V

アシキ

1.Victim


 Vtuberグループ【ミス・ノンフィクション】大炎上!? 虚構に塗れたその実態


 人気バーチャルYoutuberグループ【ミス・ノンフィクション】とその運営会社が今、ネット上で物議を醸している。


 バーチャルYoutuberとは、2Dもしくは3Dのキャラクターグラフィックを用い、実際にそのキャラクターが動画投稿や生放送を行っているような演出を行うYoutuberで、略してVtuberとも呼ばれている。


 Vtuberの人気はここ数年、激しい盛り上がりを見せているが、その一方、ネット上を騒がせる不祥事と切り離せないのも事実だ。

 その多くが、キャラクターではない生身の人間の不用意な発言、不注意な行動、運営会社との不本意なトラブルによるもので、時としてキャラクターを演じるようになる以前の悪事を暴かれるようなこともあるが、基本的には配信を行う人物が責任を問われる性質のものだ。


 しかし今回の【ミス・ノンフィクション】を取り巻く一件は事情が異なる。そこが、ネットを騒がせているポイントだ。


 そもそも【ミス・ノンフィクション】は近頃になりメンバーの一人が登録者数100万人を達成したほど盛り上がりを見せていたグループで、その特色は、浜風はまかぜみずち、波乃なみのまにま、エンティ・フロウフォードという三人の美少女キャラクターたちのリアルを共有できるという部分にある。

 彼女たちは動画や生配信を通じて実生活で起こった体験を視聴者に、鮮明に提供する。彼女たちが通う高校で催された行事や放課後の過ごし方から、休日にグループで行く買い物や旅行での出来事、どこで食べたどんなスイーツが美味しかったかなどを、ほとんど包み隠さずに語っていた。まるで彼女たちが本当に実在する高校生で、日々の出来事を赤裸々にするかのように。


 それゆえ、他のVtuberたちと比べ存在がより鮮明に感じられるという点が、彼女たちの大きな魅力の一つであった。もちろん、浜風みずちの、視聴者の心を読んだかのように展開される巧みな話術や、凛とした波乃まにまが時折見せる気の抜けた言動や、海外からの留学生であるエンティのあどけない魅力があってこそではあるが、それらの質感が仔細に渡り届けられていることが、近年、増加を辿るVtuber群の中で彼女たちが抜きん出た理由に他ならない。


 そして彼女たちの日常生活のバックアップと非日常体験の提供を行うというのが、運営会社【SHOWCASE】の活動方針であると公言されていたのだが、今回の事件で、その部分に大きな誤りがあることが判明したのだ。


 事の発端は、五月十五日に匿名掲示板に投稿された一つの書き込みにある。


 その匿名人物は【SHOWCASE】の社員を名乗り、同運営会社から三名のVtuberたちに給与が支払われていないという情報を告発した。当然、内容の真偽を問う声は多く上がったが、調べが進むにつれてそれが事実である可能性が高いとされ、事態は騒然とした。

 もしこのことが事実ならば、視聴者に向けて公開されていた投げ銭システムによる支援や、グッズ販売時のVtuber自身の取り分などに大きな偽りがあるという事実に繋がり、根本的に、彼女たちの生活を支える資金がいかにして補われているのかなど、疑問は相次ぐ。


 ネット上の声に対し【ミス・ノンフィクション】のメンバーからも【SHOWCASE】からも現在声明は出されていないが、事態を収束させることを目指すのであれば、一刻も早くアクションを起こすことが望ましいだろう。


 特に本件はVtuberの炎上事件としては珍しい、Vtuberを演じる人物自身に責任の存在しない、彼女たちが被害者となる稀有なケースであり、【ミス・ノンフィクション】の活動再開を望む声、引退を望まない声は多く上がっている。


