ラジオデイズ2


今朝の仕事を終わらせ、ミーティング兼朝食の為に二階へ降りるとダイニングテーブルには絵本を開くねねの姿があった。

寛いでいる姿に、路傍はひとまず安堵する。


「おはようございます」

軽いジャブ代わりの挨拶に、ねねはおっかなびっくりしたのか肩を竦め「おはようございます」と小さい声で答える。

「さくらさんもおはよう。昨日は急に呼び出してごめんなさいね」

「いえいえ、お気になさらず」

すぐ支度しますね、とシンクに向かうさくらさんを引き留め、自分でしますよとテーブルの端に立つ。

「ねねちゃん、いいかな?」

「はい」

「私は、これからここで仕事のお話をするから、あちらの大きいテーブルで絵本を読んでもらっても良いですか?」

「うん、あの」

「うん?」

「アオパパしってるの?」


露骨に顔に出たのか、ねねがビクッと身を強ばらせたので路傍も慌てて大丈夫!とすぐ言い添える。


「誰から聞いた?」

「ロボちゃんのラジオ」

「聴いたの?」

ねねでなくさくらさんに問いかけると「いけませんでしたか」と眉を垂れられてしまったので慌てて否定し、ちびっ子の疑問視に向き合う。


「あーのね……知ってます。昔、一時友達でした」

「おともだち」

「今は違いますが、だから知らない訳では無いのです。もう久しくこちらからは連絡していない」

「きらい?」

「……」


分からない。

アオトの事になると、言葉にならない感情が腹の底を渦巻く。自分の青臭さ若さ至らなさを、信じたかったものを、限りなくドロドロとした薄汚い感情を想起させるもの。

それが久夛良木青人という存在。

だが、それは目の前の児童には何も関係ない。


「……わからない、な」

「そうなんだ」

「もういいかい?私も食事の支度をしないと」

話を無理やり切り上げると、冷蔵庫からハーフカットされた三つ切食パンと冷凍のコールスロー、チューブこし餡を次々手掴みしながらふと、ああそうだと路傍は思い出す。

「パン、どうでした?分厚すぎなかった?」

「おいしかった!」

「喉につかえたりしなかった?ンガググッって」

「ならなかった!」

「……ん。なら厚切りだけに変更しとこうか」

食費かさむなぁ、と思う一方、だがわかるわかるぞと納得しかない。食の嗜好が近いようなら助かるとも。路傍は厚切りトーストにこし餡ペーストとバターをこってり塗りたくったクメダコーヒースタイルの朝食が鉄板メニューであり至高であった。朝に米飯食べない神主とかいいのかね?とは思いつつも、自宅の朝で無ければ良かろうなのだ!と結論は変わらない(自宅では自重して昼に食べていたが)。好きなものは好きなんだから仕方ない。

という訳で今朝のドリップコーヒーもクメダブレンドである。これに牛乳を注いでカフェオレにしようと、電気ケトルに水を注ぎセットしていると。


「それなに?」

ねねの指差した先には、手にしたチューブ。

「これはこし餡ペーストですが」

「こしあん」

「食べますか」

スプーンにひとさじ分絞り出し差し出すと、ねねはおずおずと手に取り口に運び。

「おいしい!」

モグモグしながら満面の笑みを浮かべた。

クソ、可愛いなと路傍は朝から敗北気分である。

「これ、たべるのロボちゃん」

「パンにつけて食べます」

「ねねもたべたい!」

「……なら、明日はそのように」

さくらさんお願いしますね、と頼む一方で、こし餡ペーストのチューブも追加注文せねばと嵩む出費に朝から溜息が零れた。



御堂坂家での日常は、児童一人が加わった以外にさしたる変化もなく過ぎていった。路傍がダイニングテーブルでタブレットを傍らに仕事の打ち合わせ兼朝食を摂る間、ねねは大人しくリビングで絵本を広げて黙読している。お読みしましょうか?とさくらさんに訊ねられると、いつしか彼女の膝上で絵本の朗読会が始まる。


