大迷惑3


全ての手続きを終え、夕飯→風呂→就寝の過程までようやくし終えて、部屋に戻ると二十二時を回っていた。

普段二十一時きっかり就寝の身には結構なタイムロスだ。

自室のベッドに身を横たえると、自重の深さで己の疲労を思い知る。

起き上がる気力すら湧かない。


今日の一件で、HKVに関する諸情報が頭を巡る。

思えば、違和感があるのも事実なのだ。

最初にテレビニュースで何度も流された、あのバナナTVの凄惨な感染動画。

血を全身から流しバタバタと倒れていく空港利用者、そして職員の地獄絵図。

あの、と形容したくなるほど鈍足な日本政府が即日全国民自宅待機・自主隔離政策を打ち出せたのも疑問が残る。制定された新法律・行政サービスの確立スピードが速すぎるとは成立直後から何度も言われていた。

こうなる以前から日本全体でのロックダウンを計画していたのではないか、と。

……つまり、HKV自体がでっち上げ、一般市民を自主的に隔離させ行動規制する為だとする噂だ。理由は様々な憶測が流れているが「人口削減」と「経済活動を一時停止させ、全世界統一政府を成立させる為の布石」が多数派を占めている。

HKVが確実に存在しているなら、政府は以前からその存在を知っていた事になるのでは?と都市伝説検証系YOUムーバーが盛んに騒ぎ始めた。

「HKVは人口削減政策!ディープステートが本格的に世界征服に乗り出した!」と騒いでいた春先さえ、今は懐かしく感じられる。

HKVテロ映像を否定しながら、HKVによる人口削減!を叫ぶムーバーとは如何に。皆よく信じるよな、と思う。引きこもってると他人との接触減るからね、偏った声高な思考に毒されるのも仕方ないのかもしれない。


全世界が引きこもり生活に入って半年。

あれがそもそもCGで作り出されたでっち上げ動画だと謳う検証動画が春先には雨後の筍の如く湧いていた。

個人の動画配信サイトは自宅隔離生活を余儀なくされた人々の政府に対する怨嗟の声が集まる場所と化していたし、そこへ真偽不明でもセンセーショナルな動画を上げてバズれば数百万回再生に収益ゲットも夢ではなくなる。つまり、一つのウケ狙いが大当たりして我も我もと猿真似動画が増殖したと見るのがベターだ。

もっとも、そんな炎上紛いの嘘八百動画を上げている個人を政府が許すはずもない。突如行われたアカウント凍結ラッシュと規制法案の可決が、政府の明確な返答とみなされた。


だが、本当に全てが嘘なのだろうか?

疑惑が消えないのも、バナナTV動画以降は政府が映像の暴力性残酷性ゆえに海外メディアの感染報道映像も含めて全て規制し国民から一切合切シャットアウトしたからだが、もし別に理由があったとするなら?

映像を何度も、複数種類・回数と見られたらまずい理由とは?

そもそも世界的なテロと言われているが、本当に世界中でこんな凄惨な現実が起こっていたのだろうか?

アナウンサーが淡々と読み上げるだけのニュース記事と、日々万単位で累積していく死者数が現実味がなさすぎるのも一因かもしれない。

私でさえ、HKVの存在とテロリストの存在を理解しながらも疑念を感じている。でも、それは単に現実の不自由さを早く解消したいが故の焦りだと自戒する。


世界全てが隔離状態なんですよと言われて、全世界規模のパンデミックが起きたと素直に信じこまされているだけなのでは?

ならば、我々は何らかの理由で政府によって自宅に閉じ込められているのでは?

日本人の何割かが、そういぶかしんだ。

その疑念を焚き付けて利益を得ようとする輩の思う壺だ。


一方で、全く別界隈の(実績がある)複数の専門家から「あの動画は不審点が多い」との声もツブヤイターに上がった。


『あの血飛沫は後付けに見える。倒れた人物の下に滲んだ血溜まりが不自然』と映像クリエイターが。

『この倒れ方は失血性のものに見えない。急性心臓麻痺か、その類では』と、とあるポスドクが。

『亡くなったはずの女性アナウンサーが、死んで一ヶ月後の三月に夫へ訴訟を起こし直後取り下げたのが記録に残っていた。なお、夫は彼女とは死別扱いで現在女性と同棲中。この手慣れた感じはおそらく婚姻中からの不倫関係だろう。ならば彼女が訴訟を起こす気持ちはよくわかる。だが、これは天国の弁護士会から地上へ通達されたものなのか?』と、ルポライターから。

いずれも、当該ツイは消され魚拓さえ残っていない。アカウントは削除されるか別アカウントで再開、または該当ツイを消した後何事もなかったかのように振る舞うなど反応はまちまちだが、多くの人が投稿から消し去る一部始終を見ており痕跡は全て消しきれていない。