 しかしこのままでは、彼女たちの活動は途絶えてしまう可能性が高い。


 現在の、疑いの目を向けられた運営会社と共に活動を続けることが困難なことは間違いないだろうが、バーチャルYoutuberは性質上、他事務所への移籍なども難しい。仮に移籍できるとしてもそれは演者に限った話で、キャラクター本人の移籍はほぼ例を見ない。いわゆる転生という形で、新たに2Dもしくは3Dモデルを与えられて活動を継続することになる。


 キャラクターに命を認めるとしたら、演者が転生してしまった時点でそれ以前に使用されていたVtuberの命は潰えてしまう。

 バーチャルな存在であるVtuberたちの活動の最期は、演者の都合により配信が行えなくなっての休止か、演者が犯してしまった罪の償いとしての引退という形がほとんどであり、多くの場合、演者自身とキャラクターは揃って死を迎える。

 しかしながら今回の件では、このまま事態が進めば、死を迎えるのはキャラクターのみとなる。活動継続を望まれる演者がその通りになるのは喜ばしいことだが、一方で、キャラクターの未来が閉ざされてしまうことには疑問を抱かざるを得ない。


 仮に、一連の事件の結末を予想して実行に移した者がいるとすれば、キャラクターと生身の人間の命が分かれることは計画の内にあったことだろう。つまり、自身の好みに合わないキャラクターを被った演者から、キャラクターのみを剥ぎ取ることを目論んだ猟奇的な犯人像が浮かび上がってくる。そんな犯行が、許されてよいのだろうか。


 バーチャルYoutuberの不祥事に関する情報は日々出回るが真相が明らかになることは多くない。しかし、このように明確に被害者がいる事態については、望まれた結末が見届けられるよう願いたい。



―――――――――――――――


「この記事を書いたのって、あなたですよね?」


 ドアホンの向こうからくぐもった声でそう尋ねてきたのは、少女だった。スマートフォンの画面をカメラに押し付け、抑揚なく繰り返す。


「この記事を書いたのって、あなたですよね?」


 そこに表示されているのは、見間違えようがなく僕が執筆したウェブ記事だった。隅々まで目を通すまでもなく、一瞥してそうだと分かるけれど――それが分かるのは、僕と、ごく僅かな関係者だけだ。

 この子は一体どうして、僕がその記事を書いたのだと知っている?

 と、疑問に思った時点で、僕は決して扉を開けるべきではなかった。

 他人に知られているはずがない、知られてはならない秘密が露見している可能性が高い正体不明の相手に対して、無警戒にも玄関の鍵を開けたのが、僕の何よりの失敗だったと言える。


「……はじめまして?」


 そこにいたのはやはり僕の知り合いではない、高校生ぐらいの女の子だった。しかし、見知らぬ少女ではない。その姿だけは、何度も見ていた。

 横に切り揃えられた前髪と、耳の傍で纏められたツーサイドアップ。後ろ髪は柔らかく巻かれ、真っ黒い制服に溶け込むように下ろされている。その制服はというと、肩や腰、スカートの裾にメッシュがあしらわれ、女子高生が身に着けるにはやや過激な装いなのだが――現実に存在する学校の制服ではないのだから、さもありなん。


 現実には存在しない――つまり、バーチャルだということ。

 少女の立ち姿は、バーチャルYoutuberグループ【ミス・ノンフィクション】のキャラクター、浜風みずちそのものだった。


「お邪魔するわ」


 非現実的な容姿に目を奪われているうちに、少女は僕の脇をすり抜け家の中に侵入した。


「お、おいっ」


 遅れて中に戻ると、少女は窓の外の景色を検分していた。そして強気な笑みと共に振り向くと、スマホの画面を再び僕に見せつける。

 今度は僕が一年以上前にツイッターに投稿した写真で、中心に大きく写された新品のステンレスカップに、彼女が覗いていた窓の外の景色が反射していた。


「このアカウントもあんたよね? Nonameさん」


「……そんな小さな反射からこの家を特定したのか?」


「まあね。探し出したのは私じゃないんだけど」


 言って、少女は冷蔵庫から勝手に取り出した麦茶を件のステンレスカップに注ぎ、リビングに移動して飲み始める。不法侵入者とは思えない寛ぎ方だ。

 その余裕は、僕に通報されることがない――僕が警察に頼れないことを知っているが故なのだろうけれど。一体この女は、何をどこまで知っていて、何の目的でここへ来た?