「路傍ちゃん、和むねぇ」

「いいですよね、絵本」

いやそうじゃなくて、と田児は画面の向こうで手を振る。

「いつの間にあんなシッターさん雇ってたの?」

「昨日からだけど?」

「いや、この状況で何処から」

「徳島から」

「冗談はヨシアキさんだぞオメー」

「狐の抜け道使えば楽勝」

「まーーーたそうやって霊能者アピールするんだからー!ロボちゃんそういうとこだよー!?(まーーーたガチ霊能案件かよぉ!!ビビるわ!)」

「田児さん正直で良いよね、そゆとこ(笑)」

すんなりこちらの事情なりを察してくれるのもあって、田児の事は信頼している。冗談めかした建前は元より、腹の底では正しく理解してるし。

オカルト関係を頭ごなしに否定しない相手とは会話をしても居心地が良い。

「じゃあさじゃあさ」

「うん?」

「……その、シッターさんって、人間?」

「……人間に見えてるんだね?」

もぉー!と田児が画面の中でビビり散らかす。

「俺オカルト苦手だって知っててやってんよね!?」

「あーハイハイごめんごめんってばアハハ。それじゃ、まあ、ナイショって事で」

「もぉー!!(ガチじゃーん!!)」

反応があんまり楽しくてゲラゲラ笑っていたら二度怒られて、会議はダラダラと雑談に続いた。



その後は、ねねの雑務を済ませてから正午まで洗濯の片付けと掃除。

ガレージと倉庫になっている一階部分以外、居住空間の二・三階の部屋全てに掃除機がけをする。居場所は常に清潔に。徳島時代からの生活ルーティンであり、掃除は全てにおいて基本だ。一時間かけて掃除機がけとワイパーでの埃払いを済ませるとゴミ箱の中をまとめて袋詰めし、週末の回収車を待つ。とはいえ、昨日まで一人暮らしだった我が家のゴミは少ない。コンポストもあるから、三階のミニ菜園用堆肥も事欠かない。数日は食事量もゴミも増えるだろうが、まぁ許容範囲だろう。

朝一番で既に回しておいたドラム型洗濯機から乾燥済の洗濯物を取り出し畳むと、午前中の仕事完了だ。今日はねねの様子見と慣らしもあったからさくらさんには子守りを任せていたが、明日からは幾らか手伝ってもらおうと思う。


午後から、ねねの初リモート保育に参加する。

『初めまして、ねねちゃん!保護者の皆様もこんにちは!』

保護者の皆様、と来たか。

このチャンネル設定も「保護者の皆様」は一苦労。

区役所指定の児童教育用専用チャンネルにアクセスし、専用コード入力後、個人チャンネル設定に移行する。昨日渡されたねねの個人情報入力と、保護者である私の個人情報、その他細々とした質問に答えれば、ねね専用の教育カリキュラム番組の配信設定完了だ。


こんにちはー!と、はにかむねねの代わりに挨拶を返し、後は担当保育士によるリモート授業の簡単な説明と一日の流れを聞く。午前中と午後の二回、指定時間にテレビの前にお嬢さんをセットしておくだけの簡単なお仕事。

途中、昼寝やおやつの時間も設けているので、それは各家庭に配送される「保育専用宅配キット」の指示書に従って、曜日ごとに小分けにされたおやつを出したり、指定の絵本を出したり、タオルケットを敷いてやったりと、時間割表に記された指示に従って欲しいとのこと。まあ、リモート授業には限界がある。日中二回、少しの間でも子どもが手を離れる時間が出来るのは有難いが。

割と慣れるまで手間がかかりそう、というのが初見の感想。

……重ねて己に言い聞かせるが、長居させる気はないのだ。あくまで一時的、一時的だ。


『じゃあ、ねねちゃん!明日からもよろしくね!』

画面で先生が手を振るも、ねねは俯いてうさちゃんをだっこしている。

「ねねさん、手を振り返してあげてください。先生は、ねねさんがキチンとお話が聞けているか知りたいのです」

ねねはチラッとこちらを見て、小さく指先をフリフリした。

『はーい、ありがとうねねちゃん!じゃーねー!』

青バックのテロップに画面が切り替わり、今日の授業が終わるとねねは大きく息をつく。

『(ちゅかれた)』

せやろな、と思う。

が、私も彼女も、しばらくはしんどいことだらけだ。

せめて彼女が病気にならないよう(特に虫歯には気をつけねば!歯医者なんぞどこも開いてないだろうから)注意を払わねばならまい。さくらさんにも、思ったより長く住み込みをお願いしなくてはならないか……男の一人暮らしに舞い込んだ女児、着替えや風呂はどうしても女性の助力がなければ無理だし。先行き不安でしかない。