ネット上から完全消去出来ても、人の記憶からは消せない。

だが、政府はそうした疑問視する声を黙殺するか、さもなくば「オバケでも見たかのように」扱い鼻であしらうばかり。ファ●タのゴールデンアップル味のような都市伝説系オカルトを真面目に取り扱う愚民と決めつけ嘲笑うようなスタイルで、国民の神経を逆撫でしているとさえ気づいていないのか。


そして現在、映像はアーカイブですら閲覧できなくなり、コピー動画もしくは初期報道の録画をアップロードするだけでアカウントごと削除されるようになった。ますますキナ臭いとは思えど、皆政府に言われた通り自宅隔離生活に甘んじている。

「これは偽物である」という疑惑はあるものの、決定的な証拠はない。

「これは本物である」という、政府のお墨付きもあり、尚且つ今までとは打って変わって手厚く(最低限ながら)生活保護してくれるなら、それに甘んじていてもいいじゃないか。政府の意向を無視して捕まるのもアホらしいし、何より無視して血塗れで死んだとて誰が自分の命を補償してくれるというのか。

理性と疑問・好奇心と打算を天秤にかけ、大多数の人々が「現状維持」を選んだ結果が現在となる。

それに、万一警備を掻い潜って外に出たとて何になるというのか。

その上で感染即死などしたら「アホが特攻したwwwwwwデマに釣られて死んだwwwww」などと暇に飽きたネット民にディスプレイ越しに指さされて笑いのネタとしてオモチャにされ、すぐに全て忘れさられるだけだというのに。

そう考えるだけでアホらしいから、皆デマ半分のネタ動画に食いつく程度で実行には移さないのだ。

一方で「コロナと同じ対策でHKVが防げるとか絶対ウソでしょwwww人類死滅決定済みなんではwww」と自宅で呑気に草を生やすネット民もいるが、皆それも頭の片隅で思いはしても考えないようにしているだけ。

どう考えてもウイルスの殺傷能力に比べて対策が場当たり的かつ原始的すぎる気が否めないのだが?


ああクソ。

グローバルすぎる話題は止めだ。

いくら自分一人が悩んだとて世界が変わる訳ないのに。


「あとは私にお任せくださいな」

彼女の優しい言葉に甘え、今晩はねねのお世話を全て任せてきた。


紹介しよう。

さくらさん。

俺がチビ助の頃から度々お世話になっているベテラン白狐さん(女性だ)。

今回は子どものお世話役なので、ヒトに化けてもらっている。

俺より一回り上ぐらいの容姿、実家で見慣れた黒髪魅惑のお手伝いさん風(白い割烹着)スタイルだ。

やむを得ず、客人が来る直前に実家の稲荷社から助っ人を召喚した。


理由。の前に、問題。


問二:女児(三歳)の世話を未婚アラサー男性が全て行います。

この場合、後から女児の母親が言いがかりをつけてきそうな懸念を全て書き出しなさい。

ヒント:トイレ、風呂、着替え(女児は一人でできない想定とする)

(個数制限なし・正解につき5点加算)


正解:女児の素肌を見ないで済むように取り計らう必要があるが、今現在人間のヘルパーを雇う事は実質不可能である。よって、三歳児を目を離さないよう保護監督し、尚且つトイレはまだいいとして粗相をしたら片付けて着替えさえ、清潔を保つためお風呂にも入れ(事故で水死しないよう見守りも必要だろう)、寝る前にはパジャマ、起きたら一日の私服への着替えをさせねばならない。

はい、どうやったら女児の肌を見ないで全部こなせますか?


はい無理。無理無理無理ぃいいいいいいい!!


というわけで、実家に泣きついた。やむをえない。

情けないと思われそうだが、思われるのと実害を防ぐのは別問題。

俺は実害を防ぐためならプライドなど黄泉平坂の真下へ放り投げてやる、いつでも何度でもだ!

そりゃまあ、音楽活動してた頃は、一応二つ名で陰陽師名乗りはしたが。

本業は神主。

神職。特技祝詞。後は掃除とお洗濯。掃除は自信あるよ!

実際、そもそも陰陽師の術式はあんまり得意じゃないんだよね。


そういや何で名乗ったんだっけ?どうしてそんな二つ名貰ったんだっけ?

あ。そうだ思い出した。

初代担当の倉科さんだ……クソッ、彼女にはお世話になったから責められない。

あーもー、彼女が実家の素性調べ上げてくるとか思わなかったんだよなー。

あーあーあー。

陰陽師って言っても、死んだオヤジはせいぜい田舎の祈祷師レベルだったって話だぞ?

