5.Viable

 三十万円。

 それが、Live2Dと呼ばれるバーチャルYoutuberの2Dモデルを制作し、配信に必要な機材を買い揃えるための目標金額だった。

 Youtubeの収益化システムでは、動画についた広告で得られる収入が1再生0.5円前後だと言われている。また、視聴者からの投げ銭、スーパーチャットは、投げられた額の七割程度が配信者に入るんだとか。


「――だから、動画で言うと六十万再生、投げ銭でなら四十五万円分ぐらいかしら? 私がするべき労働の量は」


 バーチャルYoutuberの歴史書があれば間違いなく大見出しで乗るような会合が終わり、羽野を含め参加者が退散していった部屋の中、リビングで一人寛ぎながら、浜風は言う。


「……言っておくけど、僕を強請っても無駄だからな」


「大丈夫、そこまであんたを頼る気はないから」


「ならいいんだけど」


 三十万円。まあ、どうしてもと言われ、恐喝されれば出てこないこともない額ではあるが、だからといって余裕で払える額かと言えば、そうではない。どころか、もしそうなったら、僕は実家に出戻りしなければならないかもしれない。

 実家――つまり、僕の父親の家に。

 それだけはどうしても避けたい事態だった。とはいえ、実家があり、親がいて、そこに帰るか帰らないかで悩むだなんて、浜風と比べたら随分と温い悩みだが。


「実際問題、どうする気なんだ? 何かアテがあるのかよ」


「いや、アテなんてないけど。私って、何ができるのかしら?」


 モラトリアムのようなことを言いながら、ソファの上でだらける浜風。

 元々はお金を稼ぐ手段が限られているから配信をしようという話だったのに、今度は配信をするためにお金が必要だというのだから、とんだ自家撞着だ。


 あと、スカートでそんな無防備な姿勢になるな。

 浜風が持参した荷物の中には、制服もどきの衣装しかなかったけれど――同じデザインの服だけが何着もあったけれど、新しい服を買うのにも、お金は要る。

 寝る時だけは僕のシャツやハーフパンツを貸しているが、そんな爛れた関係も、いつまでも続けるわけにはいかない。

 根本的な話として、同棲生活がいつまで続くのかという問題もあるが。


「……モデルでもやればいいんじゃないか?」


 溶けたアイスよりもだらけた姿に目を背けながら、僕は言う。


「はん、ちょっとは面白いけどね。2Dモデルのために、モデルをやるなんて」


 そんなふざけたことは言っていない。真面目なアドバイスのつもりだったのだけれど――浜風の容姿は、だからそれなりに良いのだけれど――自己評価の著しく低い浜風には、ギャグにしか聞こえないようだ。

 その点について僕から深く言及すると気まずさがあるので、それこそさっきの女子会で、誰かが提案してくれたら気楽だったのだが。

 バーチャルYoutuber同士、互いの実生活、その最たるものである実体の容姿に対しては、なかなか踏み込みづらいのかもしれない。

 せめてグループ内で解決してくれればよいのだが、浜風以上に、羽野も歪な自己認知をしているようだし、叶わぬ願いだ。


「私にできることなんて、せいぜいお喋りぐらいのものなんだけど――キャバクラとか?」


 本人は適当に思いついたことを挙げているだけなのだろうけれど、事件に巻き込まれた結果、辿り着くのがキャバクラなのだとすると、本格的に薄幸の少女っぽい。


 ただ、バーチャルYoutuberは界隈の外――詳しくない人たちには面白がって『バーチャルキャバクラ』と呼ばれている事実もある。

 女の配信者が、媚びを売るかのように甘い声を出し、対価として投げ銭が支払われている様は、たしかにキャバクラ的と言えばキャバクラ的なのだけれど。

 特にバーチャルYoutuberに関して言えば、男性よりも女性のほうが需要があるという側面もあるし――もちろん、投げ銭をしている人が全員、そんな接待目当てとして金銭を支払っているわけではないということは、触れておかなければならないが。


