【幕間】メモリーズ1
*
『お疲れ様でーす』
後輩からの電話を受け、ひとまずホッとする。
この案件が済めば寝床に入れるからだ。
狭い自室に持ち帰って延々と残業を続けていたが、これで一区切り出来そうだ。
「お疲れ様。どうだった?」
『いやー!もう!大興奮だったっすよ!俺、冷静でいられたかわっかんないっすよぉー』
「違ぇよそうじゃなくて!子ども預けて大丈夫そうだったかって話!」
『ええー?大丈夫そうでしたよ?』
あまりにお気楽な返答に根拠は!と怒鳴り返す。
『いや、寧々ちゃんでしたっけ?会って数時間のはずなのに、アニメ観てすっかりリラックスしてましたよ。路傍さんも寧々ちゃんの食事用に早速定期宅配の追加注文されてましたし、衣類や食品のアレルギーや接し方について事細かに聞かれましたし』
「いやそうじゃなくって」
『ロリコン疑惑です?』
無いでしょ、と断言され口元が歪む。
「早計でなく?」
『問題ないっしょ。雇いのヘルパーさんまでいたんすよ』
しかも女性、と意外な返答にマジか!?と変な声が出る。
「あいつ一人暮らしじゃなかったか?つーか用意周到すぎやしないか」
『いやぁ俺もそう思ったんですよ?でも、訊いたら「実は都市封鎖の直前に、実家から家事手伝いを頼んで来てもらってた方」とか。和装のたすき掛けで気合い充分!な風情で』
「……このご時世に無いとは思うが、浮気相手の線は」
『百パー無いっすね。色気ないアラフォーっぽいおばちゃんでしたし。細くて綺麗でしたけど、あと十年若かったらなーって感じ。恋仲という雰囲気でもないし、路傍さんの事「坊ちゃん」って一回言い間違えてたし』
「あの男、坊ちゃんとか呼ばれる家柄だったっけ?」
『噂によれば警視庁のお偉いさんとも、四国の金持ちとも仲良いとか。ご実家の神社が儲かってるんじゃないです?俺の彼女情報っすけど、スピリチュアル界隈だと知る人ぞ知る、みたいな穴場パワースポットとか。四国ってば結構そういうスポット多いみたいでー』
そういうオカルトは要らん、と軽く電話の向こうを牽制する。
「それより!権力と少なからず結びつきがあるからこそ、預け先として適当か迷うんだ。何かの折に行方不明という名で始末されたりなんかしたら」
『先輩、ここ日本っすよ』
ハードボイルド小説読みすぎっすよ、とボヤかれて馬鹿!と思わず怒鳴り返す。
「場所は関係ない!もとい、個々人が閉鎖的な空間での生活を余儀なくされるようになって何年経つ?児童虐待やネグレクトの発見され辛い環境が続く昨今だからこそ、我々が危険の芽を見落とさないよう注視して気をつけなければならんだろうがよ」
『それなら先輩が行けば良かったじゃないっすか』
「馬鹿言え、こっちのが大問題なんだよ」
分かってるだろ、ともう一度怒鳴りたい気持ちを堪えると、鼻に引っ掛けた不満そうなフーン?が聞こえてきたのでブチ切れそうになる。
『んで、そっちはどうだったんすか』
「最悪だ。封鎖中の高速道を抜けようとして自爆事故起こして重体だよ。危うくトラック巻き添えにした多重事故になるとこだった」
『重体って』
「死んでないってだけだ。交通事故でICU入りする患者なんか久しぶりだと救急隊員が苦笑いしてたとよ」
だから訊いたんだろうが、と念押しするも、後輩の反応は鈍い。
『先輩』
「おん」
『多分、あの噂本当ですよ』
「どの噂」
『逆強姦』
まさか、と言いたくなるのを堪えて飲み込む。
『路傍さん、どう見ても陰キャの大人しそうな兄さんでしたし。週刊誌の報道だと、アレが一番現実味ありますって』
「お前なぁ……それこそ色眼鏡だろ」
『でも西園寺霧香の黒い噂はほぼほぼガチでは』
「そこは否定しない。だが、今の相手は違う」
『そうっすけど』
「ならはっきり訊くが。『あの事件』の首謀者濃厚な女の娘を、被害者に預けても大丈夫そうか?怨恨で、それこそ罪のない娘が八つ当たり事故死とかしないかと、俺は心配してるんだよ」
それなら、と後輩の声が引き締まる。
『支給品の学習用タブレットの充電アダプターに一つ、盗聴器仕込んであります』
「よし。会ってみた正直な感想は」