自慢の我が父だけどさ。

思い出して我が身の厨二病臭い過去が小っ恥ずかくなってきた。


祖母の梅婆うめばぁに電話がようやく繋がって、コッテリお叱りを喰らったが彼女が助っ人役なら安いものだ。

実家の白狐様を召喚するとなったら、元締めの梅婆に一言通しておかないと後でうるさく言われてしまう。特に稲刈り前のこの時期に人手を持っていくなと予想通りめっちゃ叱られた。

心配されてないのはいっそ清々しいが。

九十をとうに過ぎ、年経る毎に縮んで小さくなりゆく我が祖母だが、頭はシャンとしてるし頼もしさすら増していく。流石は元大妖怪(自称)だけある。


で、上記の台詞に繋がる。

さくらさんは、当家に仕える白狐様の中では最年長かつ梅婆の右腕的存在だ。

派遣する白狐は誰でもええな?と梅婆から釘を刺されたから見習いさんが来るのかなーと若干不安だったが、彼女なら安心安全太鼓判である。……いや、おそらくは女児の相手など無理だと最初から見透かされている。

悔しいが、その通りだ。我が祖母に感謝。


明日以降の目処が立ったからか、安堵で気持ちが落ち着くとふと思い出す。

そういえばと、部屋に戻るとスマホのメールをチェックする。

昼寝前後にアレックスが何か言ってたような気がするが、慌ただしさにすっかり忘れていた。


新着は昨日昼過ぎの三件と仕事のメールのみ。

仕事のは田児さんからだから後回し。

見覚えのないアドレスから開くと、知らず顔が歪む。


『路傍君へ。もう君しかアテがないから、その子置いていきます。DNA鑑定に応じなかったそっちが悪いから。あ、言っておくけどアンタの娘じゃないからね?ロリコン』


唸りそうになってすんでで堪え、込み上げる憤怒もまとめてゴクリと飲み込む。

あのアマァ。コロスコロスぶちコロ案件。

アテがないから、でお察しじゃねーか!

遂にオトコ全員に逃げられましたか。はぁそうでしょうねさもありなん。

自業自得だ馬鹿野郎。

自慢のパパも青人も再婚相手も浮気相手も逃げたってことならこのムーブはよく分かる。そういう奴だ。


『寧々は大人しいし、ゆうこと聞くから問題ないわ。むしろロリコンのアンタにはご褒美でしょ?後10年経ったら迎えに行くかもだから、傷物にはしないで』

何から何までツッコミどころの赤線減点ポイントしかない第二通。

ゆうこと、って何だ?

言うこと、だろ。この日本語でよく大卒出来たな阿呆。

あとロリコンロリコンやかましいわこのエロビッチめが!


「いちよう返事してくれない?つか届いてる?バレたらヤバいのアンタも同じでしょ?」

三通目は中身すらない。

バレたら何がやばいというのか。

お前の頭はタブロイド紙か。意味不明。

脱力し、そのまま布団に突っ伏す。


あーーーーー仕事やりたくねぇ!やるけど!

残りの業務メールを開き翌朝の段取りを確認。

メッセージを送ると、返信代わりに田児さんから即着信が入った。

すぐにテレビ電話に切り替えると、開口一番大変だよぉと田児さんが慌てた口振りでスマホの向こうから唾を飛ばす。

『あ!路傍ちゃん聞いた?』

「どしたの田児さん」

『昼頃にまた高速で事故あったんだけどさ』

「はぁ」

『西園寺霧香』

「へ?」

何故その名前が今出てくる?直感が、嫌な予感となって頭をよぎる。

『事故ったらしいよ』

「……マジで言ってんの」

マジもマジマジ!と田児さんは強調する。……本音が追いかけてこない。とすると限りなく事実を口にしている。田児さんは信頼がおける相手だ。

『何でも、名古屋方面の検問を強行突破しようとして壁に激突したってさ。今情報が錯綜してるけど、重体でICU入り、関西にいるチャットのセフレ目当てに脱出図って自爆したんじゃないかって。ヤバすぎるくない?』

「やっば」

『だよねヤバいよね!あのお騒がせセレブ気取りのお嬢さん、遂に年貢の納め時かって皆が』

「いや田児さん」

『ん?どしたの路傍ちゃん、顔色悪いよ』

「あいつ、最後の最後でやりやがった」

『え?』

「俺ん家に娘置き去りにしやがった」

『へ』

ええええええ!!と田児さんの絶叫でスマホが音割れした。

俺の心も割れそうだよ田児さん。


どうしよう。

どうしよう。

こんな事になったらもう、突き放せなくなったじゃないか!


あのやろぉ!

頭の中で絶叫し「保護者」という仕事が積み重なる予感に頭を抱えた。

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