「お前の視聴者は、そういう雰囲気じゃなかった気もするけど」


「そうね。その辺りは、えんじの得意分野だったわよね?」


「……まあ、そうかな」


 頷きに躊躇いが出たのは、脳裏に夜内さんの姿がよぎったからだ。

 幼児の姿の夜内えんじに対し保護者的立ち位置から金銭援助を行っているというのが視聴者の自己認識なのだろうけれど、その実、人妻相手にキャバクラ的活動に勤しんでいたのだと思うと、如何わしさが増してくる。

 こんな視点、実際に演者と会うことがなければ持ちようがないのだが。

 だからこそバーチャルYoutuberの中の人は、絶対に人目に触れてはならないのだろう。


「夜内えんじというか【ハロー・ライブ】全体が、その分野に秀でているんだよな」


「ホロライブだもんね、元ネタが」


「ねえんだよ、そのグループは。この世界観には」


 何てことを言うんだ、こいつは。


「【XYZ】も、にじさんじなわけでしょ? Zをズィーって読むのは、レトリックってほどでもないけど。グループごと、運営会社ごとに特徴があるっていうのは、まあ、分かりやすくはあるわよね」


「待て待て待て待て、マジでその辺にしとけって」


 お前は炎上回避のための教育を会社から受けているはずだろうが。

 にじさんじとかホロライブがこの世界にあったら、色々とおかしくなるんだよ。名前を出していない四天王ぐらいまでが、ぎりぎりのラインだろうが。


「そんなメタネタを軽々しく放り込むトーク力じゃ、キャバクラも無理だろ。配信外で何でそんな尖ってるんだよ、お前は。もっと当たり障りないキャラだっただろ」


 良くも悪くも、バーチャルYoutuber浜風みずちの個性は、コメントの真意を読んだトーク力に集約されていて、キャラクター性自体は丸かったはずだ。こんな攻撃的なやつ、人気になるはずがない――とも言い切れないのが、Vの面白いところではあるが。


「猫も被ろうと思えば被れるなら、接客業もできなくはないんだろうけれど」


「そう簡単な話でもないんだけどね。嫌われないように、正体を見破られないようにっていう意識があったのは、マイが言ってた通りなんだけど、配信中の私が、じゃあ演技をしていたのかというと、そんなつもりもないし」


「うん? いやでも、あれが素ってわけじゃないんだろ?」


「素――っていう感覚が、私には分からないのよ」


 浜風は言う。


「家族といる時と、友達といる時と、仕事をしている時とで振る舞いが違うのって、当たり前のことなんじゃないの? その中のどれが本当でどれが嘘かなんて、みんな、どうやって決めてるのかって、ずっと疑問なのよね」


「…………」


「家族といる時のことを指して素だっていう人も多い気がするけど、だとすると私には、素なんてないってことになるわね」


 そんなことは、考えたこともなかった。


 Vtuberの配信では、演者がロールプレイから逸脱した言動をした際、それを配信者の素のリアクションだと言って、ありがたがる風潮がある。キャラを演じるのがVの魅力であると言いながら、そんな素のリアクションでも喜んでしまうから、Vのファンは全肯定だとか思考力を削がれているだとか揶揄されてしまうのだろうけれど。

 特に【XYZ】の演者は、ロールプレイを実質的に放棄していることも多い。

 だからといって、生放送中の彼女たちの言動が全て素なのかと言えば、そうではないと僕は思っていた。浜風が言うところの、仕事中の振る舞いでしかない。


 だけどその仕事中の振る舞いが、絶対に素ではないと誰が言える?