『ロリコン特有の隠そうとする素振りや蛇みたいな目付きでも無くて。ただ、逆に寧々ちゃんを過剰にお客様扱いしてる風なのが気になりました。あくまで一線引いてるという演技でのアピールなのか、西園寺霧香の娘だから過剰に警戒しているのかは、まだ微妙かなーと。性的な問題は、病院から取り寄せた診断結果やカウンセリングの内容からして現状問題ないと判断しました。典型的な精神的ED。それもあって、桜庭さんの保護者もとい婚約者を堂々と名乗れてたんでしょうね』
桜庭とは、桜庭志絵里=巷の女子中高生を中心に熱狂的な人気を誇った現役女子中学生ボーカリストのシェリー・カンパニュラの事だ。
昨年末、曽祖母の遺言で香港に「幻の曽祖父」を探しに行ったが、その際に現地で世界同時テロに巻き込まれたと見られている。事件以降、事務所にも関係各者にも一切の連絡が無いとの事で生存が絶望視されている。
「確か、十歳違いだっけか」
『そっす。だから、今年は高一のはずでした。JCからJKへのランクアップっす。見たかったなぁー』
「まだ死んだと決まっちゃいねえ」
『そっすけど。路傍さんも可哀想っすよね。相方に恵まれないっていうか。ずっとあの家でシェリーが帰ってくるの待ってるみたいで、その話もしてたんですけど身につまされたっす』
「……そうか」
もう保護施設はパンクしている。預け先が無い以上、彼にはしばらく里親を担って貰わねばならない。ならば、過剰に警戒して手放されるのも得策とは言えない。
「様子見しながら、こまめにサポートするか」
『そっすね。俺、担当しますわ』
「次回は俺も行く。やはり自分の目で見て判断する」
『だから大丈夫だと思いますけどねー。つか、先輩も会いたいだけでしょ』
「何が」
『アイリスの本体』
「馬鹿。お前と一緒にするなっての」
直帰していいぞ、と言い添えて通話を切ると、デスクチェアに大きくもたれて伸びをする。
後輩の世代は彼らの直撃を浴びた年頃のはず。
そりゃ興奮もするし多少の好感フィルターもあって然りだろう。油断せずに、だが幼子が悲しい思いをせぬように取り計らいたいと切に願う。その一心で続けてきた仕事なのだし。
IRIS(アイリス)。
新世代の新たな旗手と目されながら短い活動期間で空中分解し、最後は伝説となったロックデュオ。最盛期メンバー四人だが、今でも正式メンバー扱いは二人。
その片割れこそが今回の相手、作詞作曲担当・ベーシストであった路傍である。
手元の資料によれば、徳島県出身の二十六歳。
実家は田舎の神社。現在の職も宮司もとい神主。一度は実家の後継と不幸な事件に巻き込まれ負傷した事で惜しまれる間もなく電撃引退しながらも、二年後に音楽プロデューサーとして芸能界に返り咲いた若手作曲家の異端児。
本人曰く「プロデューサーは副業」で、神主が本業らしい。
言い訳がましいなぁと思うが、それで世間が納得して尚且つヒット曲を飛ばしまくるのだから分からない。
でもって、肩書きは「謡う陰陽師」。神主どこに行ったって話だが。
まあ、芸能界の二つ名なんぞ響きが良ければそれでいいのだろう。神主より陰陽師って名乗る方が厨二心をくすぐるってのも分かる気がする。なんとなくだが、イメージとパッションだけでつけられた渾名に思える。
しかも、プロデュースする相手を見て即興で作曲するとか。
「歌を降ろす」とか言われてるらしいが、スピリチュアルな要素が女子ウケするのかと後輩に軽ーく流すように返事してやったら「先輩浅いッスね」と鼻で笑われたのだけは解せぬ。
「聴いたら分かるっすよ。路傍さんの曲」
なんだそれはと言いたくなる返答である。
しかもそれしか言いやしない。ムカつく。
なので意地でも聞かずにおいてやろうと思っていたが、それもまた無駄な意地を張ってるだけに思えてきたのでオススメされた有名な曲だけを選んで動画配信サイトを検索する。
……チクショウ、最近は事務所公式まで閉鎖祭りかよ。イヤになるな。
旧所属のザイオンプロは数年前に倒産しており公式サイトもチャンネルも無し。ファンの非公認アップロード動画は軒並み削除されてしてしまい跡形もない。
アイリス時代の動画は何もヒットせず。
想像以上に動画サイトの荒廃が進んでやがる。
ほんの半年でこんなに規制がかかるとは。