「そのアカウントに辿り着くのですら大変だったんじゃないのか? 鍵垢じゃないとはいえ、FFが多いわけでもないし」


 本当に聞きたいことがある時に、遠回りをしてしまうのは僕の悪癖だが、この場合は正解だった。


「そっちは簡単よ、だってあんた、私のことフォローしてたじゃない」


「……ってことはやっぱりお前は、浜風みずち本人なのか」


「もちろん」


 たしかにこの容姿にこの声で別人だと言われたほうが信じられない。最初に声に聞き覚えを感じなかったのは、ドアホン越しで音質が悪かったうえに、本人が意図的に口調を変えていたせいだろう。僕が警戒し過ぎて、扉を開けないことがないように。

 とはいえ、だからといってその回答は、納得のいくものではなかったが。


「フォローされてたって言っても、浜風みずちのフォロワーって、八十万人ぐらいいたはずだろ。それを全員確認してるって言うのか?」


「それを全員確認してるって言うのよ。何でか、あんたたちは自分が見られている意識がないみたいだけど、自分の顧客の調査をしないわけがないじゃない」


 当たり前みたいに言うけれど、八十万人だぞ? 詳細に把握しているわけではないのだろうが、一目通すだけでも相当な作業量のはずだ。それとも、それぐらいのことはしないと、バーチャルYoutuberのトップ層に食い込むのは難しいのか。

 それで僕のアカウントは事前に知っていて、僕に何らかの用があり、誰かの力を借りて住所を特定したのだということは分かったが、それでも、まだ状況は謎だらけだ。


「だけど、あの記事と、僕のアカウントが結びつかないだろ。だってあの記事は」


「あんた以外の署名がされてたわね」


 浜風は言う。


「だとしたら、どうして僕が書いたんだと思うんだ?」


 浜風みずちを含むバーチャルYoutuberグループ【ミス・ノンフィクション】のニュース記事に書かれた署名は檜扇衵ひおうぎあこめ、週刊誌にも寄稿するニュースライターの名だ。

 そんな檜扇衵と、一介の大学生でしかない僕、鼠若名ねずみわかなは表向き完全に無関係である。檜扇衵という名が僕のペンネームであるということも、もちろんない。


「はん。そんなの、あんたのアカウントの文章と見比べれば一目瞭然よ」


「それは――ありえないだろ」


 思わず、強く否定する。


「もし一目瞭然なんだったら、僕はゴーストライターとしてここまで活動できていないよ」


 つい自白をするような形になってしまったが、浜風にとっては自明の事実だっただろう。僕があの記事を代筆した、ゴーストであることは。そうじゃなければ、わざわざ家まで訪ねてこないはずだ。

 だけど僕のゴーストライター歴は十年以上。あらゆる分野での代筆を務めてきたが、正体が見破られたことはない。作者を偽り文章を公開する行為は、細かく言えばいくつかの法に触れている後ろ暗いものであり、正体がばれることは禁忌中の禁忌だ。

 それこそ、バーチャルYoutuberの中の人――演者がバレること以上に。

 僕がその分野で多少なりとも重用されている理由は、他者の筆癖、言葉の選び方や語り口調を模倣するのが得意だからで、素人の少女に見破られるなんてあってはならないことだ。