 友達といる時にだって、面白さや楽しさのために細かい不満を押し殺したりするし、家族といる時には逆に思い切りはしゃいだりしないように、変に大人ぶってしまったりとかもするだろう。人によっては友達といる時こそ大人ぶったりもして、その辺りは様々だが。

 相手との関係性によって自分の振る舞いを変えるというのは人間が当たり前にやっていることで、そうなると今まで気軽に使っていた素という表現は、真意が曖昧になってしまう。


「悪いけど、僕もよく分からなくなってきたな」


「ふうん? あんたたちみたいな、真っ当な人間なら分かるのかと思ってたけど」


 僕が真っ当かと言われると異論はあるのだけれど、浜風の生い立ちに比べれば真っ当か。


「でも、それらしいことを言わせてもらうと――何にも憚られることなく偽りのない意見を言える状態は、いわゆる素に近いんじゃないのかな」


「はん、それっぽいことは言うわね、さすが文章屋」


 浜風は納得しているんだかしていないんだか分からないようなことを言う。

 これはどちらかと言えばゴーストライターとしての資質なのだけれど。

 他人を騙り、偽りのない他人の振りをするのが仕事の僕には、浜風以上に、素がない。


「偽りなく、ねえ。それができるのが家族の前なのか、友達の前なのか、あるいは仕事中なのかが人によって違うから、茫洋として見えるのかしら」


「実際には、それぞれの前で、素になる瞬間っていうのはあるんだろうけどな。素と、そうじゃない状態を行き来しているだけで」


 そもそも素で振る舞える状態が、状態として良いのかというのも別の話だが。

 みんながみんな、何にも遠慮なく行動していたら、社会なんて簡単に崩壊するだろうし。


「どっちにしろ、私にはあんまり関係なさそうな話ね。まにまたちとくるみとぐらいしか、周りに人間がいないし」


「……やっぱり他の社員とは、仲が悪かったのか?」


 羽野が言っていたことを思い出す。

 灰皿にも三角コーナーにもされていないとは、言っていたけれど。

 そんな醜悪な修辞が咄嗟に出てくるぐらい、悲惨な状況だったのだろうか。


「いや? 全然、仲が悪いとかはなかったわよ」


「ないのかよ」


「一方的に嫌われてただけ。私は、向こうの名前も知らなかったし」


「…………」


 それはそれで、間違いなく悲惨な状況だ。


「でも、座っている時に椅子をわざと蹴られたり、聞こえるところで陰口を言われたり、ロケの時に私たちにだけ昼ご飯が用意されてなかったりするぐらいで、大したことはされてなかったわね。ああ、もし学校に通っていたら、こういう扱いされていたのかなって感じ」


 明るみに出ていないだけで、かなりの問題を抱えていた。


「……会社の顔は、ほとんどお前だっただろ? 何でそんな扱いになるんだ?」


「顔だったからでしょ。私みたいなどこの馬の骨とも知れない――ふっ、どこの馬の骨とも知れない私たちを立てなきゃいけないんだから、不満も溜まるでしょ」


 慣用句があまりにも自分に合っていたからか、浜風は自嘲気味に笑いながら言う。


「うちのスタッフって、他所と比べても優秀だったみたいだし。技術力とか、学歴とか? それなのに、何の技術もないどころか、身分証明書すらない人が上にいたら、嫌だと思うのよね。というか、そんなようなことを毎日毎日、聞かされていたわ」


「……そんなところにお前はずっといたのか?」


「バーチャルYoutuberになる準備期間も含めたら、実質三年ぐらい? でも、くるみに拾われる前の施設に比べたら全然マシだったわよ? 直接的な暴力は一度も振るわれてないし」


 あっけらかんと言ってのける浜風に対し、返す言葉に詰まってしまう。

 だけど、こいつの歪んだ自己認知の理由が、はっきりと明らかになった。家族がいないだけ、学校に通っていなかっただけでこうなるというのは、些か行き過ぎだと思っていたが。

 薄幸の美少女どころの騒ぎじゃない。行く先々に不幸が待つ少女だ。

 浜風も、そして羽野も、そんな過去を背負っていたからこそ【SHOWCASE】での扱いがマシだと感じてしまい、炎上するまで――炎上してさえも、他人に助けを求めることができずにいたのだろう。

