10.Variable
僕は一体、いつから間違えていたのだろうか。
自分の行いを償おうとした時から?
檜扇衵から仕事の依頼を受けた時から?
ゴーストライターとして生きることを決心した時から?
父の小説の続きを書こうとした時から?
文章の魅力に惹き込まれた時から?
どこまで遡っても、僕がより良い未来に辿り着いていたイメージが沸かない。
――それとも、生まれてきた時から僕は、間違えていたのだろうか。
鼠若名として生きるべきでもなく、ゴーストとして生きるべきでもなく。
僕は――死ぬべきだったのだろうか。
『知らないっ!』
そんな大声と共に、マンションの一室から部屋着姿の少女が飛び出す映像が、一昨日の晩からあらゆるSNSや動画サイトで出回っている。そこに映る背景は間違いなく僕のマンションのもので、そこに映る人物はどうしようもないほど、波乃まにまだった。
炎上事件の渦中にあるVtuberグループ【ミス・ノンフィクション】のメンバーの一人、波乃まにまそのものの容姿をした少女が悲痛な叫び声を上げながら、形振り構わず走り去っていくその映像は、瞬く間に広まった。
あのバーチャルYoutuberは本当に実在したのかとか、仮に演者本人だとして、どうしてその容姿がキャラとここまで酷似しているのかとか、この少女は何から逃げて駆けているのかとか、この家は誰のものなのかとか。
あまりにも多大な考察の余地を残した映像は空論に空論を重ねられ、現実とは全く異なるところに帰着しようとしていた。
『バーチャルYoutuber波乃まにまは騒動後、一般男性の家に逃げ込んだものの、同じグループの浜風みずちと異性間のトラブルに発展。そして取り合いに負けた波乃まにまが家を飛び出す瞬間を収めたのが、この映像である!』
胡散臭いシルクハットを被った男のバーチャルYoutuberが、自分の動画内で熱く語っている。動画の再生回数は百万回。この事件に興味のある多くの人が、一度はアクセスしているのだろう。
『そもそも炎上事件自体もこの異性トラブルが原因で、どちらかが相手に攻撃する目的で会社の内情をリークした可能性が高い。その問題の男については現在調査中だが、何やらこの男、他複数に渡るVtuberグループの中の人と関係を持っているようだ。その中には、あの【XYZ】や【ハロー・ライブ】も含まれているらしく――』
「あんた、そんなつまんない動画、何度も見るもんじゃないわよ」
ばたん、と僕のノートパソコンを無造作に閉じながら、浜風が言う。
「全然、一つも正しいこと言ってないんだから、そんなやつ」
「……何ていうのかな」
画面を閉じられて脱力した僕はソファで寝転び、浜風のことを見上げた。
何だかいつもと逆の構図だ。
「自分の知らないところで、自分の知らない奴らに、自分たちのことが勝手に解釈されていくのがこんなに不愉快だったなんて、知らなかったよ」
悪意がある者も、そうではない者も。
誰も彼もが好き勝手に自分のことを、まるで物語の感想でも話すかのように自由に語る。
浜風たちはこんな群衆に晒されながら生きてきたのか?