「すみません」

「はい、どうしました?」

「……ごめんなさい」

「何がです?」

「……ねねが、いるから」

「いるから?」

「えっと……」

誤魔化すというより、言葉が見つからないようだ。

顔に出ていたかな?と反省する。


「大丈夫です。何も心配はいりません。勝手に物に触らない、勝手におやつやご飯を食べない、分からないことがあれば私かさくらさんにたずねる。このルール、守れますね?」

面食らったのか、目を丸くすると「はい」とねねは頷く。

「なら、何も問題はありませんよ。君のお母さんのお迎えを待ちましょう」

「……はい」


『(ママちゃん来ないもん)』


露骨に、だがハッキリと霊言が聞こえて背中が強ばる。西園寺霧香め、自分の娘にどんな仕打ちをしていたのか。悲しい断定に心が痛む。


「ロボちゃん、あの」

「ん?ああ、何でしょう」

「ロボちゃんは、いつもごはんおそい?(いっしょにたべたいな)」

あ〜……と、盲点をつかれて変な声が出た。

「すみません、月曜日から金曜日はいつも遅い朝ごはんになりますね。朝からお仕事なので」

「ラジオ?(かっこよかったな)」

おや、意外と好感触だったのか。

ちょっと嬉しいぞ。

「そうです、ラジオのお仕事です」

「じゃあどようびとにちようびは?(ごはんいっしょがいい)」

「土曜日は、ちょっと」

二度寝したいんだよな、と言いかけて、ねねの言葉が被さる。

「じゃあ、にちようびは!?」

「あ……はい。大丈夫です」

断る理由が思いつかず、イエスと言ってしまったが……まあ、いいか。

週ごとの配給が宅配されてくるのは土曜日午後だ。今日は金曜日。まだ中身を追加出来るだろう。


「ねねさん、リクエストはありますか」

「ふかふかパンちゃん!(パンちゃんいっしょにたべたい!ぎゅうにゅうとパンちゃん!)」

「はい、分かりました。ではそのように」

「おやくそく?」

「お約束です」


お昼は焼きおにぎりのレトルト。

最初は「おにぎり」に難色を示したものの、一口齧った途端に二口三口でモリモリッと満面笑顔で完食したことを追記しておく。

やはり日本人なら米だな、米(得意気)。



その日の夜。

「ねねちゃん。これからは毎日夜九時には就寝しましょう」

「しゅうしん」

歯磨きを済ませたパジャマ姿のねねは、意味がわからず復唱する。

「ねんねすることです。私も毎日九時に寝ています。同じ時間に寝ましょう」

「おんなじ?(いっしょに?)」

若干期待してる感じがしたが、無防備すぎると逆に心配になる。

「はい、同じ時間に、別々の部屋です」

ハッキリ言って聞かせると、目に見えてショボーンと落ち込んだ。……いや信頼しすぎだろ。もっと警戒して幼児。そんな無防備だと悪い人の的になりますからね!素直はいい事だけど!

「あー……あの、お部屋は個人個人の大事な空間ですから」

「……ねれない(ひとりこわい)」

ねねは俯いてうさちゃんをギュッとしている。

「大丈夫です。オバケも出ません。ウチはイヤシロチです、私が責任持って毎日浄めてますから!一人でチッコも大丈夫だからね!?」

「……」

うー、と短く唸ってねねは自室に入っていく。その背中を追い、ベッド上で背中を丸めたのを見てそっと布団をかけてやると、おやすみなさい、と小さな声。

「ええ、おやすみなさい。良い夢を」

祈る代わりに頭を軽く撫でて、音を立てぬように部屋を出た。



「さくらさん、お疲れ様でした」

何か召し上がります?と問うと、リビングで寛ぎ中だったさくらさんは炙った油揚げを、と恥じらいながら小声で答える。

「承知。少々お待ちを」

冷蔵庫から徳用油揚げを二枚取り出し、うち一枚は半分に切って袋に戻す。一枚はさくらさんに、半分は自分の夜食。これがさくらさんの毎日の給金である。

「はい、どうぞ」

「わぁ、ありがとうございます!」

いつ渡しても嬉し気なさくらさんに、至って普通の油揚げですよ?と苦笑する。可愛い方だ。

「いえいえそんな!坊ちゃんが焼くと何でも美味しくなるんですのよ」

「坊ちゃん呼びはいい加減止めてくださいよ?それに、味なら地元の手作りのがずっと分厚くて美味い」

食べたいなぁフィッシュカツ、とボヤく代わりにパリパリに焼けた油揚げの端を齧る。美味い。


さくらさんは上手に前足を使ってサクサク食べている。薄手の手拭いを敷いているのが几帳面な彼女らしい。食べ終わると名残惜しそうに指先を舐め、散った油カス共々器用に手拭いに包んで畳み、最後に指先を拭う。

梅婆の付き人ならぬ付き狐としては、一番優秀な彼女の助っ人は非常に助かる。

流石に児童の相手は疲れるのか、おあげとよく似た焦げ茶と黄味茶混じりの毛並みと尻尾をふよふよさせて、ふぃー、と無言でラグの上に伸びて身体を寛げている姿に申し訳なさ半分、よく伸びるなぁと感心半分。ねねが寝ないと元の狐姿に戻れない分、就寝時くらいはのびのびリラックスしてもらわねば。


「ラグの上で身体痛くなりません?新しい敷マットも、必要なら購入しますが」

「いーぇえ、これとってもフカフカで私ずっと寝転んでいたいぐらいですのよ!路傍さん、こういう肌触りが柔らかいものをよくお選びになってて、昔から目利きだと思ってましたの。狐の好みをよく存じていらっしゃいますわ」

「そりゃもう、さくらさん」


私、狐の孫ですから。

冗談みたいな口ぶりで軽口を叩くと、そうでしたわねぇ、とさくらさんも伏したままクツクツと身体を揺すった。

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