 社員寮を抜け出してきた理由も、何度考えても弱いような気がしていたのだけれど、そういう背景があったというのなら納得がいく。


 普通の人であれば、吐き気を催すような悪辣なエピソードなのだろうけれど。

 ここで玉響のように嫌悪感を示さずに納得をしてしまう僕は、やっぱり真っ当じゃない。


「そういう事情なら、心機一転、就職活動に打ち込むのも悪くはないんだろうけどな」


「そうね。ただ、このまま就職しようとしても、お祈りされ続けちゃうから。祈られ過ぎて巫女になっちゃったらどうしよう」


「それを言うなら現人神だろ」


「どっちも腋の開いた服を着てるから、こんがらがるのよ」


 その基礎教養の身に付け方こそ、どうかと思うが。

 最早ネット社会でも常識じゃないだろ、東方projectは。


「でも、キャバクラも無理ってなると、そうね――身体を売るぐらいしかないかしら」


 冗談めかすこともなく、浜風は言う。


「身分証明が必要ない、むしろ不要な仕事なんて、それぐらいしかないんじゃない?」


「……たしかにな」


 何が『たしかに』なんだ? と後から思うが、僕の口を自然についた言葉は、それだった。

 他人の言動を否定しないこと。

 自分の主張を押し付けないこと。

 ゴーストライターとして生きることを決めてから、自分に課してきたそんな心構えだけれど、この時ばかりは例外なのでは?


「だけどそれにしたって、技術は要るだろうし、素人が入っていけるほど簡単じゃないんじゃないか?」


 思うだけで、会話は自然と続けられている。だとしたら、この無意識に出る言葉こそが、僕の『素』なのか? 心構えのつもりが、いつの間にか本心になっているのか?

 重要な局面ほど、自分のこだわりを言い訳に、他人から一線を引いてしまう。

 ――言い訳? 僕は言い訳をしているのか? 誰に、何に対して?


「ううん、それもそうね。私も経験はないし。そういう方面には、最初の拾い手も、次の施設管理者も、虐待をしてこなかったし。となると、私の需要自体が疑わしいか」


「……そういうことを言うのは、よくないと思うけどな」


 強いて零れたのは、そんなありきたりな言葉だけで、浜風は「はん」と鼻で笑うだけだった。


「じゃあ、あんたが買ってくれる?」


「はあ? いや、それこそありえないだろ」


「童貞なんだから、初めての相手ぐらい好きな女の子にしたいわよね」


 くすくすと嘲るように笑う浜風。

 それも随分と古めかしい、世間擦れしていない価値観だが。

 だけど少なくとも僕が童貞じゃなければ、とっくの昔に浜風が襲われていたことも間違いない。それぐらい奇跡的なバランスで成立している共同生活だ。


「まったく、僕が童貞でよかったな」


「もう隠そうともしなくなったわね」


「一応――働かなくても稼ぐ手段なら、あるぞ」


 これ以上、浜風に自由にさせているといつまで経っても生産的な話ができないと思い、僕は言う。生産的ではないどころか、あまりにも退廃的な内容に耐えられなくなったのだが。

 言っている台詞は、怪しいビジネスの勧誘のようだけれど。


「一応、聞いてあげるわよ。言ってごらんなさい」


「何で貴婦人になってるんだよ」


「働かなくても暮らせる人のイメージで?」


「言われば分かるけども……いや、そのイメージで構えてるところ悪いけど、そんないいご身分じゃないぞ?」


「だから、言ってごらんなさいって」


 どうしてこっちから歩み寄ったら、上手うわてに出られるんだ。

 釈然としないながらも、僕は言う。


「クラウドファンディング」


「……とは?」


「何で知らないんだよ、知らないわけがないだろ」


「もちろん知っているわ。知っているうえで、説明してごらんなさいと言っているのよ」


 貴婦人の入りのせいか、どんどん高飛車になっている。こういう小芝居はロールプレイ的で、バーチャルYoutuber的ではある。


「クラウドファンディングだって、相当バーチャルYoutuber的なんだけどな」


 そう前置いて、僕は言う。


「すげえ砕いて言うと、事業に対する投げ銭みたいなものだな。事業者が、ある物事をする際に大衆に寄付や投資を求める仕組みで、今回の場合は、お前が2Dモデルを作りたいっていう提案をして、それに賛同してくれる人にお金を払ってもらうという形だな」


