う。
「最初に集められた時はそんな風に言われて、ふうんと思った程度だけど――私が活動していた一年ちょっとの間だけでも、いっぱい見てきたわよ。Vtuberとして活動していない時に犯した悪事が暴かれて炎上した人も、Vtuberではない界隈で身に着けた偏見を吐露して焼け死んだ人も」
「焼け死んだって、聞こえが悪すぎるだろ」
炎上して引退に追い込まれたら、キャラクターは焼死したと言っても過言ではないが。
バーチャルYoutuberの死生観については、檜扇衵も言及していた部分だ。
「くるみ――ああ、うちの社長のことだけど、くるみは、バーチャルYoutuberの炎上のほとんどは、演者本人の実生活に原因があるって言っていたわ。犯罪歴もそうだけど、男性遍歴とか、家族構成とか、学校でどんな立場だったかとか、友達とどんな悪ふざけをしたかとか――」
改めて言われるまでもなく、それはその通りだ。
分かったうえで、対策のしようがない問題でもある。バーチャルYoutuberがあくまで人が演じるものである以上、不測のヒューマンエラーとは切っても切り離せない。
……と、思っていたけれど。
「だから過去がなく、実生活がない――生活に実態がないお前みたいなのが、集められたのか」
「そういうこと」
なるほど、聞かされてみれば、面白い着眼点だ。
身内の中でならなあなあにされるような小さな犯罪歴を生放送中に漏らしてしまうという不祥事は、そもそも悪事を一緒に働く身内がいなければ、起こり得ない。
高校や大学に行かず異性と関わらなければ、恋愛関係の縺れを配信に持ち込むこともなく、ファンを失望させることもない。
本来であれば、演者自身の実生活は語りや振る舞いに深みを持たせるための重要なファクターではあるが、それが欠如してしまう分は、【SHOWCASE】のイベント支援――妙なバイトをされるなどの体験で、補わされるわけか。
支援の中にはトラブルを避けるようなリテラシー教育も含まれているだろうし、そうして生まれるのが、炎上知らずの健全な配信者というわけだ。
バーチャルYoutuberの運営会社は、最前線に立つ演者たちの失態で立ち行かなくなることもあるため、できる限りトラブルを起こさなさそうなスタッフを集めたいというのは、理に適っている。
そのために無戸籍者を募るという方針を取った【SHOWCASE】社長の采配は尋常ではないが。新興のベンチャー企業がゆえの自由さなのだろうか。
「だけどそれも、野次馬根性に満ち溢れたどこかの誰かが書いた記事のせいで台無しになったんだけどね」
「…………」
「そのお陰で私は路頭に迷ってしまったわ。頼れる家族のない、一人のうら若き乙女が」
「…………」
「身分の証明もできないか弱い少女が野に放たれたら、どうなってしまうのかしら」
「…………」
そんなわけで、浜風を家に泊めることを承諾した僕だった。しかも彼女に当てがった部屋は、僕の私室よりも広い。まあ、空き部屋だったわけだが。広い部屋は落ち着かないのだ、昔から。
「それにしても、やっぱり会社と縁を切るみたいに逃げてくる理由があったのかは、甚だ疑問なんだけれど……」
片付けに疲れたのか、背中を後ろに反らして腰を伸ばす浜風の足回りのガードが緩くなってることから目を背けながら、僕は言う。
「あんたが何を疑問視してるのかが、私には分かんないんだけど」
「心が読めるんじゃなかったっけ?」
「文章からならね」
「……それも眉唾なんだよなあ」
面と向かっている時だけ心が読めると言われたほうが、まだ理解できる。
メンタリズムというか、読心術というか、差し向かいで相手の振る舞いや動作を見て、心理的な変化を読み取る技術自体は実在するのだし。
だけど文章というのは、そうではない。
こんにちはという文章は、こんにちはという意味でしかないだろう。
「そうじゃないのよ、『こんにちは』は『こんにちは』だけじゃないわ」
浜風は言う。
「朝に『こんにちは』って言っていたらそれは『おはよう』って意味だし、夜中に『こんにちは』って言っていたら『こんばんは』って意味になるでしょ?」
「僕の出した例が悪かったかな」