価値観が僕なんかとは異なるのも頷ける。こんなの、正気じゃやっていけない。
「はん。こんなの気にする必要ないわよ」
浜風は柄にもなく優し気な口調だ。
「そいつらは、炎上を盛り上げたがってるやつの意見に同調してるだけで、自分の思想なんてないんだから。あんたに明確な悪意を持ってるわけじゃない」
「まあ、そうなんだろうけどさ」
Vtuberの視聴者の多くは、特定のVtuberの意見に右に倣えで賛同しているだけだ。
「悪意があるのは、その男だけよ。たしかそいつ、マイのとこと同じ所属なんじゃなかった?」
「そうなのか?」
今回動画を上げているのは、個人で活動していると自称しているバーチャルYoutuberなのだけれど。炎上事件を中心に取り扱うVtuberなんて、個人で管理していると決めつけていた。
「でもたしかに、そう考えると合点は行くんだよな。前に集まっていたメンバーに関係者がいないと知らない話もしているし、【XYZ】や【ハロー・ライブ】には触れておいて、水無の【ディープ・シー】には言及していないし」
フリーの立場のふりをして、自分の所属組織に利益のあるような発信をしているということか。競争相手のグループの悪評を無関係な立場から流すことができれば、それは帰属組織の多大な利益に繋がる――白縫さんたちがやろうとしている【プロジェクト・エンティティ】も、そういうイメージなのだろう。
「……あんな親身に相談に乗ってくれた水無が、お前たちを騙すつもりだったとは思いたくないんだけど」
「騙すつもりがあったかどうかは、また別だと思うけどね。善意で第三者に広げた話が、そこから一人歩きをした可能性だってあるわ」
「……それもそうか」
この動画の内容からだけで決めつけるのは尚早だ。それこそ、今、羽野の映像を見て面白がっている連中と同じことになってしまう。
「それにこの映像自体は、一般人が撮ってたわけだし。隙を見せた私が悪いとも言えるわ」
「いや、それは付け込んだ側が百パーセント悪いだろ」
だけどこの騒ぎの発端になった映像が撮られた原因自体は、たしかにこちら側にもある。
浜風がクラウドファンディングの支援者向けに公開していたブログに散りばめられた情報から僕のマンションを特定し張り込みをしていた人が、部屋の中から聞こえてきた羽野の大声を廊下で聞いて待ち伏せし、映像を撮っていた。
そもそも前段階として、僕の家に最初に訪れてきた際の浜風の姿が目撃されていたことで、ある程度地域を絞れていたというのがあるらしいが。あんな目立つ制服で、しかもバーチャルYoutuberそのものの外見の少女が歩いていたら、人目に触れないことは難しい。
そして羽野が飛び出してきたのがどうやら一般の男子大学生の部屋だったと分かったことで、異性関係を深読みし、逆恨み的に――その映像を、流出させた。
流出元がTwitterだったうえ、捨てアカウントでもない常用のアカウントだったから、その辺りの背景は浜風によって解析されていて、白縫さんが対応に当たっている。
「でもあの人、クラウドファンディングの時、高額支援をしてくれたわけじゃない。私自身のことを浜風みずちだと思っていてくれていたから、何だか悪い人だとは思えないのよね」
「絆されるなよ、そんなことで」
気丈に振る舞ってはいるけれど、浜風も相当参っているのかもしれない。
「お前自身が自分の理想と一致しなかったら否定するんだろ。そんなやつ、ファンでも何でもねえよ」
「だけど私は、そういう人をターゲットにしていたのよね。その人たちが理想とする姿を提示し続けて、浜風みずちは成立していたんだから」
「……それは」
その通りかもしれないが。
「結局のところ、自分がどんなやつかって、他人が決めることなのかしらね。私がどう言ったところでみんなが求める浜風みずちは私じゃなかったし、あんたは女をとっかえひっかえする極悪人だし」
「極悪人って」
「異論ある?」
「……ない」
犯人が確信を持ったのは、部屋から響いた羽野の悲痛な叫びを聞いたからだという。
僕が彼女の気持ちも考えずに不用意なことを口走ったばかりに招いた結果だ。
つまり、浜風たちのことを考えて僕が行動しようとしたから。
ゴーストであろうと生身であろうと、文章であろうと言葉であろうと、僕のすることは他人に悪影響しか及ぼさない。
そんなやつ――存在していいのだろうか。
「かな兄、連絡が来てるんだけど繋いでいいかな?」
と。
僕と浜風の間に割って入ってきたのは、エンティだった。
アプリは起動していなかったはずなのだけれど。連絡が来た場合は通知が来るのか。LINEとかなら驚きはしないんだけれど、AIにそれをやられると、何だか自分の端末内で好き勝手されてるかのようで不安になるな。
「まさか羽野からか?」
「いんや、ママからだよ」
「白縫さんが?」
このタイミングで僕に何の用件だ?
「繋いでくれ」
「あいあーい」
エンティがそう言うと、すぐに音声が切り替わる。
『そこにまにまはいるかい?』
挨拶もなしに唐突に、白縫さんは言う。
口調は軽やかな調子だが、何やら焦っているような感じだ。
「いや、いませんけれど……」
『だとしたら、悪いけど探してくれないかな。大至急で』
「いきなりかけてきて何なのよ、くるみ」
炎上事件以来初めての会話だろうに、浜風からは気負いが感じられない。
だけど白縫さんの次の言葉を聞いて、瞬く間に空気が張り詰めた。
『まにまは、自殺をするつもりだ』
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