とすると、現在所属している音楽事務所の公式からしか辿れないのか。
最初期の楽曲は購入してまで聴く気にならない。馬鹿みたいに流行っていた時期に、有線から流れてくる歌声に「合わないな」と感じて流行に乗らなかった経緯もある。同じ徳島県出身なら俺はあいつらより代永ヨリの方が断然好きだと、当時の同僚とよく言い合ってたもんだ。確かアイリスのボーカルは路傍氏ではなく久夛良木アオトの方だったはず。だったら、あの声質が合わなかったかもしれないという思いもあるにはあった。
だから、確認したかったのだ。
歌声か、旋律か。
自分が駄目出ししたのはどちらの感性だったのか。
現所属事務所のスタジオ・オラニエ公式は、シェリーの昨年末に発売したアルバム告知動画以降、更新されていない。弾けるような笑顔の少女の公式動画には、彼女の帰還を待ち侘びるファンの悲壮な応援コメントが連なっている。
反対に路傍氏は現在事務所のメイン推しではないようで、中堅どころの歌手名鑑に氏名を連ねている程度だ。
朝のラジオパーソナリティ以外に仕事の表記は無く、代わりにかつて手がけた楽曲のリストやタイアップ番組、CMがズラリと並んでいる。こうしてみると、馬車馬みたく一気に書いて一気に稼いでいるような印象を受ける。活動期間が集中しており、ここ数年はシェリーの楽曲と同事務所の新人に曲を提供しているだけで、自身の曲は作っていないようである。プロデューサー業というのは本当らしい。
シェリーの歌なら、昨年末まで浴びるように聴いた。
もとい、有線やタイアップで嫌でも耳にしていた。
実業家もとい元ライブビュー社長の寒原武文プレゼンツ企画の「和牛食べたいロック」とか焼肉チェーン店で吐くほど聴いた。アホみたいに単調な曲のくせに、洗脳されてんじゃねーのかと思うレベルで霜降り食べたくなるから嫌いだったんだよ。サシの入った肉ばっか食うとすぐ胸焼けするから。ハラミも鶏オヤも気づけば国産ばかり選んでて、マジで怖いと思っ……。
いや違うそうじゃねえ。賞賛してどうする。
シェリーの曲は、全体的に同世代向けばかり。アラフォー近づくオッサンには眩しすぎるキラキラテイストなアップチューンの曲ばかりだった気がするが、あれが彼の持ち味なら「旋律が合わない」でFAだが。
出来れば彼個人の曲が聴きたい。
公式サイトにアップされているのは二曲だけ。
『朝日に向かって走る』『ガーランド』。
確か後輩のイチオシはこっちだったかと『ガーランド』と記された曲をクリックする。
動画の始まりですぐに気づいた。
これ、ネットニュースでトップになった「伝説のライブ」のアーカイブか。
「この曲、生で演奏したのがこれっきりなんすよ」
俺、偶然観に行ってたんすよー!と自慢げに後輩が鼻の穴膨らませてたやつだ。
なるほど、だからあえてCD音源でなくこちらにしてるのか。ファン心理をわかってやがる。
…
……
………
聴いた感想を率直に言わせてもらう。
こいつ、なんで一人でデビューしなかったんだ?
普通に久夛良木より上手いだろ。なのに何故組んだ?
作詞作曲も自作だと聞いている。とすると演奏メインでないベース担当だったからか?主旋律、例えばエレギが弾ける奴が必要だったから?いやそれなら余計に久夛良木途中から要らねえだろ。あいつ途中でエレギやめてボーカル一本になって、終いにはメンバー全員切ったど阿呆だぞ?なんで組んでた?やばい、疑問しか残らん。
ここで後輩に訊くには遅い時間であるし、明日時間を改めて尋ねようと絶対にドヤ顔プラスドヤ声で得意げに語られるだけなのが目に見えている。それは仮にも業務の先輩として沽券に関わる。もとい単純にムカつく。
…
……
………
よし。もう少し自力で色々と調べてみよう。
まずは、昔の楽曲を音楽配信サイトで集めるとしよう。アルバム一枚レンタルしてもいいかもしれん。
俺は自分の耳と足(調べて得た結果と内容)を信じる。
御堂坂路傍という人物に対して結論を出すのは、それからでも遅くないだろう。
そう結論づけると、俺は布団の中に入り早速馴染みの音楽配信サイトへアクセスした。
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