「いいえ、とってもいい例よ。他にも配信を稀に見てくれる人のは『お久しぶり』だったり、初めてくる人のは『初めまして』だったりするし、あんたたちだってそれを無意識に読み取りながら過ごしてるはずよね」
「それは――そうか」
「しかも文章の場合は、伝えたい意図を隠す気がないじゃない。むしろ伝えたい意図を洗練して出力したものが、文章そのものじゃない。何を伝えたいのか曖昧なまま話している人の言葉なんかよりも、よっぽど分かりやすいわ」
「それも――そうか」
実際、仕事の依頼を引き受ける時も、依頼主が自分にどういう執筆をしてほしいのか察するのが一番苦心する。それでもファミレスで顔を突き合わせて打ち合わせをするよりは、要点を箇条書きでテキストファイルで送信してもらったほうが、分かりやすいこともある。
「だけど、相手が騙す気で文字を書いている場合は? そんなの、読み解きようがないだろ」
伝えようとして伝える場合は口頭や身振り手振りより文字のほうが優れている、そういうシチュエーションがあるというのは否めないが、だけど、それは最初から伝える意思を持って書かれた文章だけだ。
相手を騙す気で書いた文章なら、そうはいかないはず。嘘を見抜くための情報量が、圧倒的に不足しているはずだ。
そして僕がゴーストライターとして書いた記事は、人を騙すために書いた文章の最たるものと言っても過言ではないはずなのだが――。
「そんな理詰めで詰められても困るんだけど、私だって、理屈で読み解いてるわけじゃないんだし。ただ何となく、ああこういう意図で書いた文章なんだなって分かるだけで」
「その何となくが重要なんだよ、僕にとっては」
ゴーストライターの正体を見破る方法論があるだなんて、死活問題だ。
「そう言われてもね。ただ、くるみは、人を騙すための文章も、嘘を見破られないようには書いていないから見抜けるんだろうって解釈してたわよ」
浜風は言う。
「嘘が見破られることを想定していない。面と向かって人を騙す時に、言葉だけで騙そうとは思わないでしょう? 交通事故に遭った時に、言葉の上でだけ心配されても、その人がにやにや笑っていたら真意なんて一発で分かるじゃない。その、嘘を見破られるだろうという意識が文章にはないから、それらを包括的に? 文脈から察して? 読み解けるんじゃないかって」
「何で言ってるお前が自信なさげなんだよ」
「だから、私だってよく分かってるわけじゃないんだってば」
それでも納得しない僕にやや面倒くさそうに、浜風は応じる。
「でもそれで、あんたのツイートからも、あの記事からも、あんたが父親に――」
「――分かった。分かったから、それ以上言うな」
「そう?」
ならいいんだけどねとそれ以上は言及してくることもなく、浜風は片づけた部屋に戻っていき、今度は自分の荷物を広げ始めた。
僕の文章から僕の父、鼠
そこまで知られているとなると、やはりこの少女を野に解き放つという選択肢はなくなった。
身元不明の少女を家に囲うというのも十分にリスクなのだが。
「それで、一体お前は何で会社を出てきたんだよ。どう考えても、衣食住、会社にいたら困らなかったんじゃないのか?」
「一時的にはねー」
部屋を一つ挟んでいることでやや反響した声が返ってくる。
「でもどうせ、あの会社、炎上で潰れるでしょ」
「いや、それは今後の振る舞い次第じゃないのか?」
「そしたら潰れるじゃない」
「……まあ、そうか」
会社からもキャラクターからも、今回の事件に対して何ら声明を出していない理由は、出すべきポジティブな情報が一つもないからというわけで、【SHOWCASE】は今後も燃え続け、消し炭になることは確定路線だ。
「だから新しい宿主を、宿木を、早めに見つけておこうってわけ」
「ドライだな。キャラに愛着とかないのか?」
「はん、それこそ馬鹿の発想ね」
扉を半開きにし、隙間からこちらを覗きながら浜風は言う。
「浜風みずちは私で、私だけが浜風みずちなの。私自身をモデルにした、私自身。だから、私さえいれば、それで十分」
「……大した自信だな」
自信というより自己愛か? もしくは自己承認。
彼女のファンが聞いたら卒倒しそうな文言だが。いや、どうなのだろう?