 これは本当に砕けた言い方だが、しかし要点は押さえているはずだ。

 実際、バーチャルYoutuberが活動する際には、そんな風にクラウドファンディングで集金を行い、資金を賄うこともある。それも大抵は目標金額を遥かに上回る集金ができて、失敗している事例は少ないぐらいだ。


「ふうん……でも、それって結局、机上の空論じゃないの? 私に投資しようと思ってくれる人がいるかどうかが肝心なんでしょ?」


「いや、この場合はバーチャルYoutuberのファンに対して、浜風みずちとして――浜風みずちの演者としてアピールすることができるから」


「……ああ、そういうこと。2Dモデルを作るための支援が欲しいという募集をかけた時点で、対象がVの視聴者に絞られるのね」


 この辺りの理解の早さはさすがだ。一度要領を掴めばしっかりと話についてくる。


「そう、モデルなしで配信をする場合よりも、より、お前の土俵で勝負できるんだ」


「それなら浜風みずちのファンに届くだろうから、支援を受けやすいってわけね」


「ああ。ただ一つ、この方法の問題点があるとしたら、会社と完全に対立状態になることだな」


 だからこそ、最初の最初、浜風がYoutubeの収益を目当てにしていた時には、提案しなかったことだ。会社の内部事情を知り、浜風に対立を避ける理由がなさそうだったから、考慮できる手段である。


「それぐらいだったら、どうってことないわ」


「まあ、そう言うよな」


「このままの暮らしを続けることに比べたら、問題なんてないわよ」


「そこまでお前に不遇を強いている気はないんだけど」


「違う違う、私がじゃなくて、あんたがよ」


 足で僕を指さしながら、浜風は言う。 

 だから、パンツが見えるんだってば。


「私はこれでも一応、申し訳なく思ってるんだから。長居するつもりはないわ」


 どういう心境なのか、少し嬉しそうに浜風は言う。なんだろう、何か機嫌が良くなるようなきっかけがあったのか?

 働かずにお金を稼げるのが嬉しいのかもしれない。だとしたら随分と俗っぽいが。

 ともかく。


「……そう思ってるんだったら、是非もないよ。そしたらクラウドファンディングの案で行くのか?」


「そうねえ。実際、他に選択の余地もなさそうだし」


「だったら――」


 と、僕は一旦浜風から離れ、自分の部屋からノートパソコンを持ち出してくる。


「あんた、何台パソコン持ってんのよ」


「お前に奪われたのも含めて、四台。僕のゴーストライティングの必需品でね、できるだけ、作家自身に作業環境を寄せたいんだよ」


「へえ、なんだか格好いいわね」


 僕が協力的になったせいか、そんなおべっかを使いながら、画面を覗き込んでくる浜風。


「クラウドファンディングにはいくつのパターンがあって、完全なる寄付を募る場合と――こっちがメインなんだけど、支援をしてくれた人に何らかの対価を渡すパターンがある」


 言いながらタッチパッドを操作し、クラウドファンディングの情報サイトを開く。


「こんな風に、実現したい目標と必要金額、支援者にどんな見返りがあるのかっていうのをまとめて書くんだよ。逆に言えば募集に必要なのはそれぐらいかな」


 問題は、浜風がどんな見返りを用意できるのかだろうか。

 お金がないのと同様の理由で、支援者に対して魅力的な見返りを設定するのはなかなか難しい。目指すものが2Dモデルの作成、Vtuberデビューなのだから、それに相応しい特典というのもあるにはあるが。


「そうだな――お前の場合は、見返りはオリジナルボイスとかになるのかな?」


 バーチャルYoutuberの収入源の一つに、ボイス販売というものがある。

 イベントやシチュエーションに合わせたシナリオを描き、その朗読をした音声というのが主で、他には目覚まし時計に使えるものや、パソコンのシステムボイスなど、需要は多岐に渡る。