「どこかに大きなミスがあったのか?」


 そのミスの内容を教えるためにわざわざ彼女が僕の家を訪れたのであれば、それは大変ありがたいシチュエーションだけれど、現実はそうそう楽観的にはいかない。


「あれ? あんた、気づいてて書いたんじゃないの?」


「は? 何をだ?」


 僕が自分から正体を明かすようなことを書いていたということか? そんなはずはない。記事の校閲は、僕と依頼者本人、そして信用できる校閲者の三重体制で確認している。

 浜風は言う。


「記事にあったじゃない、【ミス・ノンフィクション】の浜風みずちは、心を読むって」


「……たしか心を読んだかのように話す、とは、書いた覚えがあるけれど」


「じゃあ、無意識に正解に辿り着いてたんだ」


「せ、正解って。それじゃあまるで、本当に心を読めるみたいじゃないか」


「そうね、だから、そう言ってるのよ」


 かちゃ、と浜風は空になったカップを置く。


「信じられるかよ、そんなの」


「何よ、聞かれたから答えてあげたっていうのに」


「僕が聞きたかったのは真っ当な答えだよ」


「私は文章から心を読んで、記事の作者とアカウントの持ち主の感情が同一なのを察して、あんたに辿り着いた。それ以外に、私がここにいることに納得できる方法がある?」


「…………」


 あるかと言われれば、たくさんあるけれど。

 心を読むだなんて非現実的な方法に納得できるなら、記事からIPアドレスを抜き出して住所を特定したとか、作家に催眠をかけて情報を引き出したとか、そう説明されても同じことだ。

 それぐらい非現実的。

 しかし仮に、仮想的に――バーチャル的に考えれば、それが一番現実的な回答なのか?


 昨今の成熟したVtuber市場で、後発のキャラクターが有名になることはごく稀だ。【ミス・ノンフィクション】が人気になった理由はいくつもあったが、浜風みずちの聞き心地よい雑談配信は特に需要の高いコンテンツだった。

 その配信が人気な理由は、コメント欄を読んで、まるで視聴者の心の流れを読んだかのように、群衆が最も聞きたがっている話題を常に選択し続けるような話術にある――と、僕は分析した。


 いや。

 正確にはその分析は、『檜扇衵であればこういう風に解釈するであろう』という経緯を辿った分析であり、僕に言わせればその文責は彼のもので、僕自身の意見ではない。

 檜扇衵という四十半ばのベテランライターでは疎いネット関連の最前線の話題の記事を、彼が時間をかけて丁寧に追い続けたらこう綴るであろうということを想定して書くのが、ゴーストライターというものだ。

 檜扇衵は政界や財界に纏わる調査が本職であるため、今回の記事の末尾でも、そのような陰謀論を匂わす書き方にしてある。僕はあの事件に関して、そこまで深い意図が隠れているとは思っていないのだけれど。


 ともかく、浜風みずちが何らかの方法で他人の心を読んでいるかもしれない、という予想自体は実際に立っていたのだ。実態がどうあれ、事実だと仮定して受け入れることはそう難しくない。

 というよりも、それが事実であろうと何らかのブラフであろうと、今はどうでもいいのだ。遠回りもいい加減にして、僕は聞くべきことを聞かなければならない。


「……それで、ここに来たのは一体、何が目的だ?」


 どう考えても僕が真っ先に気にするべきことは、それだ。

 まさか演者自らがここまで来て、雑談に興じたいだけなはずがない。

 ゴーストライターの事実まで突き止めているのだから、良くて脅迫か――最悪、ウェブ記事で情報を拡散されたことを恨んでの復讐に及ばれるか。さすがに高校生ぐらいの少女に襲われて負けるとは思わないが、扉の外には屈強な男たちが揃っているかもしれない。


「何が目的だと思う?」


「さあ。僕はお前みたいに心が読めないからな」


「私だって、面と向かってでは分かんないわよ」


 神妙な面持ちの僕を可笑しそうにしながら、浜風は言う。


「だから私も、今からするお願いを断られたらどうしようって、心配してるのよ」


「……何を言うのでも、断れないように脅迫すれば済む話だろ?」


「そうね。あんたの弱み、けっこう握ってるし。だからわざわざ、あんたを選んだわけだしね」


 選んだ?

 それだとまるで、他にも複数の候補があったかのような言い方だが。

 はたして、浜風みずちはその『お願い』を口にした。


「しばらくあんたの家に泊めてほしいの」

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