ラジオデイズ1
翌朝。
ねねは見知らぬ部屋で目を覚ました。
いや、見知らぬのではなく、見慣れない部屋なのである。
来てから一日しか経たない、よく知らないおじさんの家に置いてけぼりにされ、そのままおじさん宅に居候する羽目になっている。
が、勿論彼女はそこまで小難しい事は分かっていない。
ただ「知らない家にいる」と思うだけなのだ。と、同時に「慣れている」とも。
「うさちゃん、おはよう」
誰にも聞こえないヒソヒソ声で、枕元の白いうさぎのぬいぐるみに話しかける。
このちょっと汚れたぬいぐるみだけが、彼女の拠り所であった。
一旦コテン、とベッドに寝直す。布団はフカフカと程よい柔らかさで、おろしたての良い香りがする。
ペタンコでなければカビ臭くもない寝床は、ねねにとっては初めての経験だった。
気持ちいいなぁ、とまどろんでいると、部屋の外から足音が聞こえる。
誰だろう。
うさちゃんを抱えて彼女は部屋を出ると、ダイニングでお湯を沸かす女性の姿を見つけた。
「おはようございます」
よく眠れましたか?と訊かれ、ねねは素直に頷いた。
*
女性は「さくらさん」という名前であった。
昨日、気付いたら家の中にいた。お手伝いさんだと、ロボおじちゃんに紹介されたのをねねは覚えている。お風呂にいれてもらったし、着替えと寝かしつけもしてくれた。優しいお手伝いさん。さくらさんは白いスモックみたいな服を着ていたので「ほいくえん?」と訊いたら首を傾げられた。
後に、彼女は「かっぽうぎ」という服を着ているのだと教わった。
料理の時につけるエプロンみたいなものだと。
ねねは、また一つ賢くなった。
「さあ、顔を洗ってきてください。その後はお着替えをして、それから朝ごはんにしましょうね」
さくらさんに手伝ってもらいながら支度を済ませると、テーブルに着席するよう促され席につく。
出てきたのはワンプレートモーニング。
水菜の一口サラダににんじんグラッセ、半分に切られた厚切りトーストにゆで卵。
「あとはスープなのですが、コーンスープとコンソメスープ、どちらにします?」
「コーンしゅーぷ」
昨日要るかな?と訊かれただけで覚えていた方を答えると、さくらさんはすぐに小さなカップに黄色の粉をふりかけ湯を注ぎスプーンでくるくる混ぜると音もなくプレートの脇に添える。
どうぞ、と促され、いただきます、と手を合わせると「お行儀がよろしいですねぇ」と目を細められ、ねねはなんとなくくすぐったい気持ちでトーストに手を伸ばした。
朝ごはんは、どれもこれも美味しかった。
お野菜はシャキシャキしているし、こんな甘いにんじんは食べた事が無い。何よりトーストの分厚くてフカフカな事といったら!ジュワァと染み出すバターが口周りでベトベトになっても気にならない!フカフカのジュワジュワで、あっという間に食べ尽くしてしまった。
「ごちそうさまでした」
「はい、よろしゅうおあがりで。ペロリと食べられましたね」
「たべちゃダメだった?」
「いえいえ!逆です!多すぎるんじゃないかとご主人が心配されてましたから」
「おいしかったよ!」
「いっぱい食べられましたね。よかったですね」
さくらさんに頭を撫でられ、ねねは不思議な気持ちになる。今までは、ご飯を食べたいと言っただけで怖い顔をされていたのに。何だか頬が熱くなって俯いてしまうと、あらあらうふふとさくらさんは微笑む。
「あの」
「どうしました?」
「ロボちゃんは?」
「ご主人なら、今はお仕事中です」
お仕事?と、今度はねねが首を傾げる。
今は誰も外に出ては行けない、ましてや仕事に行くなどもってのほか!と言われていたはず。
「ロボちゃん、どこにおしごと?」
「三階の音響室で」
「おんきょうしつ」
「ええ、なんでも音楽の収録機材が沢山あるそうで、今朝もそこからりもーと?でラジオの放送をなされてるとか」
「ラジオってなに?」
「電波を使って沢山の人に音楽やニュースを流したり、伝えたりする……カラクリ?ですかしら」
こういう時は、とさくらさんは壁にある平たい白いスピーカーに話しかける。
「アレックスさーん」
『お呼びでしょうか』
壁のスピーカーが返事をしたので、ねねはうわぁ、と素直に驚く。スマートスピーカーを初めて見たのだから興奮するのも仕方ない。
「すみません、路傍さんのラジオを流して頂けますか?」
『ラジオ配信を開始します』
スピーカーから流れ出した軽快なテーマソングの後に、昨日聞いた声が「モーニングファイズ」と口ずさむ。
『はい、おはようございます。七時半が過ぎましたが、皆さんもうお目覚めでしょうか。そろそろ一日の準備を始めている頃ではと思います。……今朝のテーマは『爽やか』。ここでメールを一通、ペンネームゆりねこさんからです。爽やか、という言葉を聞くと、私は恩田陸先生の朝日のように爽やかに、という作品タイトルを思い出します……』
「ロボちゃんしゃべってる?」
「そうですねぇ」
「ロボちゃんかべのうらにいるの?」
「いーえぇ、三階のお部屋から、今、日本中の方々に楽しい音楽を流しておられるんですよ」
「にほんじゅう」
「そう、日本中」
こんな感じですわねぇ、とさくらさんはタブレットを操作して動画配信サイトを開く。
ラジオ局の専用チャンネルには、機材の詰まった部屋のソファにもたれ、マイクに向かって語りかける路傍のリアルタイム動画と、右横のボックスには視聴者のメッセージがズラズラと並び下から上へと忙しなく流れては消えていく。
「よこのはなーに?」
「これはラジオを聴いてる方々が、感想や質問を送っているんですよ」
「はやくてよめないよ?」
「人気ですからねぇ」
漢字も沢山ですしね、とさくらさんは困り顔だがどこか嬉しそうだ。
外国の曲が済むと、また路傍の声が聴こえてくる。
『さて、そろそろ終わりが近づいておりますが……ここで重要……いや重要でもないか、プロデューサーが言っておけというからお伝えしとくだけなんですが』
右横のボックス内に「ん?」「なんだなんだ」と単調な疑問符のコメントが増える。
『子ども預かりました。誰の子かは分かってます。皆も察しろ』
ねねちゃんのことだ。彼女はすぐ察し、耳の穴が膨らむのを感じる。
『なぜ、これを公開するか?それもお察し頂ければ幸いです。ちなみに女子三歳です。丁重に持て成します。いいな?覚えとけアオト!さっさと迎えに来い!連絡よこせ!はい、以上!』
あとは何事も無かったかのように粛々とお別れの挨拶をする路傍の声をよそに、ねねはスピーカーとさくらを交互に見つめる。
「ロボちゃん、アオパパしってるの?」
「アオパパさん?ですか」
「ねねちゃんのパパ」
なるほどご存知みたいですねぇ、と言いつつさくらさんも自信なさげである。
しってるんだ、とねねはポソリと零して、カップの底に溜まったコーンスープを啜った。
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