バーチャルYoutuberの視聴者には、可愛らしいキャラクターの外見目当ての者もいるが、多くの者は、演者自身の自由な振る舞いや語りに惹かれていると自認しているようだったし、我の強い演者というのは案外、受け入れられるのかもしれない。
だからといって容姿をあまりに潔く捨てられては、困惑しそうなものだが。
「ああ、だから僕が該当したのか――お前の視聴者で、浜風みずちを好きではない」
「そういうこと。変に
迷惑とまで言うか。
そういう層こそ、活動中の浜風に熱狂的にハマり、手厚く支援してくれていたはずなのに。とはいえ、お金を払っているんだから見返りを寄越せというのも、Youtubeの基本的な支援システムであるスーパーチャットの在り方とは逆行しているが。
配信者は好きなように配信をし、それを見て充足感を得た人間が、その満足感に見合う額を好きなように支払えるのが、スーパーチャットシステムだ。現実には、大金を払うことで配信者に自分の存在を認知させたり、自己アピールなどをしている人もいるのだが……。
そのアプローチのせいで好きな配信者と同棲する機会を逃したというのは、何らかの寓話っぽい。別に僕は、今の自分の立ち位置を美味しいとは一切思っていないのだけれど。
誰も得してないじゃねえか。
「それに、運営会社が炎上しそうになったら切り捨てましょうっていうのも、あの会社の教えよ。炎上しない配信者の作成プログラムに含まれていたわ」
「会社側がそれを言うんだな」
「演者が炎上してしまった場合に切り捨てることと表裏一体だけどね」
だとしたら、随分とシビアな関係だ。
浜風が天涯孤独の身分を買われて演者になったという経緯から、なんとなく、里親的なイメージを抱いていたのだけれど。
「それならそれで、もしもの時のための貯金とかあったんじゃないのか?」
「そうね、それならよかったんだけど、ほら、私、銀行口座とか作れないじゃない」
無戸籍ゆえ、か。
「だから貯金ってないのよね。まにまはその辺り、上手くやってたみたいだけど。貯金箱で」
「貯金箱って」
まあ、それは雑談配信で成り上がってきた浜風なりのユーモアなのだろうけれど。口振りからして、波乃もエンティも、何らかの緊急手段を持っていたのだろう。
「それならよかったよ。波乃まにまやエンティ・フロウフォードまで僕の家で匿ってくれと言われたら、さすがに無理だったからな」
「女の子の名前をフルネームで呼ぶの、童貞がバレるからやめたほうがいいわよ」
「バレるも何も、まったく身に覚えがないんだが」
「はん。意外と面と向かってても、嘘って分かりやすいものね」
僕の完璧な言い訳を聞き流しながら、浜風はリビングの隅に置いてあったパソコンのケーブルを、次々に外しにかかる。
「……っておいおい、待て」
「何?」
「何じゃないよ、何をしようとしてるんだ」
「私の部屋に持って行こうと思って」
「思うな、そんなこと」
「でも、これがないと私、仕事できないし」
浜風は言う。
「仕事って……また配信をやる気なのか?」
「当面のところはね。私にできる仕事なんて、これぐらいしかないし」
言いながら、愛機のように僕のパソコンを撫でる浜風。
「私だってあんたに生活の全部を面倒見てもらおうとは思っていないわ。稼げる分は自分で稼いで、何とかするつもりだし」
その申し出がありがたい内容なことは事実だ。
この一人暮らしのマンションも、元々は身内が執筆部屋に使っていたところだから家賃はタダ同然で、収入も普通のアルバイトをする大学生よりは多いのだろうが、人一人を養いきれるほどの余裕はない。
パソコンだって仕事用に複数台持っているし、それで浜風が食い扶持を稼いで、最終的には僕の家を出て行ってくれるなら、それに越したことはない。
そしてたしかに、無戸籍の浜風がただちに開始できる仕事というと、配信業ぐらいのもの――なのか? なんだか上手く言いくるめられているような気はするのだけれど。
「……はあ、分かったよ。ただ、そっちのパソコンには仕事のデータが入ってるから、別のを使ってくれ」
「分かった、ありがと」
素直に礼を言う浜風。多少無茶を言っている自覚があるのか、譲歩は見せてくれた。
まあ、これでもう面倒を掛けないでくれるなら、是非もない。
「一応言っておくけど、壊すなよ」
「当たり前よ。私を何だと思ってるの?」
厄介者だよ。
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