 ボイス販売の良いところは元手がタダで済むということで、今の浜風が特典として提供するのには相応しいだろう。

 そんな風に思っていたところで。


「この下のほうのやつは?」


「下?」


 言われて視点を移すと、金額や目標の項目の更に下にある備考欄があった。


「ああ、これはお気持ち欄だろ。私はこんな事情でお金が必要なんです、でもこういう事情でお金を稼げないので助けてくださいとか、そういうことを書く欄だな」


「でもこれ、みんな、嘘ばっかりよ?」


「え?」


「本当は支援がなくても実現できるぐらいのお金はあるのに、まるで一円もないみたいな言い草で集金して、結局、本来達成できないクオリティで仕上げようとしたりとか、そんなのばっかりじゃない」


 一瞬、浜風が何を言っているのか理解できなかったのだけれど、そうだ。

 浜風みずちの個性オリジナル――文章からの心理分析。

 情報サイトにあるような無機質な文章からでも、読み解けるのか。

 ……だとすると?

 何か思いつきそうな気がしたが、目の前のことを考えるのに手一杯で、その閃き以前の思考は、脳の奥に引っ込んでしまう。


「まあ、この欄は同情を買うためのものみたいなところがあるからな。一千万円持っている人が一億円稼ごうとしているよりは、一円も持っていない人が十万円必要としている時のほうが、財布の紐も緩みやすいだろ」


 言いながら、しかし、バーチャルYoutuberへのスーパーチャットはその限りでもないなと思う。明らかに自分より稼いでいる配信者に対して、アルバイトで必死に稼いだお金を投げる感情だけは、一切共感できない……。


「つまりこの欄は、嘘でも構わないってわけね?」


「実際、構わないんだろうけど、人聞きが悪すぎるだろ」


 ちゃんと見返りさえ払えば、細かい欺瞞は見逃されはする。

 ただ、クラウドファンディングにはそれなりの割合で、目標金額に達成しなかったからと、その時点まで投資された額を返還することなく持ち逃げするという、ほとんど詐欺みたいな形態もあるのだけれど。


「ふうん――なるほどね」


 にや、と浜風が笑う。


「つまり、情緒的で情感的な、人の同情を誘うような文章を書けばいいのよね?」


「……そうなるな」


「そしてその執筆を――ゴーストライターに頼んでも、いいのよね?」


 こういう時の浜風が、まるで突拍子もないようなことを言い出すことはそろそろ予想できるようになったけれど、とはいえその内容は、まるで予想もしていなかった。


「僕に書けって言うのか?」


「何よ、そんな意外そうにする? ゴーストライターにするには普通のお願いでしょ」


「それは……」


 そうだけれど。

 何故か浜風を仕事相手としてまったく想定していなかった。


「家に泊めてほしいよりかは、随分とまともだけどさ。でも、ゴーストライターを何か勘違いしてないか? 使わないでいい時は、僕なんて使わないに越したことはないんだよ」


 僕に依頼を持ち込んでくるのは、締め切りに追われたゲームシナリオライターや、不得手な分野の取材を頼まれたニュースライターが主だ。それと何本か、スランプになった作者の代わりに続編を書いているシリーズも存在するが。

 僕以外の話となると、ベテランのライターが受けた仕事の一部をデビュー前の見習いに担当させたり、プロのスポーツ選手の啓発書をまるまる書いたりしていると聞くが、ゴーストライター業はその性質上、同業者同士の繋がりもないし、考えてみれば僕でさえ、実態はよく分からない。


「でも、今よりいいタイミングって、私には思いつかないわね」


 だってそうでしょ? と浜風は言う。


「こんなに嘘に塗れたネット上で、私が浜風みずちであると証明して、かつ視聴者からの出資を集められるような文章をあんたなら書けるんじゃないの?」


「お前が自分で書けるだろ、それぐらい」


「はん、何よ。自信がないの? 本物よりも本物らしい文章を書く自信が」


「本物よりも本物らしい文章だって?」


 そんな質問、答えは決まっている。

 そんなものは、何よりも簡単な依頼だ。

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